花盗人は何処 | ナノ




にっくき宿敵と別れ、白澤の領域に足を踏み込んでもなお彼を乞うようにたゆたうなまえの眼差し。口元を笑みが彩っていても時折のぞく影を認めると、白澤は彼女の気を引くようにのどをふるわせた。


「よし、じゃあ店の中を案内するよ」
「あ…はい、よろしくお願いします」
「うん」


白澤のわずかに弾んだ声色に、なまえは鬼灯を隠してしまった萌葱色の隙間に巡らせていた視線を剥がす。
一度訪れたことのあるその店は草を踏みしめたあとの、青々としたにおいに満ちていた。
祖母が住む山間の村を思い起こすその香りは胸いっぱいに吸い込みたくなるような魅力を秘めている。

天井から吊り下げられた萎びた薬草や棚に詰め込まれた様々な草色を眺め、未だ垣間見たことのない店の奥へと誘うようになまえの手を取った白澤に付き従った。


「なまえさん」
「桃太郎さん!これからお世話になります」
「いえいえ…って白澤様、ちゃっかり手繋いで…鬼灯さんにぶっ飛ばされますよ」
「いーじゃん、アイツもう帰ったし」
「鬼灯さんからちゃんと頼まれてますから、好きにはさせませんよ」
「うわぁ、用意周到っていうか腹立つくらい抜け目ないな……」


住居へと続いているだろう朱塗りの扉を開けた向こう側でなまえを迎え入れてくれたのは桃太郎だった。夕食の下拵えでもしているのか台所に立つ彼の背中は随分と様になっている。

彼曰く鬼灯の目がないところで白澤が悪さをしないよう言いつけられているらしく、その事実に寂莫が立ちこめていた胸がぬくもりを取り戻す。離れていても彼の痕跡はどこかにあるのだ。そう思い直し、彼を求めて袂に心地よい重みを伝えてくれるそれに手を伸ばした。


「あれ、携帯なんて持ってたんスね」
「あ…これ、鬼灯さんに頂いたんです」
「へー、そういえば鬼灯さんのやつと色違いだな……」
「それが気に入らなかったら僕が別のを買ってあげるからね!」
「ありがとうございます。でも私、…これがいいんです」
「……振られましたね」
「……」


なまえにとって小さな電子機器が、きらめく金銀財宝より何よりの宝物だった。白澤の厚意にふわりと笑みながらもゆるくかぶりを振ったなまえは、手の中にある冷たい固まりにやわらかな眼差しを寄せる。

それを通して誰かを想う彼女の瞳はひどくあたたかで、けれども他人が見てはいけない何かがふくまれているようなものだった。
そう、例えば初恋のひとをひそかに想い続けるようなひたむきさと、かすかに甘く揺れる心を秘めている気がしてならなかったのだ。

思わず目を逸らした桃太郎をよそに、白澤はきゅっと大切そうに彼女の手に包み込まれた携帯にいじけたような視線を送りつつ、なまえの腕を引いた。


「一応こっちも案内するよ」
「はい」
「あ、ちょっと待って下さい俺も行きます」
「ええー」
「白澤様となまえさんを寝室で2人きりになんて出来ません」


不満そうに唇を尖らせる白澤を桃太郎はぴしゃりといさめ、3人で立ち入ったのはどうやら寝室のようだった。大きな窓からこぼれる日の光は目映く、なまえの肌を麗らかに撫でる。それに隣接するように備え付けられたベッドはお日様をしっかりと吸い込んでいて、やわらかく身体をくるんでくれるだろう。
部屋を見回したなまえの肩を優しく引き寄せた白澤はにこやかに笑みを浮かべながら口を開いた。


