花盗人は何処 | ナノ




偶に電波を通して会話はしていたものの、やはり顔を直に見て話すのとでは心持ちも異なる。気難しそうに刻まれる眉間のしわや、時折淡く細められたりするその瞳が心をくすぐっていって何だかたまらない想いになる。
言葉を交換するだけで甘く鳴る心臓に翻弄されつつ、暫く他愛のない談笑を楽しんだ。

地獄での案件も収束へと向かっていったことを知り安堵の息をついたなまえは、先日白澤との仲を拗らせた原因にもなったそれを訊ねる。


「どのくらいで帰れますか?」
「そうですね、今すぐでもいいですよ」
「そ、そんな急に」
「だと思いました。準備もあるでしょうし、明日また来ます」
「明日……」


随分急だな、と思ってしまったのは、白澤の悲痛な表情が一瞬まぶたの裏にまたたいたからだろうか。
しゅんと眉を下げてうなだれたなまえに顔をしかめた鬼灯は床を這う彼女の視線をすくいあげるように瞳を合わせた。
混ざり合った眼差しにほのかに頬を染めたなまえを見つめ、鬼灯は口を開く。


「帰りたくないんですか?」
「そんなことはありません!ありません、けど…」
「桃太郎さんたちと別れるのが辛いのはわかりますが、もう会えない訳でもないんですから」
「……はい」
「…………」


鬼灯の科白にも沈んだ表情が浮かび上がることはない。その寂しげに揺らぐ虹彩が胸に迫るようで、鬼灯は思わず眉をひそめた。
彼女にこんな表情をさせるのはほんの短い期間共に居た白澤たちなのだ。
彼女の笑顔を取り戻したいと願うだけでなく、なまえが想う彼らに対してほの暗い感情を向ける心に気がつきゆるく吐息する。

自制して何とか踏みとどまっていられるようなそれは覚えがある。度々彼女の周囲の人間にばらまいてしまう自由がきかない感情はいわゆる嫉妬や独占欲に類するものだ。

心の奥底に息づいていたそれが上辺へじわじわとにじみ出ていくのを感じる。彼の内側にはびこる悪いものを集めたような想いが彼女に差し向けられる前にと、鬼灯はそれに蓋をするようにまぶたを伏せた。


「鬼灯さん…?」
「いえ、それよりアレにも一応挨拶をしておかなくてはいけませんね」
「………そうですね」


なまえは彼らが消えていった扉へと向かう鬼灯の背を見上げ、そっと視線を外す。
なまえとの別れを惜しんでくれるだろう白澤と桃太郎の表情を歪ませることになると思うと心が痛んだ。先日白澤がほんの一瞬露わにした寂寥と悲哀にゆがんだ顔を思い起こし、胸がきゅっと苦しげな音を立てる。

詰めていた息を解放した時、鬼灯が手をかけるより早く眼前のドアが開いた。


「帰っちゃうんだね」
「…聞いてたんですか」
「まぁ予感はしてたし……それより、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「?何ですか」


眉間に刻まれたしわをゆるめることなく問う鬼灯に、白澤の目が眇められていく。

白澤がなまえを好く以前から予感はしていたのだ。鬼灯が彼女に注ぐ想いが、特別なそれであることを。
恋に満たないいとけないそれがいつしか色を変えていき、ようやく甘みを帯びてきたことに気がつかないほど恋愛面において鈍いつもりはない。この行動に出た結末がどのようなものになるか、予想すらしたくはないけれど。

やはり白澤が求めるのはなまえの幸福だった。
彼女がその胸に抱えきれないほどの幸せに満たされて、あたたかく笑っていてくれたらそれでいい。
そこに自分がいなくても許せると、彼女が鬼灯に寄せるやわらかに蕩けた笑みを見て想ってしまった。
心は辛苦にまみれたまらなく切なくはあるけれど、それもいつか溶けていく。なまえのほころぶような笑顔を見てしまったら、そう感じた。

