恋しぐれ | ナノ




「茄子さん、唐瓜さん」
「なまえ様」
「あっなまえさんだー!見てくださいこれ、賞状!」
「わぁ、素晴らしいですね!おめでとうございます」


茄子に誘われた地獄芸術展。どうやら彼は唐瓜を題材にした絵画で金賞を取ったらしく、是非見に来て欲しいと声をかけられたのだ。
掲げられた賞状にぱちぱちと拍手を送ると、茄子は嬉しそうに笑う。
それに微笑み返しながら、なまえは懸念の種である2人に目を向けた。
実のところ、今日彼に会いに来たのは祝福をするためだけではない。背後で早速鬼灯に食ってかかるその人を茄子に紹介するというねらいもあった。


「釈然としねーなあ、なんで僕が絵習わなきゃいけないの?なまえちゃんがいることが唯一の救いだよ全く」


ぶつぶつとぼやく白澤は、少々癖のある芸術性を持ち合わせているため茄子から絵の描き方を習いに来たのだ。
というより鬼灯と桃太郎により半ば強制的に呼び出されたのだが、なまえには好まれても、ごく平凡な感性を持った者には受け入れられ難い絵柄をしているという自覚が当人にはないらしい。

納得がいかないように憤慨していた白澤は、取り合おうとしない鬼灯から救いを求めるようになまえへと顔を向けた。


「なまえちゃん、なまえちゃんは僕の味方だよね!?」
「えっと…誰の味方ということもないですけれど、私は白澤様の絵好きですよ」
「ほら!なまえちゃんはこう言ってくれてるぞ!」


きゅっと手を包み込まれて縋るように問われ、白澤の絵が好きなのは事実なのでふわりと笑みをこぼしながら頷く。
するとどこか誇らしげな白澤の言葉を受けた鬼灯が、なまえの手と繋がるそれを切り離すように自身の手のひらを割り込ませた。


「なまえの芸術的感性だけは信用出来ませんから、問題ないです」
「も、もう鬼灯さん!こういうのは好みの問題なんです!」
「そうだよ、なまえちゃんは僕の絵が好きなんだよね、大好きなんだよねー?」
「子供かアンタ」


突きつけられたいやらしく煽るような笑みに青筋を走らせた鬼灯の額を見て、傍観していた桃太郎は苦く顔を歪めた。
鬼灯には口先でも腕っ節でも適ったことが少ないにも関わらず果敢に向かっていく白澤には、どうやら譲れないものがあるようだ。

しかし生憎ここは公共の場。白澤たちの間でくすぶる火種を打ち消すべく諌めるなまえがいる限り大きな諍いにはならないだろう。
桃太郎はそう思惟しつつ、投げ交わされる鋭利な言葉たちを傍聴した。


「ですがそれは貴方の絵であって白澤さん自身ではありませんよね」
「お前なぁ…!」
「なまえが誰の嫁かお忘れでは?残念ながら負け犬の遠吠え程度にしか思えませんよ」
「鬼灯さんってば!こ、こんなところで変な喧嘩しないでくださいっ」


頬を愛らしい桜色に染めて袖を引くなまえにふっと瞳を細める鬼灯。
彼が白澤からの喧嘩を買ったのは天敵を言い負かすことも目的のようだが彼女のこの表情を見たかったのだろうな、と桃太郎は口元を引きつらせた。
全く仲睦まじい夫婦である。


「ところで茄子さん、貴方にお願いがあるんですよ」
「何ですか?また壁画とか…」
「いえ、白澤様のことなんですけど…」


お遊びはここまでというように手を打った鬼灯は、本題に移るべく茄子に向き直る。白澤に絵を教えて欲しいという旨を伝えれば、彼は悩むようにううん、と首を傾げた。
頭を捻らせた末に観察眼さえ鋭ければどんなに下手でも上手くなる、と明言した小鬼に、鬼灯と桃太郎は背後を透かし見る。
不躾に眺め回すような眼差しは白澤がその身にいくつもの目を持っているからだろう。


「…目自体はたくさんあるのに」
「どれ一つとしてまともに機能してるものはない訳ですね」
「お2人共容赦ありませんね…」


桃太郎など、曲がりなりにも上司だというのにこの言い様だ。
白澤の絵柄が劣悪なものだとは感じていないなまえからすると彼らの反応が不思議でならないのだが、ここで反論しようものなら鬼灯になじられるのは目に見えているため、口をつぐむことにする。