「じゃあ今日からここで寝ようか」
「へ?でもここ誰かのお部屋じゃ……」
「うん、僕の。だから一緒に寝よう?」
「ええっ」
「白澤様…アンタな……」


軽薄な笑顔をかたどり軽薄な科白でなまえを誘う白澤に赤面するやら青褪めるやら、まぶたをまたたかせていた彼女は次いでやわく微笑んだ。
そうして先ほどの言葉を思い起こす。"一応"案内すると、白澤はそう言ったのだ。
なまえが長く居座ることになる部屋に対してそんな言い方は適切ではない。

つまりはなまえをここに泊まらせる気はなかった筈だ。なまえと桃太郎をからかったのか、それとも本当に彼の自室で眠る流れになれば万々歳だとでも思ったのか、結局のところ白澤の戯れなのだろう。

そう考えを巡らせて、なまえはゆるく頬をやわらげたまま首を傾げた。


「白澤さん、私をここに泊める気なんてないでしょう?」
「え?」
「その気があったら一応、なんて言葉使いませんもんね」
「…ばれちゃったか……やっぱり意外とするどいなぁ」
「……」


くすくすと笑いあう白澤がなまえを見つめて誰を想っているのかは察しがついた。鬼灯に明かしてもらった祖母と彼の思い出は、なまえの心の中でも色濃く残っていたからだ。
旧友を想い穏やかに瞳を細める白澤に、なまえまであの優しい祖母を追想する。

何か共通のひと、或いは心情を共有すると途端に心まで近づいたような気になってしまうのは何故だろう。
不思議と白澤との間に親密な絆がうまれたような気分になり、なまえはあたたかな笑みを深めた。


「本当はね、なまえちゃんの部屋は別のところにあるんだ。部屋っていうか元々納屋だったんだけど…ごめんね、この店狭くて部屋数が足らなかったんだよ」
「いいえ、置いて貰えるだけでも有り難いです」
「そう言って貰えると助かる。おいで、こっちだよ」


優しく弧を描く口元を見つめながら、顔の造形は似ていても鬼灯とは随分と違うのだと改めて思う。
彼の笑みなど滅多に見られないし、親しげに手を包む体温は鬼灯のそれより温い。気安く触れるその仕草にも慣れが感じられて、やはり彼はここにいないのだと思い知らされた。

言葉を交わしているのは白澤なのに、どうしても鬼灯を想ってしまう自身にいささか嫌気が差す。
ずきん、とわずかに痛む胸には蓋をして、目の前の神獣に集中しようと視線を持ち上げた。


「ここ、好きに使ってね。掃除はある程度終わってるけどまだちょっと埃っぽいかな?」
「いえ、ありがとうございます!残りは私がやっておきますね」
「そう?じゃあお願いするよ」


店の裏手にあるほかほかと湯気を立ち上らせる温泉を通り過ぎ足を伸ばした先に、古ぼけた小さな納屋が佇んでいた。仙桃の木に囲まれたそれはすくすくと枝を伸ばし実りをつける緑を見守っているようだ。そこがなまえの寝所となるらしい。

簡素な木造の扉は軋んだ音を立てて開き、わずかに埃の舞う屋内は素朴ながらもあたたかみが感じられる。
そこを見渡したあと、なまえは不意にぽんと手を打つ。


「あ、明日からのことなんですけど…」
「うん?」
「私、お店のお手伝いをしていいですか?あとご飯も作らせて下さい!」
「えっいいの!?毎日なまえちゃんの手料理が食べられるの!?」
「助かりますけど……いいんスか?」
「はい!任せて下さい」


気遣うような桃太郎の眼差しとは対照的に、白澤はきらきらと輝かせた黒紅の瞳をなまえに寄せた。実直に喜びを表現する白澤は幾星霜を生きてきた神獣とは思えないほどにいとけない。
それにくすりと微笑みをこぼしつつ、なまえの手を楽しげに揺らす彼と苦笑を浮かべながら上司を見やる桃太郎を見つめる。

なまえはようやくのどかに凪いだ心を抱えながら、彼らふたりと過ごす日々を想ったのだった。


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