緊張しているのか、妙に手に汗をかいている。
飛行機事故から半年、奇跡的に意識を回復させた私は、あれから榊おじさんに色々お世話になった。
意識不明だった半年間に、両親の葬儀などは終わっていて、やけに軽い遺影を二つ抱いて泣いた。
あげたお線香の匂いがやけに目に染み、榊おじさんの腕の中が温かだったのを覚えている。
大々的ではなかったけれど、私の意識の回復はニュースとして取り上げられ、事故当時の機内の様子などを警察やよくわからない役職の偉そうな人に何度か聞かれた。
流夏ちゃんからも電話がかかってきて、たくさん話をした。
それから、榊おじさんと中学の授業の遅れをどうにかするために勉強して、その傍ら保険金やら様々な手続きの説明を受ける。
両親と住んでいた一軒家は売り払い、私は榊おじさんの勧めで都内のマンションの最上階に住むことになった。
当初は、榊おじさんが一緒に住まないかといってくださったが、さすがにご迷惑だろうと遠慮したのだ。
そして今に至る。
都内に住むことになったので、神奈川の立海大附属中学に通うことなど出来るわけもなく、私はまた榊おじさんの勧めで、おじさんが音楽教師として働いている、氷帝学園の中等部に転入することになった。
うまくいけば、新年度の日からこっそり転入できるはずだったのだが、手続きなどの関係上、一週間遅れてしまうという事態。
質問責めにうんざりしていた私は、本当に憂鬱になっていた。
「夢野、入りなさい」
淡々とした声に顔を上げる。
緊張と憂鬱の入り混じった表情を隠すように、私は精一杯の笑顔を張り付けて扉を開けたのだった。
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