恋しぐれ | ナノ




今日は鬼灯が出演する報道番組の収録日だ。何度か訪れたことのあるスタジオの控え室に続く廊下を進むと、探していた黒い背中を見つける。
話しているのはプロデューサーだろうか、お互いに礼を交わしたのを見計らって近づいた。


「お疲れ様でした、鬼灯さん!」
「なまえ、来ていたんですか」
「はい、差し入れに」
「差し入れ?」
「鬼灯さんもどうぞ」


普段見せるそれより随分と明朗な、屈託のない笑顔で手渡された老舗和菓子店の包みに疑問が浮かぶ。
鬼灯さんも、ということはこれを渡したい本命が他にいるのだろう。満面をにこにことした笑みで彩り、機嫌のよさそうななまえを見て腑に落ちない想いを抱えながら鬼灯は口を開いた。


「で、本当は誰に会いに来たのです」
「あ…、ばれちゃいました?マキさんが同じスタジオにいるって聞いたので!」
「私はそのついで、ということですか」
「そんなつもりじゃ……鬼灯さん?拗ねないでください」


ふいと目をそらしながら拗ねてません、と口の中で呟く鬼灯を困ったように笑って諌める。そんな風に他愛ない話をしていた時だった。
鬼灯となまえを呼ぶ鈴の音を思わせる声が耳に届き、そちらを見ると慌てたようにぱたぱたと駆けてくるマキの姿があった。


「マキさん!デビューシングル聴きました、キャラメル桃ジャム120%!」
「なまえに勧められて聴いたんですが、シロさんも気に入ったようでエンドレスで歌ってます」
「ギャーッ聴かれてた!でもあれ自分ではどうなんだろうって思ってるんですけど…」


はは、と苦々しく顔を歪めながら口角を引きつらせるマキになまえはぶんぶんと首を横に振る。
マキの手をぎゅっと握ったなまえはきらきらと瞳をまたたかせながらいかに彼女の曲が素晴らしいか力説を始めた。
しとやかな声色には力が入り何だか迫るものがあるなまえの様子にマキはたじろぎながらも、こんなにも懇意にしてくれることがとても喜ばしく感じて、ふわりと微笑んだ。


「素敵ですよ、聴いていると元気が出ます!私大好きです」
「本当ですか?」
「ああ、なまえの芸術センスは信用しない方がいいですよ、常識から逸脱していますから」


何せあの見ているだけで生気を吸い取られそうな白澤のオリジナルキャラクター、猫好好すら可愛いと言ってのけるのだ、なまえの感性など信じられたものではない。彼女の芸術性は皆無と言っても過言ではないだろう。

鬼灯にさらりと告げられた科白は言外に微妙だと言っているようなものなのでは、とマキは眉をひそめるが自分でもそう思うのだから仕方がない。


「そうだ、この間は失礼しました……」
「いえいえ、清純・悪女とキャラがブレブレでしたけど天然路線で固定しましたね」
「何で私の芸能遍歴をやけにしっかり説明するんですか!?」
「マキさんにぴったりですよ!」
「なまえさん…ありがとう」


あの列車での件以来、マキとは偶に連絡を取り合っている。最初はなまえ様、なんて呼ばれていたけれど堅苦しいのは苦手なのでその呼び方はやめてほしいと頼むと、それをきっかけにすっかり打ち解けて今では楽屋に差し入れをしに行くほどの仲になった。
あの番組見ましたよ、とか今度イベントに出る、とか。取るに足らない話題ばかりだが、気の置けない友人になりつつある。


暫く和気あいあいと談笑をしていると、記者が来たらしくマキが呼ばれた。彼女に意気揚々と声をかけてきたのはゴシップ記者の小判で。ぴく、と鬼灯の肩が揺れたのをなまえは横目で見やった。


「小判さん…こんにちは」
「にゃー!!」


ぺこりと頭をさげるなまえに目を見開いたいたいけな猫又はぎしぎしと首を巡らせ、彼女を守るように小判との間に身体を割り込ませた人物にぎこちなく視線を向けた。
眉間にしわを携えた鬼灯の姿を認めた彼は、恐怖のにじんだ叫び声を発しながら吐血する。
鬼灯にやり込められたことが彼の中に相当根深く息づいているらしい。


「処方箋処方箋…」
「だ、大丈夫ですか?」
「人の顔を見るなり吐血する奴が多いですね、はやってんですか」


口元を拭いながらげっそりと頬を痩けさせる小判に呆れたような声色でそう呟く鬼灯。
薬をひとのみし、気を取り直したところで地獄でも名高い夫婦と人気アイドルが雁首を揃えているこの現状に記者としての血が騒ぐのか、小判はちらちらと鬼灯とマキを見比べた。


「にゃんかこのメンツでよく会いますなァ〜何?おたくら付き合ってんの?不倫?」
「無いとわかってて言っているでしょう」
「でもなァ、なまえ様としては気になんねェんですかィ?旦那が可愛いアイドルと喋ってるところ見て」
「…そうですね。でも私は鬼灯さんもマキさんも、信じてますから」


確かに傍目から見ても映える2人にちりっと胸が痛むことはあるけれど。
鬼灯はかけがえのない人で、マキもなまえにとっては大切な友人。どちらもなまえから切り離すことのできない、心から信じられる人たちだから。
少し気恥ずかしそうにそう言葉をつむぐなまえに小判ははぁ、と感心したように息をつく。


「さっすが第一補佐官の嫁さんなだけあるわなァ…おめえも見習えや」
「なまえさんがすごい人だってことは知ってるしアンタにそんなこと言われる筋合いないわよ!」


ぎゃいぎゃいと言い合う小判とマキをなだめていると、横から痛いような視線を感じて鬼灯を見上げる。
こてんと不思議そうに首を傾げるなまえを見つめて何やら心のこもった深いため息を吐いた鬼灯は、ぽん、とその頭に手を乗せながらひとりごちた。


