お日様を溶かしたような黄色をフライパンに流し込み、気泡が浮かび上がったところで手際よくくるりと巻いていく。ことことと鍋から漏れるにぎやかな語らいと鼻をくすぐるいい匂いに頬をゆるませつつ、卓上に3人分の食事を並べた。 「わ、美味しそうだね!」 「やっぱりなまえさんって料理上手いんスね」 「いえそんな、少し力が入りすぎちゃったみたいですみません…」 「うーん、お腹空いてきた……ね、もう食べて良い?」 「白澤様前まですごい偏食だったのに、女の子が作ったってだけでこれだからなぁ…」 「お役に立てたのなら嬉しいです」 久方ぶりに振るった料理が誰かのためであること、誰かの口に入ること。そんなささいな事実がたまらなく嬉しくて妙に気合いが入ってしまった。 瑞々しく滴を弾く野菜を盛り合わせた皿を運びながら照れくさそうにはにかむなまえに、白澤はだらしなく弛んだ顔を向ける。 準備が整った食卓は、胸をやさしくくすぐられるようなあたたかい空気に満たされていた。3人揃って手を合わせ、箸を伸ばす。きっとこれから単なる日常となる朝の光景が、なぜだか特別な空間に思えて仕方がない。 淡くほぐれていく心を感じながら、彼らのやわい笑みにそっと眦をほころばせたのだった。 * 朝食を終え、店を開ける時間となった。大釜にはどろりとした液体がぐつぐつと煮えたぎり、小さな薬局の中に薬のにおいがあふれる。 早速怠ける体勢に入る白澤を叱る桃太郎、という彼らの茶飯事を垣間見て苦笑しながら、なまえはふと視界にちらつく液晶画面へと目を向けた。 「あ…」 「…これ、なまえさんのことですよね」 「みたいだね。やっぱりニュースにもなるかぁ」 本来居るはずのない、居るべきでない生きた人間が地獄の中枢である閻魔殿に身を置いていたということが、どれほどの影響を与えるかなまえは知らない。しかし現状ではこの報道が地獄、ならびに天上に位置する此処の住人の目を集めていることは確かだ。 遠目に映し出された閻魔殿を見て、また胸を軋ませる痛みになまえはまぶたを伏せた。 「そういえばこの話題、ここのテレビ局でしか放送されてないんだよね」 「どういうことっスか?」 「まぁアイツが手を回したんだろうね、ひとつに絞れば圧力もかけやすいし」 「…鬼灯さん」 通常の職務でさえ彼の目元に隈をつくるのに、更なる負担を、他でもない自分がかけてしまっている。 それを改めて目の当たりにして、またたく白光の元にさらされた彼を見つめた。 報道陣の詰問に淡々と答えていく鬼灯をただ見守るしか出来ないことに歯がゆさを覚える。今にでも駆け出して彼の隣に立ちたいと思ってしまう心を胸の奥にぐっと仕舞い込んで、それを塞き止めるように息を詰める。 そんな彼女をちらりと横目に見た白澤は、天敵を収めるそれから彼を消し去るように電源ボタンを押し込んだ。 途端に戻ってくる安寧とした気配を認めたあと、白澤は鮮やかな萌葱をした鍋の中身をぐるりとかき回しつつ口を開く。 「そういえばさっきの朝ごはんすごく美味しかったよ!卵焼きもちょうどいい甘さだった」 「あ…それならよかったです。白澤さんは辛い方がお好きだとうかがっていたので心配だったんですよ」 「なまえちゃんはきっといいお嫁さんになるね」 「えっ?」 「このままウチに嫁いじゃえば〜?」 「は、白澤さん」 「アンタまた…懲りないですね……」 真に受けるべきなのか受け流すべきなのか、決めかねるように困ったような笑みを浮かべるなまえの頬はかすかに桃色を帯びている。 先ほどまで彼女の肌を彩っていた、ぬくもりをなくしたような白が塗り変えられたのを満足そうに見つめた白澤は、傍らに佇む彼女の頭をそっと撫でた。 「白澤さん?」 「なまえちゃんにそんな顔は似合わないよ。