心が躍るというのはこういうことかなと思った。
遭難に見せたサバイバル合宿の後、私は当初の予定だったホテルで、榊おじさんの知り合いのヴァイオリン奏者の方々と二日間練習に明け暮れた。
もちろん、到着が数日単位で遅れたことは心の底から謝罪した。それでも足りない気がして、精一杯練習を頑張ることでお返ししなければと気合いを入れたわけである。
他の人とヴァイオリンを弾くのは、本当に緊張した。
だけど鳳くんと前に二重奏をしたイメージが強く残っていたからか、それを思い出したら肩の力が抜けたというか。余計なことを考えずにリラックスできた。
二人とも想像より若くて、男性の方が初音さんといって、女性の方は鈴木さんだけど今年の秋には籍を入れて初音になるのよと笑っていた。
そしてそんな二人に畏れ多いことにすごく誉めていただけることになったのである。
現役のプロの世界で活躍する方々から、こうして誉めていただけるとは思わなくてすごく挙動不審になってしまった。
「スランプに陥った頃と違って柔らかくなったね。ヴァイオリンが好きだって気持ちだけで弾いていた弾きたてのあの頃みたいだよ。いやその時よりも音ののびも良くなったかな」
「え!」
「……ふふ、僕らは君のご両親によくしてもらっていたんだ。君の家に遊びに行ったこともある」
「そうよ。その時貴女にも会っているわ。こんなに小さかったから覚えてないでしょうけど……」
「っ、そ、うだったんですか!」
うまく言葉にできなかったけど、「だから私たちは貴女の味方だよ」と笑ってくださったお二人に涙が出そうになった。
くしゃくしゃと初音さんに頭を撫でられて、何故かお父さんを思い出した。
両親の偉大さを感じつつ、同時にやはりもう二度と触れ合うことのできない現実に胸がきゅうっとなる。
寂しくて悲しくて、その日の夜は合宿中で忙しいとは思いつつも、榊おじさんに電話した。
おじさんは他愛ない話ばかりを繰り返す私に文句を言わず付き合ってくれたのだった。
「流夏ちゃーん!」
「詩織!」
「あ、本当に夢野さんだ!お久しぶりー!私たちのこと覚えてる?」
ホテル練習が終わった次の日、私は流夏ちゃんの陸上の応援に来ていた。
全国規模の最終大会は関西でやるらしく、今はそれに出場できるかの枠をかけている状態だった。
応援席から流夏ちゃんに手を振ったら、流夏ちゃんだけでなく流夏ちゃんの隣にいた立海大の女の子達にも手を振りかえされた。私のことを覚えていてくれたらしい彼女たちに胸が温かくなる。
「詩織、おはよう。やはり来ていたのね」
「あ、ちーちゃん!」
カメラ片手に報道部の腕章をつけているちーちゃんに遭遇する。
あぁ、そうか。氷帝の陸上部も出てるんだった。
「ずっと連絡が来なくてタマと心配してたけど、大変だったわね」
「大変だったし、色んな人に迷惑をかけたけども、でも、実は楽しかったよ!」
「顔を見ればわかるわ。前よりも綺麗」
「へっ?!」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
だがしかしちーちゃんはいきなり何をいうのだろうか。
「ふふ、ネタの匂いがたくさんするのよ。……日吉とは進展あった?」
「え、え?若くん?え、っと、あ!今日起きたら榊おじさんにスマホに機種変されていたでござる!」
目を細めたちーちゃんの前に真新しいスマホを取り出して見せたら、小さくため息を吐かれた。取材モードのちーちゃん怖い。どっかのデータマンたちと被る。
「夏休みにはいってから私とタマも変えたところよ。良かったわ、これでみんなでグループ会話ができるわね」
そう言って使い方のわからない私にメッセージアプリの使い方とかを丁寧に教えてくれたちーちゃんは、もうそれ以上テニス部のみんなのことは何も聞いてはこなかった。
「じゃあまた明後日ね」
「明後日?」
「あ。流夏ちゃん、お疲れ様!通過おめでとう!」
「うん、ありがと!で、明後日何かあるの?」
「明後日、ちーちゃんとタマちゃんとプールに行く予定なんだ。あ、ラッシュガードちゃんと買ったよ!!私に死角なしでござる!流夏ちゃんも行ける?」
無事に予選通過した流夏ちゃんにそう言ったら「そうね。行く」とすぐに頷いてくれて、嬉しくなった。
私の大好きな女の子の友達たちとのお出掛けである。これほど楽しみなことはない。
胸の奥の温かさに、今日の夜は一人でも大丈夫だと思った。
寂しくないとはっきりとは言えないけど、それでも寂しくないと笑おう。
お家に戻ったらワルキューレを弾いて。
心躍る今のこの気持ちを天国に向けたら、お父さんとお母さんは安心してくれるかなと、そう願った。
その夜、ジロー先輩から電話があって、大丈夫だと思った夜がさらに大丈夫な優しい夜になったのだった。
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