視察ついでに天国へ赴き、薬を貰おうと極楽満月へ寄ることにしたなまえは仙桃の木の葉や草花が穏やかな風になびかれて揺れる道を進んでいた。 眩い光に目を細め、鮮やかな緑を楽しみつつ歩いていると、何やらにぎやかな声が道の先から聞こえてくる。 首を傾げて目を凝らせば鬼灯と白澤、桃太郎たちが話し込んでいるようだった。 声をかけようと口を開いたとき、おもむろに白澤の手を取った鬼灯がすう、と深く息を吸い込んで… 「バルス!!!」 「えええ!?ちょっと鬼灯さん!?」 握り潰さんとばかりに力の込められた手のひらからメキメキ、と嫌な音が聞こえ、痛みに悶絶する白澤に慌てて駆け寄る。 第二補佐と兼任している記録課は書き取りの速さも重視される部署なので、年中腱鞘炎と戦っている者も多い。いつも購入している痛みを和らげる漢方薬を受け取りに来たのだけれど、まさか鬼灯と、しかも白澤との喧嘩の最中に鉢合わせるとは思ってもいなかった。 おやなまえ、と小さく首を傾ける鬼灯に呆れ混じりの吐息をつきながら白澤に向き直る。 「大丈夫ですか?すみません鬼灯さんが…」 「大丈夫ではないけどなまえちゃんのせいじゃないし……。そう、僕の手は男の硬い手じゃなくてなまえちゃんみたいな可愛い女の子の柔らかい手を握るためにあるんだ!」 「わ、白澤様」 「さっきその柔らかい手とやらでブン投げられてましたけど……」 桃太郎の突っ込みを他所に、鬼灯から施された痛みなど忘れたかのようにぎゅっと手を取られて困ったように笑えば、背後に黒々とした靄をずん、と背負った鬼灯の力強い手刀が白澤の手首を襲った。 ぼき、と骨の折れるような嫌な音を響かせた白澤が地面をのたうちまわるのに苦笑していると、眉間にしわを寄せた鬼灯に手を包まれる。舌を打ち、顔に深く影を落とした鬼灯は白澤がなまえに触れることすら許したくないようだ。 するすると手のひらや甲をさすられながら顔を覗きこまれる。 「また消毒しなければならないじゃないですか…なまえ、平気ですか?腐ってませんか」 「こら鬼灯さん」 あまりの言い草に叱るように着物の袖を引くと、不服そうにかすかに曲がる唇が少し幼い。くすりと笑みをもらすと、誤魔化すようにまだ握られている片手をぐりぐりと擦られる。それがまたいとしくて、ゆるゆると頬がほぐれていくのが止められない。 気を取り直したのかやがて立ち上がった白澤に鋭い切れ長の瞳を向けながら、鬼灯が口を開いた。 「…忠告しても無駄でしょうが貴方いつか奈落へ堕ちますよ」 「それより金丹の代金5千元……10万円でいいよ」 「金額盛ってんじゃねえぞ」 「高いですね…もう少しお安くなりませんか?」 「じゃあ5万円でいいよ!」 なまえの一言に原価を下回る値段を口にした白澤は、にこにこと明るい笑顔を咲かせながらなまえを見下ろす。 白澤の変わり身の速さに桃太郎は呆れるやらこんなのが上司でいいのかと不安になるやら、重たいため息を吐き出した。 「…ああ、あと高麗人参もください」 「それはあっち。獲ってくるよ」 「あ、雑用なら俺が…」 「よいのです、アレに獲りに行かせなさい」 「…鬼灯さん、何か企んでませんか?」 訝しむなまえの言葉にちらりとこちらを見やった鬼灯は、彼女を黙らせるようにそのやわい唇へすっと人差し指を当ててから白澤に視線を戻す。 なまえはわずかに触れた鬼灯のあたたかい指先にほんのりと頬を赤らめ、白澤へ忠告しようと開いた口をつぐんでしまう。 こうしてしまえばなまえが何も言えなくなるとわかっていて指を重ねたのだろう。敵わないと思いつつ白澤の動向を見守った。 「白澤さん一つ言います、由緒ある神獣でもバチは当たりますよ」 「当たらないもーん。むしろお前に当たれ」 「…あ」 そう憎まれ口を叩きながら白澤が足を踏み出したその地面にべきりと亀裂が入る。 なまえが気がついた時にはすでに遅く、あっという間に広がった穴に吸い込まれていった白澤に叫ぶ桃太郎の声を聞きつつ、この2人の仲の悪さは一生治らないのだろうと頬を引きつらせた。 地獄まで繋がってしまったらしいぽっかりと出来た暗闇をのぞきながら乾いた笑みを浮かべる。 「これが本当の奈落の底ってね」 「鬼灯さん…この落とし穴一体いつ…」 「6時間不眠不休で掘りました」 「ちゃんと寝てください!!隈があるなぁと思ったら…もう!」 仕事で徹夜をしたのならまだしも、ただの嫌がらせに隈までつくられたのでは堪ったものではない。 目元に薄っすらと影をつくる鬼灯を心配して詰め寄ると、なだめるようによしよし、と頭を撫でられる。 頭上をやわらかく往復する手のひらにう、と言葉を詰まらせ、上手く丸め込まれそうになりながらもきゅっと眉を寄せて鬼灯を見上げるなまえ。 そんな2人の様子を見て、何かを思い出したように桃太郎が声をあげる。 唐突に背筋をしゃきっと伸ばした桃太郎に目を丸くしたなまえへ向かって、彼は勢いよく頭を下げた。 「その節はいろいろとご迷惑をおかけしました…!刀なんて向けてしまってすみませんでした!」 「ああ、いいえ。天職が見つかってよかったですね」 「はい、ありがとうございます。…お2人は夫婦だったんですね」 「ええ。羨ましいでしょう」 「……なんか直球に言われると認めたくないんですけど…」 夫婦だと言われることに未だ慣れていないのか、ぽっと頬を桜色に上気させるなまえは見ていて男心をくすぐられるものがあるし、羨ましいかそうでないかと問われれば…それは羨ましいけれど。 無表情なりに感情をにじませた、優越感に浸ったような声色でそう訊ねられると素直に頷き難い。 「お前のなまえちゃん溺愛振りは異常だ…」 「お早いお戻りで」 「白澤様、大丈夫ですか?」 苦しげに喉の奥から搾り出された声に振り返ると、清潔に保たれていた白衣はぼろぼろに汚れ、至る所に擦り傷をつくった白澤が下から這い上がってきていた。 地獄からどうやって、と首を傾げるなまえを横目にどこからかスコップを取り出した鬼灯は、ボロ雑巾のようになった白澤を蔑むように見下し、手に持ったそれでぺしぺしと手のひらを打つ。 「貴方が人間ならとっくに大量受苦悩処地獄へ堕ちているでしょう…いやあ徹夜した甲斐があった」 「薬代払ってとっとと地獄へ帰れ!!」 白澤の叫びに心の中で何度も謝りながら、鬼灯がこれ以上力に訴える前に、と抱き込むように彼の腕を捕まえたのだった。 |