ずっと笑ってて欲しいなぁ」 「……ありがとう、ございます」 ふんわりと髪の表面を撫でつけたあと、ゆるく梳くように指先を流す白澤の手つきはやはりこなれている。 力加減を間違えたように時折くしゃりと髪を乱す鬼灯の仕草とはまた違ったそれに、なまえは内心落ち着かなかった。 どこか緊張したように身体を強ばらせるなまえに気がついたのか、苦笑をもらした白澤は彼女のつややかな髪を優しく耳にかけるように指を沿わせると、ゆっくりと手を離した。 「……よく言えますね、あんなくさいこと…ちょっと寒気が」 「な、桃タロー君ひどいな!」 「でも…俺も、なまえさんの悲しそうな顔は見たくないっス」 「!桃太郎さん」 「……あ、あはは何か照れますね!」 「あれー?顔赤いよ桃タロー君」 「白澤様と違ってこういうの言い慣れてないんですよ!」 らしくない言葉を口にして照れてしまったのか、赤らめた顔をはぐらかすように目を泳がせる桃太郎と、彼をここぞとばかりにからかう白澤。 地獄とはまた異なった心地の良い時間が流れゆくこの店を大切なものだと想うのにそう時間はかからなかった。じわじわと沁みゆく彼らの存在を胸に抱いて、なまえは気合いを入れ直すようにこぶしを握りこんだのだった。 そうして店の手伝いをしながら過ごし、空に輝く太陽も真上を通り過ぎた午後のこと。 薬を煎じることも出来ないなまえは店に訪れた客の後ろ姿を見送りつつ、薬研で薬草を挽く桃太郎の手元をのぞき込んだ。 「桃太郎さんは薬剤師を目指しているんですか?」 「はい、一応…手に職はつけておこうとと思いまして」 「そうですか……すごいなぁ、私将来のこととか深く考えてませんでした」 「え、なまえさんは獄卒になりたいんじゃないんですか?」 「それは…」 成り行きで鬼灯の傍らにいたので獄卒の職務に理解はある。ささやかながらなまえだって力になってきたつもりだ。 しかしそれはあくまで身を置く場所が閻魔殿だったからで、…ひいては獄卒まがいの仕事をすることが鬼灯に恩を返すことになると考えたからで、なまえ自身がそれを志していた訳ではない。 ゆえに、真剣に薬剤師を夢見て白澤の元指導を受ける彼に尊敬の念を抱き、羨ましくもあるのだ。 ただ大切なひとたちがいるという理由だけで彼処を離れたくないと望む自身が浅ましいとすら思ってしまう。 表情を沈ませるなまえを弱ったように見やった桃太郎は、助けを求めるようにのんびりと椅子に腰をおろしていた白澤に視線を移す。 救援を求める彼の眼差しを受けて、白澤はゆっくりと口を開いた。 「じゃあこのままここで、薬剤師目指してみたらどうかな?」 「えっ?」 「そしたら今地獄で起きてるごたごたも解決するだろうし、なまえちゃんの将来も決まるし一石二鳥じゃない?」 「……」 「ちょ、ちょっと白澤様…!」 「僕としてはなまえちゃんと一緒にいられて嬉しいし」 「私…」 驚いて白澤を見つめても、彼はにこやかに微笑むだけでその真意を知ることは出来なかった。なまえの逃げ場をつくっているようで退路を絶ったようにも感じられるその科白は、じんわりと、着実に彼女の胸を巣食っていく。 なまえがあの場所に、鬼灯の隣にしがみついていることが彼の重荷になっているのなら、白澤の言うとおりずっとこの店で過ごすべきなのだろうか。 そう思案を巡らせて、あのやさしい鬼神や友人たちの側にいられない未来など考えもしなかったことを思い知る。 この世界に落とされて、永遠も悠久もないのだと散々心に刻んだ筈だ。現に今、確かになまえの居場所が脅かされている。 彼らにとって最善は何なのだろうか。 もう少し視野を広げてみるべきなのだろうか。 ゆらゆらと揺れ動く心を抱え、なまえは惑うように瞳をさまよわせる。 そんな彼女をちらりと流し見た白澤は、その黒紅の虹彩をゆるやかに和らげたのだった。 |