拾・怪我した犬
「……少し、頼んでもいいか」
その夜、ちょうど私が深い眠りについていた時間に、玄弥様が部屋の戸を叩く。
何かあったのだろうかと、慌てて飛び起きた。
まだ悲鳴嶼様は帰ってこられていないし、確か玄弥様は屋敷の裏に広がる山の中で修行をされていたはず。
「ど、どうかしましたか?!」
微かに漂ってきた血の香りに、勢いよく引き戸を開ければ、目の前に白い仔犬を抱いた玄弥様がいた。
「ひゃっ……!」
目に飛び込んできた白い毛並みの犬にびっくりして尻もちを着く。
よくよく顔を上げて見れば、仔犬は足を怪我していて、赤い染みが白い毛を汚していた。
「……ぷっ」
「?!」
今玄弥様が小さく笑った気がする。いや、確実に吹き出された。
「……っ、こほんっっ!」
少し驚いただけなのだ。
私はすぐに冷静な振りをして、玄弥様から子犬を受け取った。
手の中で小さな鼓動がトクトクと響いている。
「……お前、怪我をしたのね。もう大丈夫だからね」
できる限り優しい声音で仔犬に話しかけて、そっと部屋の中の布団の上にいらない布をひいてからその子を置いた。
お湯や薬箱をとって来ます、と玄弥様に告げて顔を彼に向けたら、私は信じられないものを見てしまう。
肩をプルプルと小刻みに震わせて、あの尖ったような空気を纏っていた玄弥様が必死に笑いを堪えているではないか。
「げ、玄弥様っ」
そして彼が笑っているのは私に対してなんだろう。
途端に顔一面にカァッと熱が集まる。
「っ、……悪い。ちょっと……、ただ、その、お前」
「私は夢です」
「あぁ、夢は……どうしてそんなに背伸びをしているんだ?くく……っ」
玄弥様の大きな手が私に向かって伸びてきた。
「髪、ボサボサでめちゃくちゃな寝癖がついてるぞ」
小さな子供をあやす様な手つきで、彼は頭を撫でてくる。
いや、確かに私は小さい子供なのだ。
「……と、取ってきますからっ」
髪がボサボサなのも、こんな夜更けに起こされたのだから当たり前で。
尻もちを着いたのだって、本当に寝ぼけ眼でビックリしただけだもの。
くぅーんっと小さく鳴いた仔犬の声にハッとしてから、私は部屋をあとにした。
お湯と薬箱を持ってきて部屋に戻ってきても、玄弥様はそこにいて「お湯、零すなよ。俺が持つぞ」とか声をかけてくださった。
が、ついついバカにされているような気がして無意識に頬をぷくっと膨らませてしまっていたのだった。