恋しぐれ | ナノ




薄らと霧のかかる上空からおぼろげに降り注ぐ光もその役目を終え、天上では太陽が沈む時分。通常ならばこれから残業だと再び机に向かうところなのだが、今日は動物獄卒たちから誘われた忘年会の日だ。
といっても地獄では盆くらいしか時間が取れないため、いささか気に障る蒸し暑さの中での宴会となるのだが。

その会場へと向かう道すがら、なまえは肩を並べる鬼灯を見上げた。


「楽しみですね、忘年会」
「ええ、なかなか話を聞けない獄卒たちもいるので交流を持つ良い機会になりますね」
「最初ツチノコさんたちに会った時は驚きましたよ」
「そうですねぇ、私の夢のためにも動物獄卒はまだまだ採用していきたいです」
「ふふ、ムツゴロウさんですか?」


鬼灯が未確認生物ですら獄卒に採用しているのはささやかなたくらみがあるからだった。
動物や妖怪やUMAに囲まれ、その中心で彼らと戯れる鬼灯……そんな絵面がなまえの頭の中に浮かび、思わず笑みがもれる。

動物好きな鬼灯らしい目標だけれど、隙がなく周囲には気が抜けたような安らいだ顔を見せないだけに、それを垣間見ることが出来るやわらかな毛皮やあたたかな体温、ぬらりと光る鱗を持つ動物たちがうらやましく思えてしまう。

曲がりなりにも彼の隣を許されていながら、それでも鬼灯に無条件で受け入れられる動物たちを羨んでしまうほど彼の存在はなまえの心を大きく占める。
すべてを占領し呑み込まれてしまう日も遠くないのではないかと思ってしまうくらいに。

なまえの瞳に映るわずかな羨望の色を認めた鬼灯は、小さく首を傾げた。


「どうかしましたか?」
「い、いえ何でもありません」
「なまえは本当に嘘をつくのが下手ですね」
「……う…」


誤魔化したいことがある時や嘘をつく時、ぎこちなくふらりと瞳を漂わせるその癖はいつまで経っても治らないようだ。
鬼灯のそれと重なることのない瞳にゆるくため息をついた彼は、もう目と鼻の先に迫った宴会会場から隠れるように岩陰へと彼女の手を引いた。


「それで、どうしたんですか?」
「あ、あのもう時間が…!」
「ええ、ですからなまえが大人しく白状して下されば遅れることもありませんよ」
「!………ええと…」
「はい」


律儀ななまえの性格からして宴会に遅れるという選択肢を選ぶとは考えられない。
そう思案してのことなのだろう、なまえの言葉の先を促すように手首を捕らえる鬼灯の手に淡く力が込められていく。
有無を言わせぬような鬼灯の態度とは裏腹に、なまえを縫いとめる視線はひどくやわらかかった。

背後には強固な岩、眼前にはなまえの心臓を煽って仕方がない彼。双方に挟まれて逃げ場を失ったなまえは、頬を桜色に染めながら気恥ずかしくて仕方がない内心をこらえて口を開いた。


「羨ましくて…」
「誰がです?」
「……動物さんたちが、です」
「………」
「あっ、その顔はわかってたでしょう…!」


わずかに片眉をあげてなまえのはじらう表情を眺める鬼灯はその濡羽の瞳に愉悦の色をゆらりと立ちのぼらせてこちらを見つめている。

またもや彼の策略に容易く嵌まってしまったなまえはきっと眼に力を入れて鬼灯を睨むけれど、如何せん身長の差があるので上目に見つめられているようにしか思えない。
彼女が見せてくれる数多の気色の中でもこの拗ねたようなそれは鬼灯が気に入っている表情のひとつだ。ゆえにいささか意地の悪いこともしてしまう。

だんだんと不貞腐れたように目を眇めていくなまえの機嫌を取るべく、彼女の頬をゆるく撫でる。


「すみません、なまえの口から聞きたかったんですよ」
「…呆れませんでしたか?」
「まさか。…貴女に想われて、嬉しくない筈がないでしょう」
「………」


おもむろに身体を離してすでに賑々しい会場へと歩みを進めながらぽつりと落とされた科白になまえはまぶたをまたたかせる。
優しい響きをふくんだ声色に胸の中がじんとあたたかいものに包まれていく感覚に浸りながら、常よりわずかに歩調を速める鬼灯を追ったのだった。





シーラカンスやツチノコに八岐大蛇、チュパカブラに河童など、世にも珍しい動物たちが集合する一角。その傍らで升を傾ける鬼灯と、胡瓜を口に運ぶなまえは石塊の上に腰をおろし彼らとの歓談に勤しんでいた。

鬼灯の手にある器から酒がなくなると、言葉を交わすことなく徳利を差し出すなまえは手慣れた様子で酌をする。時折見計らったようにつまみを鬼灯に勧め、また談笑に戻るなまえは一連の動作を意識の外から行っているようだ。
それを当然のように受け入れる鬼灯からも2人の仲が密なものだとうかがえる。


「仲良いですよね、お二人」
「えっ?あ、これはその………よく晩酌にお付き合いしているので癖のようなものなんです」
「へぇ、いいですねぇ……お嫁さん欲しいなぁ…」
「シーラカンスさんならすぐ良い女性が見つかりますよ」
「女性というか雌ですけどね」


気恥ずかしそうに肩をすくめたあと、水たまりから動けないシーラカンスの口元に食物を持っていってやるなまえは鬼灯だけでなくその場全体に心を配っているようだ。
この宴会だけではない、彼女が隅々まで気を遣い配慮してくれているおかげで、今日まで特に不満を抱くことなく獄卒を務められていることに皆気がついていた。

なまえの腕に抱かれた芥子は感心したように瞬きをしてそのつぶらな瞳を彼女に向け、愛らしい鼻をひくひくと動かした。


「私、なまえ様のような女性になりたいです!」
「え?どうしたんですか、芥子さん?」
「腕っ節ではない強さ…なまえ様のように芯のある女性は素晴らしいと思うんです」
「ふふ、ありがとうございます……でも芥子さんは今のままでも充分素敵な女性ですよ」
「そ、そうですか?」
「芥子に負けないように俺らも頑張らなきゃな!」


なまえの言葉に照れたようにぽっと朱色が差した頬を押さえる芥子の頭をやわく撫でると、2人のやり取りを見守っていた周囲が俄然やる気に満ちたように沸く。
彼らを見て目を丸くしたなまえも、一層賑やかになった動物たちにつられたように顔をほころばせた。

陽気に騒ぐ彼らに囲まれながら自然と瞳を引き寄せられた鬼灯とお互いを見交わすと、くすぐるような眼差しを触れさせたまま2人は静かに寄り添ったのだった。


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