「私としては面白味がないんですけどね」


目ざとくその声を拾った小判は興味を引かれたように鬼灯の顔をのぞきこんだ。その表情は相も変わらない仏頂面だが、どこか不服そうな、けれど言葉に余るやわらかな想いを秘めているように見える。


「鬼灯様としては嫉妬してほしい、と?」
「こうすんなり受け入れられると少し寂しいものがありますね」
「……、鬼灯さん」


すんなり、ではないのだけれど。
鬼灯が女性から見て魅力的なことは充分承知しているし、彼に寄せられる瞳に幾度となく慕情を見て取ったこともある。
なまえへ向けられる感情に憎悪や嫌悪感をふくんだものがあることも。

それを懸命にこらえてここまできたのは、ひとえに鬼灯が恋しいから、なのだ。
それは彼自身もわかっているだろうに、と釈然としない思いで眉を下げた。鬼灯はそんななまえの視線を受けてするりと髪を梳くように撫でる。


「男はいつでも妬いてもらいたいものなんですよ」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
「………はー、おたくらみたいなのをおしどり夫婦って言うんかねェ」
「!」


呆れたのか2人の間にたゆたう甘みを帯びた空気に耐え切れなかったのか、小判がその小さな肩をすくめて口を挟む。
その声にそうだった、ここには小判もマキもいたのだ、と我に返ったなまえは頬をほんのりと染めてさっと鬼灯から離れた。それを一瞥して、鬼灯は足元に蹲る猫に余計なことを、とでも言いたげな視線を刺す。


「ま、こっちとしては写真が手に入りゃいいんスよ。一瞬でいいんでマキと付き合って別れてくれません?」
「ついにぶっちゃけましたねカストリ雑誌記者め」
「イヤもうわっちはゴシップ一本でいくと決め…」


科白の途中でぱっとカメラを奪った鬼灯は素早く中身を確認し、矩形に切り取られた風景を平然と消去していく。
ついでとばかりに携帯も奪い、カタカタと目にも留まらぬ速さで操作する。おまけにメモリーいっぱいに床の画像を保存し、保護設定も忘れずに施されて突き返されたそれに小判は悲鳴をあげた。


「ああっ保護解除していちいち削除するのが面倒臭い!」
「では私たちはこれで」
「あ、待ってください!マキさん小判さんまた!」


スタスタと前を行く鬼灯を慌てて追う。ところが突き当たりを曲がったところで唐突に立ち止まった鬼灯の背中にしたたかに鼻をぶつけてしまった。目を白黒とさせて鬼灯を仰ぐと、彼は小判たちを気にするような素振りを見せて壁際へと身を寄せる。


「どうし、んむ」
「シッ、静かに」


背後から口を塞がれてなまえを腕の中に閉じ込めたまま身を隠すように壁へと背を預けた鬼灯は、どうやら小判とマキの会話に聞き耳を立てているようで。
唇に触れる無骨な肌の感触や背を包む鬼灯のぬくもりに、どきどきと耳の奥で鳴り響く心音。鬼灯に聞こえてしまわないかと、きゅっと目を瞑りながらなまえも小判たちに意識を向けた。


「マキーッおめえ全力の色目使ってアイツに電話番号渡してこいっ」
「ハァ!?何言ってんの!っていうか鬼灯様の連絡先ならもう知ってるわよ!」
「にゃに!?いつの間に!」
「この前なまえさん経由でね、何かあったら頼ってくださいって」
「あのお方はも〜…」


きっと心からの善意でしたことなのだろうが、こちらとしては狙ってやっているとしか思えない。
参ったようにがしがしと頭を掻いた小判は何か思いついたのか、あっと声をあげる。


「なまえ様が浮気ってのも話題性があっていいかもなァ…!おいマキ、誰かいい男なまえ様に紹介してこいよ」
「嫌よ何言ってんの!?アンタいい加減にしておかないと鬼灯様に何されても知らないわよ!」
「いーや!これはわっちのプライドの問題だ!なまえ様を巻き込んででも食い物にしたらァ」
「ほ〜ぉ」


小判の言いように我慢の限界がきたのか、鬼灯はなまえをそっと離すとコンクリート造りの壁を砕く勢いでがしりと掴む。
びしびしと皹が刻まれていく壁を物ともせずに、地を這い身体を芯から蝕むような低い声音で言葉を投げた。


「去ったと見せかけて話を聞いている…こんなありふれた手口なのに……やはり感情的になると判断が甘くなるんですねえ〜…」
「ほ鬼灯さん、抑えて…!」
「…さぁどう食い物にしてくれるんでしょう……なまえも気になりますよね」


ね、と背中に重々しい空気を担ぎながら訊ねられて思わず肯定してしまうと、すっと小判たちに近づいた鬼灯は蔑むように見下しながらゆっくりと唇を動かす。


「マキさん、なまえに男を紹介するんですか?」
「し、しません!出来ません!!」
「少々欲深い貴方には…私直々に呵責して差し上げても良いのですよ…?」
「ひいぃ」
「本当に何か変なこと書いたら権力と腕力の全てを使って潰しますからね、総合的に」


そう責めたてながら小判の鼻をつまみあげる鬼灯を止めたくとも今回は行き過ぎてしまった彼も悪い。なまえは苦く笑いながら傍観する。
鬼灯を食い物にする、と宣言した小判はやはり信用しない方が良いのかな、と小首を傾げつつ此度も彼を陥れることに失敗した猫又記者を眺めたのだった。



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