「でもね〜…なまえさんも言ってたけど、絵なんて好みだよ」
「なまえは置いておいて、この人のは好みがどうこうって次元じゃないんです」
「へえどんなの?」


鬼灯の言い草にむっと眉根が寄るけれど、もう何も言うまいと彼らのやり取りを眺める。
鬼灯が如何に白澤の絵が人に害をなすか茄子に把握させるために取り出したのは、桃太郎に言わせると象形文字でしかないイラストが添えられた生薬の資料だ。

それを一目見てきらきらと目を輝かせたのは茄子だけではなく、鬼灯の傍に寄り添うようにしていたなまえも同様だった。


「これいいよォ〜、俺こんな個性的なの描けないよ」
「こちらの金魚草なんてとても可愛らしいです…!」
「えっホント?照れるなあー」


3人輪になり白澤の絵について話の花を咲かせているのを横目で見やりながら、鬼灯はかすかに眉をひそめた。

本当に、なまえのこの感性だけは認められない一点だ。
脳をじわじわと侵食していく本能的な不快さをはらむこの絵柄に惚れ込むなまえについ風当たりが強くなるのは、白澤に向ける敵愾心と嫉心が縺れて自身にも解くことの出来ない想いに苛まれるからで。
弱ったような吐息をもらした鬼灯に桃太郎はまぶたをまたたかせる。


「なまえとは長年共にいますが、これだけは理解できません」
「鬼灯さんにもなまえさんのわからない一面があるんですね」
「まぁ夫婦といえど全て理解しあうのは難しいことですし、面白味もありませんが…」


その鬼灯に理解の及ばない部分に白澤が関わっていることがひどく癇に障る。胸の辺りに根深く蔓延る嫉妬を抱えつつも、楽しげに弾む笑みを浮かべるなまえを見ていると強くは責められず、そんなしこりも彼女の笑顔にいつしかほどけてしまうのだ。
どさくさに紛れてなまえの肩を引き寄せた薄汚い手を叩き落としながら鬼灯はゆるく息をついた。


「まァでも一つ確実なのは描いて上達するしかないってことだよ」
「そこで道具借りてやってみようぜ」
「じゃあ鬼灯様を描いてみよう!なまえさんも描きますよね?」
「え、私もですか!?えっと…」


用意された画材を前になまえはこくりと喉を鳴らす。散々自身の感性に難色を示した鬼灯の絵を描くなんて、とてもじゃないが出来ない。
断るべく首を横に振ろうとしたその時、ぽんと肩をたたかれて見上げた先に佇んでいたのは鬼灯だった。


「別になまえの妙なセンスが露見しても怒りませんよ」
「っていうか僕はなまえちゃんの絵好きだけどなー、誰かさんと違って理解出来なくないし」
「………いいですか、遠慮せずに描きたいように描きなさい。全て受け止めてみせます」
「な、何かその言い方釈然としないんですけど…!」


ぎろり、と人を射殺せそうな眼差しで白澤を刺し貫きながらそう呟く鬼灯は、対抗心からか半ば強要するようになまえを座らせる。
彼女の絵は多少独自の世界観が闊歩するだけで下手という訳ではないので、独創的な一面を包み込んでやれるだけの度量を持ち合わせていれば良い筈だ。
と、若干彼女に対して失礼な思考を巡らせながらも鬼灯は被写体として腰を落ち着けた。

暫くしゃっ、しゃっ、と鉛筆のこすれる乾いた音だけが空間を支配する。渋々ながら席についたなまえも真剣な面持ちでキャンバスに臨んでおり、時折眦がゆるんだり瞬きが増える様に目を惹かれつつ、鬼灯はその役目を全うした。

描き終わったのか顔を上げていく面々に先駆けて、白澤が自身の作品を鬼灯に向ける。


「はいイケメンに描いてやったぞ」


その科白を言い終わるや否や鬼灯の拳が画板を突き破り白澤の顔面に直撃する。
お世辞にも上手いとは言えない、白澤お得意の何か不安を掻き立てられるような絵だったのでその対応も当然なのだが、彼としては良く描けていると自負していたらしく、鬼灯が気に入らない理由に見当もつかないようだ。

次に見せた茄子の絵はまさにシュールレアリスムといった具合で、鬼灯が幾人も浮かんでいる様はどこか切なくさせるものだった。
茄子にしろ白澤にしろ、ひとに物を感じさせるというのはある種の才能と言っていいのかも知れない。


