「ああこれもいいですね…」 「あの…」 「この色も貴女に合います」 「ありがとうございます、ってそうじゃなくて」 次から次へ色とりどりの鮮やかに染めあげられた布をなまえへとあててみせる鬼灯に店員も苦笑いを浮かべている。今訪れているのは街中にある呉服屋だった。 朧車に驚き平然と妖怪や鬼が行き交う街の様子に驚き、更に鬼灯の着物選びに散々振り回されたなまえはすっかり疲れきった顔を見せて口を開く。 「鬼灯さんもういいですよ、3着もあれば充分です」 「そういう訳にはいきません、貴女も女性なんですから…というより私が楽しくなってきました」 「…」 相も変わらない仏頂面だが、楽しいという言葉通り確かにその声色は通常より明るい。それは何よりだけれど立ったままの足が疲れてきた。ふあ、と欠伸を落とすなまえに構うことなく鬼灯による選定の作業は続いていく。 それからもまるで着せ替え人形のように生地をなまえに差し出す鬼灯の相手をしているととうとう日が暮れてきてしまった。 「鬼灯さん…」 「まあこれくらいですかね…これ全部ください」 「全部!?どう見ても20はあります!半分にしてください!」 「ですが」 「半分にしてください!」 半数でも多い、と頑なに首を横に振るなまえに仕方ないですねと零しながら更に半分に絞り込む鬼灯の目は実に真剣だ。朝からこの店を陣取りようやっと選び終えた頃には夕暮れなんて、女の買い物にもこんなに時間はかからない、と息をついた。会計を済ませたらしい鬼灯を見上げるとその腕に荷物がない。 「…?着物持って帰らないんですか?」 「ええ、送ってもらうよう頼みました」 何故だろう、と疑問を口にすることもなく手を取られて歩き出す。鬼灯と歩くときは手を繋ぐことが決まりごととなっているようだ。なまえのそれよりひとまわりもふたまわりも大きい、ごつごつとした手。男のわりには綺麗な指をしている鬼灯もやっぱり男の人だなあと思ってしまう。 なまえの面倒を見ると言ってくれた人。亡者とも妖怪とも言えない半端ななまえの居場所を作ってくれた人。鉄面皮で冷徹で、でもどこかあたたかさを持ったなまえの恩人だ。恩返しがしたいというのは出会った瞬間からの切な願いで、望みだった。 けれど、と鬼灯に包まれた小さな自身の手を見やる。こんな身体では何の役に立つこともできない。鬼灯の部下として彼を手伝うことも、それどころか人材不足と言われているこの地獄で働き、寝食代を工面することもできはしない。彼が冗談で言ってみせた身体で払うということでさえも。 「…なまえ?」 「…あ…」 「ぼーっとしていますね、眠いですか」 「…」 少し、泣きそうだった。自分が情けなくてこの人のために何もできないことが悔しくて、もし見捨てられたらと思うと…怖かった。今自分は酷い顔をしているんだろうな、と思う。くしゃりと顔を歪め、母を捜す子のように頼りないであろうその表情を鬼灯には見られたくなかった。 俯くなまえの顔をよく見ようと腰を折ろうとする鬼灯を遮るように口が動く。 「そうですね、少し…疲れました」 「1日付き合わせてしまいましたからね…その身には辛かったですか」 ひょい、と脇に差し込まれた腕に身体を持ち上げられ、初めて会ったあの夜のように優しく抱かれる。顔を上げていることが出来なくて鬼灯の肩に鼻先をうずめれば、珍しく甘えますねと窺うような気を含んだ声が降って来た。 ああもしかして、この人はわかっていたんだろうか。なまえが鬼灯に対してどうしようもない後ろ暗い思いを胸に澱ませていたことを。だから荷物を店に預けてまでその腕を空かせていたのだろうか。そうだとしたらこの見目麗しい黒髪の鬼神には一生敵いそうもないな、と苦笑する。 「何笑っているんですか。そんな余裕があったら少しでも寝ていなさい」 「なぜですか?」 「肩が凝ったので、帰ったら存分に揉んでもらうためです」 「…ふふ、はい」 鬼灯のぬくもりを伝える着流しに額を擦り付け、彼の歩みにゆらゆらと揺られながら。小波のように穏やかに押し寄せる眠気へと身を委ね、静かにまぶたを閉じた。 |