日々、雨日和 | ナノ




朝食を食べに食堂へ赴くと、いつもよりずっと人が少ないことに気がつく。鬼灯が言っていた通り亡者が押し寄せるために獄卒は食事をする時間もなく働いているらしい。
暇を持て余すようにお喋りに興じる食堂の従業員もどこか心配そうな表情をしている。


「おはようございます」
「あらなまえちゃん、おはよう。朝ごはん?」
「はい…あの、獄卒の方たちご飯も食べられていないんでしょうか」
「らしいわよ、十王とその補佐官は昨日も徹夜だったっていうし」
「…」


いつもなまえに明るく話しかけてくれるおばさんから朝食の乗った盆を受け取りながらふと思いつく。

心配そうな顔をしていたなまえの表情が少し晴れたのを目に止めて皿を片付けていた彼女は優しげな笑みを浮かべた。あの、と遠慮がちな声が耳に届き、なまえに合わせて屈んでやれば丸い瞳を瞬かせながら自分を見上げる。
そんな幼子を可愛らしく感じながら、なまえが口に出した愛らしい提案に彼女は快く頷いたのだった。





「そちらの亡者は黒縄地獄が妥当でしょうね」
「そうだねぇ……」
「次の亡者の資料持ってこい!」
「おら何やってんだ早く歩け!」


押し寄せる亡者の波に四苦八苦しながら判決を下す閻魔は2日続けての徹夜に体力の限界を感じていた。少しでも気を緩めようものなら側に控える鬼灯の金棒が飛んでくるのだからたまったものではない。
休みたいとは言わないがせめて心の安らぎが欲しかった。因みに飯抜きなので腹の虫も鳴きそうだ。


「あーもう、こう忙しいと癒しが欲しくなるよねぇ…」
「何甘えたこと言ってんですか、貴方が早く仕事を熟せば熟しただけ獄卒たちも早くあがれるのです。さっさと身を粉にして働け」
「うう…予定じゃ3日で裁くって言っちゃったけどこれ終わるのかなあ…」
「……次の団体が終わったら昼食にしますか」


げっそりと頬をこけさせた獄卒たちを眺めながらそう呟く。本当は食堂に行く間も惜しいのだがここで倒れられては敵わない。
ふうとため息を吐きながら群がる亡者から目を逸らす。彼らの白装束を見るのにいい加減飽きてた。目に映える真白が痛い。なまえの黒髪が恋しかった。彼女と過ごすことになって3ヶ月、思えばこんなに長い間離れたことはなかったと考える。

仕事優先の鬼灯らしくもなく徹夜はしても1日、翌日には必ずなまえの待つ部屋へと帰っていた。何故だろうか。あの小さくて柔らかい幼子の存在がいつも心のどこかに引っかかるのだ。



「あーやっとひと段落ついたよー」
「では少し休憩に…」
「失礼します」


口々に気を緩ませる獄卒たちと共に扉に目をやる。おずおずと顔を覗かせたのは閻魔寮の食堂で働く従業員だった。手ぬぐいのかけられた皿を手に足を踏み入れた彼女を何の用だと極卒たちが首を傾ける。

その後ろに隠れるようにして顔を出したのは今しがたまで鬼灯の思考を乗っ取っていたなまえだった。


「なまえ…?」
「あ、あの…」
「鬼灯様は本当にいい子を貰ったねぇ」
「は?」
「これ、この子が獄卒の方にって」


にこにこと朗らかな笑みを浮かべる彼女に小首を傾げながらなまえを見下ろす。なまえの手にも彼女と同じ皿がひとつ。それを慎ましく鬼灯に差し出すなまえを訝しげに見つめながら手ぬぐいを取り去った。


「お、握り飯だ!」
「腹へってたんだよー、ありがとな嬢ちゃん」
「…これをなまえが?」
「はい、差し出がましいとは思ったんですけど…皆さんご飯も食べてないって聞いて」
「5歳とは思えない手際のよさだったよ」
「ありがとうございます、なまえ」


労うようによしよし、と頭を撫でられて久しぶりに触れられた鬼灯の手の感触にひどく安堵する。ふわふわとあたたかい感覚がなまえを包み、思わずほどけるような笑みを浮かべていた。それにつられるようにして鬼灯も僅かに頬を緩めていたことをなまえは知らない。


「ここでは落ち着かないので私の仕事部屋に行きますか」
「いいんですか?」
「なまえがよければ」


他の従業員が追加の飯を持ってくるのを横目に、なまえを連れて騒がしい其処を後にした。





「ここでいつもお仕事されてるんですね」
「ええ、上司がもっとしっかりしてくれたら私の負担も減るのですが」
「すごい書類の山…」
「なまえ、おいで」


ぽかんと机を見上げるをなまえ膝に呼べば、1度恥ずかしそうに俯いたあとゆっくりと近づいてくる。その小さな手から皿を受け取って無理に片付けた作業机に置いてから軽くてやわい身体を抱き上げた。


「いただきます」
「ど、どうぞ…!」


向かい合うようにして膝に座ったなまえは握り飯を口へと運ぶ鬼灯を不安げに見上げている。そんな彼女を見やりながらほんのりと塩気を含んだ飯を咀嚼した。
ほどよい味付けに豊富な具。ふっとゆるんだ表情をした鬼灯になまえは胸を撫で下ろす。


「昼はもう食べたんですか?」
「いいえ、まだ」
「では一緒に食べましょうか」
「でも……やっぱり私はいいです」


確か鬼灯は意外と大食らいだった筈だ。なまえが作ってきた飯だけでは足りないだろう。
拒むつもりで首を横に振ったなまえの頬を片手で挟むようにがしりと掴んだ鬼灯は容赦なく握り飯をその小さな口に突っ込んだ。


「んむー!」
「遠慮することはないですよ、ほらほら」
「んく、…っ殺す気ですか!」
「何言ってるんです。もう死んでるじゃないですか」


愉しそうな声色でぐいぐいと飯をなまえに食べさせる鬼灯は引く様子はなく、とりあえず押しつけられた飯を咀嚼する。
口いっぱいに握り飯をほおばるなまえに満足そうな顔を見せ、指先についた白い米粒をぺろりと舐めとる鬼灯。そんな彼に否が応でも艶やかな色気を感じてしまって、頬を赤く染めたなまえを流し目で見た鬼灯はそれをもうひとつ手に取った。



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