「で、なまえ」
「はいっ!」
「何緊張してるんですか、ほら観念して見せてください」


キャンバスを抱いたままなかなか見せようとしないなまえに射すくめるような目を寄せて一歩ずつ近寄る。
暫く無言の攻防が続いたけれど、鼻先にまで迫った鬼灯を上目に仰ぎ、彼女は諦めたかのように息をついて絵を表に向けた。
それを視界に捉えた皆はあれ、と首を傾げる。


「普通、だね」
「普通に鬼灯様ですねー」
「前不喜処の犬を描いたときはあんなに変だったのに!」
「唐瓜さんひどいです…」
「あ、すみません…」


唐瓜が驚くのも無理はない。不喜処の獄卒、シロを描いたときは奇妙な絵画が生み出されたというのに、鬼灯をモデルに筆を走らせた結果は健全な人物画が出来上がったのだから。

斯く言うなまえ自身も己の手から生み出されたそれが常人に衝撃を与えずに済んだことを不思議に思い首を捻っていれば、鬼灯は合点がいったように呟いた。


「愛の差ですかね」
「わ、私シロさん大好きですよ!」
「こんなとこでも惚気んじゃねーよ!なまえちゃんも突っ込むところ違うと思う!」
「案外当たっているかも知れませんよ」
「え、えっと白澤様、今度は自画像を描いてみたらいかがですか?」


愛情の差だなどと口にされて顔に熱が集まるのを感じながら、強引に話の方向を転換させると気の進まない表情をのぞかせながらも白澤は筆を取る。
そうして描き上げた絵を見た周囲の反応から、鬼灯のものと何ら変わらない、端的に言えば酷いものだったことが伺えた。


「今自覚した、すげえ認めたくないけど自分とあいつの顔のパーツが似てるってこと…」
「似てねェよ」
「確かに似てると言われれば似てますね…」


2人を見比べてひとつ頷いたなまえにまでそんなことを言われ、同時に顔をしかめた鬼灯たち。
表情だけは仲良く重なる2人に笑みをもらせば、鬼灯は不機嫌さを隠すことなくむすりと唇を引き結ぶ。


「なまえまでそんなことを言うんですか」
「雰囲気は大分違いますけど、造形で言ったら似ていますよ?」
「…はぁ、この白豚に近づいて欲しくない理由が増えました」
「あああもう、なまえちゃんにまで言われたら我慢できねーよ!お前整形しろ!」
「イヤですよ理由もないのに!」


そうして火蓋が切られた喧嘩はあっという間に大規模なものへと発展していく。
展示物や建物にまで被害が出るのを、桃太郎たちは冷や汗をにじませながら見ていることしか出来ずにいた。
この2人が顔を合わせた時点でこうなることは予想がついていたが、ここは公共の施設だ。純粋に展覧会を観に来ているひと達に迷惑がかかる。

2人を遠巻きに眺める周囲の輪から一歩前に出たなまえは、つかつかと鬼灯たちに歩み寄ると静かに息を吸い込んだ。


「こら!ここは公共の場です、他の方に迷惑ですから喧嘩なら表に出てやりなさい!」
「なまえ…ですが、」
「鬼灯さん!」
「………」


腰に手を当ててぴしゃりと鬼灯を叱りつけるなまえは厳しい瞳を携えている。そんな彼女を見つめながら暫く逡巡したあと、大人しく手にしていた彫像をおろした鬼灯に、桃太郎たちは感嘆の声をあげた。

冷徹で有能な補佐官も、今は嫁に頭が上がらない平凡な夫のようだ。
すっかり落ち着きを取り戻した鬼灯に、白澤はざまあみろと舌を出しながら茶々を入れ始めた。


「やーい怒られてやんの」
「白澤様もです!お2人で散らかしてしまった物を片付けてください!」
「……ちぇ、なまえちゃんに言われたら断われないよ」


お互いを刺すような眼差しで見交わしながら後片付けをする2人を監視しつつ、ふうとため息をついたなまえに、茄子が尊敬すらにじむ表情を象って駆け寄った。


「すごいねなまえさん、鬼灯様も白澤様も黙らせちゃうなんて!」
「いえ、お2人が自分たちの言動を見直されたからですよ」
「俺何にも役に立てなかったけど…いいインスピレーション貰っちゃった!」


ふわりと花を散らしたように屈託のない表情を咲かせた茄子が油粘土でつくりあげたのは、鬼灯と猫好好が共存する小さな像だ。
コラボしようと白澤に話を持ちかける茄子を他所に、鬼灯は嫌悪感を隠さず苦々しく顔を歪める。
取り繕うことなく心情を露わにする彼を励ますようにその腕に触れながら、なまえは困ったように笑ったのだった。


prev next