目の前に広がるのはところ狭しと並ぶ屋台や、狭い通りに詰め込まれ窮屈そうに行き交う人々。 提灯のオレンジ色が揺らめき辺りをあたたかく彩っており、その何の変哲もない明かりがなまえの瞳にはそれがひどく綺麗に映った。 鬼灯とふたり並んで見るその景色はどこか特別なもののように思えて、目に焼きつけるようにゆるりと瞬きをする。 「………」 「なまえ、口開いてますよ。どうしました?」 「……………いえ、お祭りってあの村での小さなものしか知らなかったので……」 鬼灯に指摘されて慌てて閉じられた小さな唇はゆるく弧を描いていて、彼女の高揚を表したようだった。 まどかな瞳には灯火の橙が弾けてまたたいている。きらきらと光を帯びるそれが星くずのようで、何故かとてもまばゆく思えた。 それに目を細めていると、もの珍しそうに周囲を見回していたなまえが不意にこちらを見上げて、思わずといった風にくしゃりと破顔した。 その明るく屈託のない笑みは初めて見るもので、一瞬目を奪われる。 祭りに参加出来ることがそんなに嬉しいのだろうか。 盂蘭盆祭りは地獄でも随一の規模を誇るが、それでも現世で催される名高い祭りにはかなわないだろう。それでもささやかな幸せを身体いっぱいに受け止めるなまえをいじらしく想いながら、人波に流されそうになる彼女の手首を捕まえた。 鬼灯にとっては毎年催される代わり映えのしない行事。 祭りは好むが、日付をまたぐ頃に大仕事が控えているだけの特別でも何でもない日だった筈だ。 しかしそこに彼女を織り交ぜるとどういう訳かこの上なく大事な日に思えて仕方がない。手のひらで包んだなまえのぬくもりが肌に伝わる感覚が、彼女の体温で塗り変えられたそこが殊更大切に思えてしまう。 「鬼灯さん何から行きますか?」 「そうですねぇ、金魚すくいは外せませんしたこ焼きに綿飴……」 「お面!お面買っていいですかっ」 一際無垢に見えるなまえは幼子のようにはしゃいでいて、くいくいと鬼灯の腕を引きながら人混みをかき分けていく。 彼はその純朴な笑顔を切り取るように記憶に仕舞い込んで、彼女の後を追った。 「あっ、あっちに水風船ありますよ!」 「はいはい、はしゃいで転ばないでくださいよ」 彼女に手を引かれるままに祭りをひと巡りし、両手に収まり切らないほどの戦利品を抱えながら歩みを進める。 なまえの顔に灯った笑顔は消えることなく2人を取り巻くざわめきや鬼灯に寄せられている。彼女と瞳がからむと、つられるようにして彼もふっと眦を和らげた。 「あ………」 「何ですか?」 「いえ、何でもないです!えへへ」 「その気色悪い笑いをやめなさい」 「き、気色悪い………」 歯に衣着せぬ物言いにぶつぶつと文句を呟きながら、なまえは先ほどのあえかに細められた瞳を思い起こす。笑顔とは到底呼べないそれは仏頂面をやわく飾りつけていて、なまえに注がれる眼差しはひどくあたたかなものだった。 周囲の賑わしい雰囲気に触発されたのか、それとも肩を並べる鬼灯との時間がどうしようもなく胸を弾ませるのか。 なまえはふわふわと浮いてしまえそうな気分に包まれたまま、温くなっていく胸に手を当てる。 そこを満たすこそばゆい感覚に促されてそっと隣を見上げると、彼を視界に捉える前にその力強い腕によって身体を引き寄せられた。 「わっ」 「……」 背後を子供たちが駆けていく気配を尻目に、なまえはようやく手を握られていることに気がついたかのように瞬きを増やす。 望月を思わせる彼女の丸い瞳はふたりの間で揺れるそれを食い入るように見つめていた。 「余所見していたら危ないでしょう………なまえ、どうしました?」 「い、いいいえ、何でも……」 「吃り過ぎです。……?もしや今更気づいたんですか」 「…はい……」 寄せた身体や常より近いその距離よりも、彼女がじっと凝視していたのは大分前に重ねた手のひらで。 少々周りが見えなくなることのあるなまえにしても鈍い。そう思い見下ろすと、ちょうどこちらを仰いでいた彼女は鬼灯と眼差しが触れ合った刹那、弾かれたように顔をうつむかせて肩をすくめた。 束をつくる絹髪からのぞいた柔らかそうなその耳たぶはほのかに赤く色づいている。 くるんだ手の温度もじんわりと火照っていく気がして観察するようになまえを見据えると、ふらふらと視線を泳がせた彼女は囁くような声を落とした。 「何か……落ち着かない、ので手を離してもいいですか…?」 「ですが、はぐれたら見つけられませんよ」 「で、でもやっぱり……ごめんなさい!」 