君の音色がただ聞きたくて
「お邪魔するナリ」
「……一体どうしたんですか?」
「ひとまずその包丁を片付けるぜよ」
夢野さんの家に上がり込んだら、彼女は警戒心むき出しで包丁片手に立っていた。
「ち、違いますよ!たまたま料理してて!」
「そうみたいじゃな。エプロン姿可愛いナリ」
「なななっ!」
なななっ!ってなんじゃ。
狼狽えすぎじゃろ。そして可愛すぎじゃ。
神奈川からわざわざ東京に出てきて、ダメもとで夢野さんの住んでいるらしいマンションのインターホンを鳴らした自分の度胸と勇気に拍手したい。
「何作ってたんじゃ?」
「オムライスです。……お腹すいてます?」
「あぁ、空いとるよ。……くれるん?」
首をかしげてみたら、夢野さんは目を見開いたあと、深いため息をついてから「少し待っていてくださいね」とテーブルの椅子を指差した。
どうも作るから待っとけということらしい。
俺はもうそれだけで幸せじゃった。
夢野さんが俺のために手料理してれとるなんて、夢のようじゃ。
それから二人でオムライスを食べてご馳走さまをした。
「……本当のご用件は?」
「ヴァイオリン、聞かしてくれんか?」
洗い物はするからと笑ったら、夢野さんはまたため息をついて「はい」とだけ頷いて笑ってくれる。
皿洗いを終わらせ、椅子に座ったところで夢野さんはヴァイオリンを構えてくれた。
パンダだらけの部屋を見回しながら、音を紡ぎ始めた夢野さんに視線を戻す。
「……あぁ、幸福っていまのことじゃな」
時間にしたらすごく短い間だっただろう。
だけど俺にはすごく長く感じた愛しい時間だった。
それは間違いなく俺だけの特別な時間。
そのあと、演奏を終えた夢野さんに興奮してつい「泊まらせて」と言ったら、真顔で「無理です」と即答され追い出されたのだった。
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