「……手塚、どうしたの?」
クスッと小さく笑みを浮かべながら、不二が俺に近付いてくる。
その顔には確信の色が浮かんでいた。
「……否」
「彼女──夢野さんなら、ペンション内で練習しているんじゃないかな。さっき跡部と忍足が話しているのを聞いたんだけどね」
「……そうか」
心臓が一瞬飛び跳ねたのを感じながら、何事もないように頷く。
不二はまた口角をあげ、目をさらに細めていたが、それ以上視線を向けるのは止めた。
手に握るラケットの感触を頭に叩き込む。
……おかしい、のは己が一番わかっていることだ。
この合宿所にて初めて会った女子に、俺はどうしてここまで動揺しているのだろうか。
特別会話をしたわけでもない。
ただ、そうただ──
「……音色が」
異様に耳に残る。
胸を鷲掴みにするのだ、あの音楽は。
「……夢野、詩織」
無意識にぽつりと呟いた名は間違いなく彼女の名前で。
深く刻んだ眉間の皺をさらに濃くしながら、俺はまた脳内で彼女の音を思い出していた。
……朝、仁王の手を引いて食堂を出て行った彼女の後ろ姿が頭から離れない。
「……手塚部長、大丈夫っスか?」
「……越前か。……問題ない。油断せずにいこう」
不可解な感情に支配され始めているような己を律するように、俺はまたラケットを強く握るのだった。
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