四・冨岡義勇
──錆兎のことを思い出した。
胡蝶から、そちらの方面に藤襲山に狂い咲いている藤の花と瓜二つの花がある庭を見たとつい先日聞いていて。
その花が咲いている中庭を見つけた時、あぁここの事か……と無言で頷いた。
この場所は前にも来たことがある。
大怪我をしたある日、ここの当主である老父に助けられた。
藤の家に世話になったのも、その時が初めてだった。
狂い咲いている花を見つめて。
そして藤襲山での最終選別を思い出す。
錆兎と過ごした日々を。
「……鬼狩り様」
不意にか細い声が聞こえた。
俺に呼びかけたのだと気づくまで、数分の刻を要する。
「柱の方ですね」
「俺は柱じゃない」
「……え?」
俺の返答にキョトンとしている少女はまだ幼い風貌で。
あぁ、そう言えばここの当主には孫娘がいたなと思い出す。
俺が帯刀している刀の文字をじっと見ている彼女にそっと息を吐いた。
胡蝶の小言が聞こえてくるような気がする。
「──冨岡義勇様では?」
そして俺の名前を言い当てた少女に瞠目した。
「……あぁ、俺は冨岡義勇だ」
だが、何故彼女は俺の名前を知っていたのだろうか。
そんな疑問が沸々として、少女の幼い顔をじっと見つめてしまう。
少女が少し困ったように眉根を動かしていた。
その瞬間に、しまったと思ったが、それをどうすればいいのか皆目見当がつかない。
「やはり。胡蝶しのぶ様からお聞きしていた特徴と一致しましたので、もしやと思いまして……」
「……そうか」
少し頭の中で考えていたら、少女の方が口を開いた。
思わず素直に頷く。
また暫くの沈黙。
「……それで、藤の花がどうかしましたか?」
「いや……」
質問をしてきた少女にうまく答えられない。
再び沈黙。
これではダメだろうと、ポツリと漏らす。
「…………ただ、藤襲山を思い出した」
「あぁ……同じ遺伝子の木ですよ。大昔に始まりの剣士の方から頂きました」
「……そう、か」
少女がしっかりと言葉を返してくる様を見て、また少し驚いた。
丁寧な言葉遣いが、そのあどけない表情とは正反対で。
ただ、その後何をいえばいいのか。
昔語りをしても意味がわからないだろうとか、一人また考え込む。
どうしようもないので、また咲き乱れている藤の花を見つめた。
「……冨岡様」
「…………」
それから暫くそこに立ち尽くす。
その間も彼女は俺の隣にいた。
ただ静かに。
声をかけられたが、振り向いた方が良かっただろうか。
だが、何を話していかもわからない。
だから、俺を放っといて欲しい。
無言であれば、そろそろ少女は去るだろう。
俺の考え通り、彼女がゆっくりとその場から去るように背中を向けた。
だが、事件は起きたのだ。
ぐうぎゅるるるる……、と
まるで獣の唸り声のように、俺の腹の虫が唸った。
「…………?」
少女にまで聞こえていたらしい。
羞恥心で、俺は下に俯く。
振り向いた方彼女は笑うこともせず、ぱちぱちと瞬きを繰り返してから、そっと口を開いた。
顔の熱さが引かない俺は、なかなか彼女の方を向けない。
「…………何か、召し上がられますか?」
「……鮭大根……」
だから、少女の質問にポツリとだけ漏らした。
静けさにまた顔が熱くなる。
ついにふっと笑った少女は、柔らかい音を鳴らしながら首を傾げた。
「すぐにご用意致しますね」
「藤埜家のお孫さんはしっかりしている……」
あの老父の方の笑顔と重なり、そっと視線を向ける。
「…………今、私がここの当主をしています」
「……それは……、そうか」
悲しそうに、寂しそうに、その時やっと子供のような音を出した彼女にできる限り優しい声音で頷いた。
確か、あの老父は……孫娘をなんと呼んでいただろうか。
「……残念だ」
小さく呟いて、頭の中に浮かんだ名を声にする。
「……夢」
はい、と小さく返事をした夢は祖父を思い出していたのだろう。
そっと目尻の涙を拭って微笑んでいた。
だから気付かなかったのだろう。
俺が突然君の名を呼んだことを。
ほんの微かに、俺は口角を上げてから息を吐いたのだった。