ただ最後に足掻かせてほしい、と人知れず許しを請いながら白澤は口を開く。


「何でそこまでなまえちゃんに拘る?」
「…白澤さん?」
「何のつもりでなまえちゃんを手元に置こうとするんだ?彼女が生きてる人間だと地獄中に公表することで得られるのは何だ?不信感が生まれて困るのはお前だし、事後処理に追われるのだってお前だ。余計な仕事をつくってまで彼女の隣を守ろうとする理由は何だよ?」
「私は……」
「拾った責任とか言うなよ。お前のそれはただの責任感からくる行動から逸脱してる」
「………」
「答えろよ」


多少は心境も変化しただろう常世の鬼神が相変わらず彼女にも、ともすれば自身の本心にすら向き合おうとしていない事実に腹が立った。
まともな恋などしたこともない、きっとこれからもこの一度きりだろうけれど、場数は踏んできたつもりだ。他人の恋路をのぞき見たことだって多々ある。芽吹いたその想いが知らぬ振りなど出来ないほどの力を持っていることも知ってしまった。

だからこそ腸が煮え返るような怒りに見舞われるのだ。
彼女の手を取り共に歩むことも出来るのに、その選択から目を逸らし曖昧にはぐらかそうとすらする態度が気に食わない。

なまえも周囲の人間もそれに気がつくことはなく、もしかしたら鬼灯自身さえ無意識のうちに選び取った道なのかもしれないが。

仕事に関しては右に出る者がいないほど有能でもこの方面は得意ではないのか、それとも人の性質さえも変えてしまうようなものが恋という行為なのか、知りたくもないけれど。

鬼灯が沈黙を生み出す間ぐるりと巡る思考をかき消すように、白澤はゆるくかぶりを振った。視界にも入れたくない顔を一瞥した後、戸惑ったようにまぶたをまたたかせるなまえへ目を移す。

眼差しが触れあい、彼女が口を開く前に心の奥底へ留めていたほろ苦くいとしい想いを舌に乗せた。


「僕はなまえちゃんが好きだ」
「………え?」
「………」
「お前には、なまえちゃんはやれない」


彼女と真向かうことさえせず日々のあたたかな幸福に甘える彼が変わらない限り、白澤も容易になまえを委ねることは出来ない。叶うならば、許されるならばその役目は自らが負いたいものだけれどなまえが鬼灯を求めるのだから仕方がない。

彼女のためにと何度も軋む胸に言い聞かせ、揺れる瞳を携えた宿敵を見やる。
こんな風に間の抜けた表情は初めて目にするものだ。
せめて情けないその顔を焼き付けてやろうと射すくめるようににらむと、暫く放心したように瞬きを繰り返していたなまえがか細いささやきをこぼす。


「白澤さん…あの……」
「なまえちゃん、ごめんね。またそんな顔させちゃって」
「!」
「でも多分、これで最後だからさ」
「……………」


弱ったように垂れた眉と困惑に染まる瞳にくしゃりとひしゃげた笑みを向けると、なまえは何か言いたげに開いた唇をきゅっと噛みしめて俯いてしまう。
その仕草に彼女の笑顔を咲かせられるのは自分ではないのだと痛いほど自覚させられ、また心が悲鳴をあげる。
眉根を寄せた白澤に、静寂を貫いていた鬼灯が口を開く。


「貴方の言いたいことは大体わかりました。ですが…私も譲るつもりはありません」
「…なまえちゃんを迎えに来るのって明日だっけ」
「……ええ」
「じゃあそれまでの時間、僕に頂戴」
「白澤さん、私は……」
「…お願い」


鬼灯の言葉を聞き、あえかに笑んだ白澤は、なまえに向き直るとそう告げた。
迷うように視線をさまよわせていたなまえは懇願をふくんだ声音と眼差しを注がれ、小さく頷く。
ありがとうとつむぐ声にぎゅっと胸が締め付けられるのを感じながら、なまえは只々さざめき立つ心を鎮めようとまぶたを伏せたのだった。


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