「あ」 半ば強引に振りほどかれた手は夜風にさらされて冷えていく。 なまえの鬼灯よりも温かい肌が心をなだらかにしてくれていたのだが、今はそれが嘘のようにさざめいていた。 ざわりと騒ぎだす心中に目を眇めていると離ればなれにならないようにか、鬼灯の袖を指先でつまむなまえに意識を戻される。きゅっと袖を握るその仕草がしおらしく、また彼の内側をくすぐっていく。 忙しない心情の変化に息をつくと、鬼灯は唇を結んだまま足を進めた。 「………………」 「………………」 「………他に見たい屋台は?」 「あ、えっと……」 鬼灯と手を繋ぎ合っていると改めて自覚した途端、理由もわからず熱をためる頬や波打った胸。 そのどれもが粉砂糖をひとつまみ降りかけたような甘さをふくんでいるものだから、妙にそわそわとして気が休まらなかった。ゆえに手を離すよう申し出たのだけれど、代わりのようにうまれたのは奇妙な軋み。 騒々しい周囲に取り残されたように、ふたりの間に静寂がたゆたう。 気まずさを覚えて手持ち無沙汰に漆黒色のさらりとした布地を指でなぞっていると、不意に落とされた問いを受けなまえは焦ったように視線を巡らせた。 「あ、茶粥なんて珍しいですね」 「………彼処は…」 「鬼灯さん?どうかしたんですか?」 「いえ、いい発散になるかもしれません」 「へ」 おもむろに歩み始めた鬼灯の背を追うと、彼は茶粥が並べられたそれとは反対側の出店に足を向ける。 弓当てと掲げられた看板に瞬きをひとつしてから往来の向こう側を見ると、大鍋に盛られた粥からほかほかと湯気が立ちのぼっている様がよく見えた。その薬膳の屋台に立つ主に目を凝らしたなら、なまえもよく知る彼を認めることが出来た。 ほがらかな笑顔を女性へ贈るのは白澤で、傍らには桃太郎の姿もある。 2人の存在を鬼灯に教えようと振り返ると、目に飛び込んだのはきりりと弓の弦を引いた彼。その鏃は明確に宿敵である神獣に狙いをつけていて。 止めようと口を開くが無念にも間に合わず、なまえは光のように白澤に向かって空間を裂いていく矢をただ見守るしか出来なかったのだった。 「あっぶねぇぇ!オマエ女の子に当たったらどうすんだ!!」 「だ、大丈夫ですか?」 「あ、なまえさん……やっぱり鬼灯さんといたんだ」 「?やっぱり?」 「いやさっきシロたちが来てて、なまえさんたちを見かけたらしいんですけど2人がいい雰囲気だったから声かけられなかったって」 「え!?」 桃太郎の科白に思わず鬼灯に視線をうつすけれど、彼が見せたのは仏頂面のみで、その本心は見えない。 何となく気持ちが萎んで地面に瞳を落とすと、追い打ちをかけるように白澤の喜々とした声色が降り注ぐ。 「まあ見間違いだったんでしょ、恋人っていうより飼い主と犬っていうか―……」 届きかけた白澤の言葉にぴくりと肩をふるわせた時、がつん、と鈍い音がその場に響く。かえるがつぶれたような声と共に倒れ伏せる豪快な音に顔をあげれば、白澤の姿が屋台から忽然と消えていた。 まぶたをまたたかせると、突きだしていた拳を何食わぬ顔でおさめた鬼灯を見つけて合点がいく。何がお気に召さなかったのかは定かではないが、彼の強烈な一撃が白澤を退場させたらしい。 彼の奇行に呆気に取られ、先ほどちくりと痛んだ胸になまえが心づくことはなかった。 苦笑いを浮かべていると、鬼灯にさっと手首をさらわれる。 「もう0時が近いので移動しますよ」 「え、あ…確かお仕事があるんでしたっけ」 「ええ。腕が鳴ります」 「じゃあ桃太郎さん、私たちはこれで。あ、白澤さんによろしくお伝えくださ…」 「早く行きますよ」 何故だか機嫌が芳しくない鬼灯に引きずられるようにしてその場を離れるなまえを、桃太郎は黙って見送る。 2人の後ろ姿をぼんやりと見つめていると、いつの間に復活を遂げたのか、ひょっこりと顔をのぞかせた白澤が少女の隣で揺れる逆さ鬼灯を厭わしそうに睨みつけた。 「うわ、白澤様!」 「あーあ、悪い虫がついちゃった」 「いやそれを言うならアンタの方がずっと悪い…」 「タチが悪いって言ってるんだよ」 「はぁ……でも鬼灯さんはなまえさんの上司で、保護者みたいなもんだったじゃないッスか」 「それは前までの話だろ」 桃太郎は、まるで今は違う、とでも言いたそうな眼差しを流す白澤を見下ろし、次いで2人が雑踏に紛れて見えなくなった方角に目をやる。 白澤は人垣を透かすように瞳を細めていたが、やがて諦めたように浴衣美人を目で追い始めたのだった。 |