周囲を包む賑やかな声にわくわくと弾む小さな胸。隣には相変わらずの鉄面皮を携えた彼がいる。こっそりと鬼灯を見上げて表情をほころばせたなまえは、盗み見がばれてしまう前にぱっと顔を正面に戻した。 鬼灯は彼女とすれ違うようにして幼いつむじに目を落とし、地に足がつかないくらい浮かれたなまえがどこかへ行ってしまわないよう、その小さな手をぎゅっと握る。 周りに気を取られていたからか、それに驚いたようにぱちぱちとまぶたをまたたかせるなまえが普段よりずっとあどけなく見えた。 「迷子になられても困りますので」 「す、すみません」 今日は久しぶりに非番が取れたので、閻魔寮に籠もり切りだったなまえを連れて気晴らしに繁華街まで足を伸ばしたのだ。 さすが繁華街というだけあってなまえには人ごみが壁のように感じてしまう。鬼灯が手を繋いでいてくれるから波に流されることはないけれど、足元はふらふらとおぼつかない。そんな苦労も楽しいと思えるのは鬼灯が傍にいて、手のひらから彼のぬくもりがじわじわと伝わってくるからだろう。 無意識に唇がゆるんでいたのか、ふいになまえを見やった鬼灯が小さく首を傾げた。 「何にやついてるんですか」 「え?に、にやついてましたか?」 「ええ、面白い物でもありました?」 「……鬼灯さんと出かけるの久しぶりだなって思ってたら、嬉しくて」 なまえの興味を引くものでもあったのかと首を巡らせていた鬼灯は思いがけないその言葉に動きを止める。 見下ろした先の彼女はその丸みがかった頬をゆるゆるとほぐしながら鬼灯を見つめていて、その無垢な瞳に鬼灯の中心に通っている芯が弛むのが分かった。 張りつめていた糸がようやくほどけていくような感覚。心が休まるとはこういうことをいうのだろう。 「あっ」 「どうしました?……ああ、甘味処ですか」 思わずといった風にこぼれた声をたどると、なまえの目を奪っていたのは一軒の甘味処だった。最近は菓子などを買ってやる時間もなかったために心惹かれたようだ。 きらきらと輝く眼差しを臙脂色ののれんに注ぐなまえの手を引いて、道ゆく人々の垣根の隙間を縫うように進む。 「鬼灯さん、どうしてこの店に入りたいってわかったんですか?」 「あんな目を向けられては誰だってわかりますよ。どれでも好きな物を頼んでいいですから」 「ほんとですか!」 鬼灯に連れられてのれんをくぐったなまえは不思議でたまらない、という表情をして問いかけてくる。自覚はなかったのかと呆れ交じりに種明かしをしてやりながら小さな身体を抱き上げて椅子に座らせると、彼女は何か言いたげにこちらを仰いだ。 そのやわらかな耳は淡く色づいており、気安く抱き上げられたことに羞恥を感じているらしい。 「もう、抱っこされなくてもちゃんと座れます」 「はいはい、ほらどれがいいんですか?頼んじゃいますよ」 「ま、待ってください!」 不満そうにむう、と唇をとがらせてみせるなまえをあしらうと素直な彼女は慌てて品書きに目を通し始める。 紙の上にきょろきょろと視線を這わせるなまえを静かに見守っていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。 「鬼灯様?なまえちゃんも、偶然ねェ」 「お香さん」 「こんにちは!」 偶然にも同じ店に居合わせたお香は、なまえたちを見つけるとひらりと淑やかに手を振りながら近づいてくる。お香が歩く度にふわふわとウェーブのかかった髪が揺れ、彼女がいるだけでその場が華やいだように思える。 人当たりのいい笑みは相変わらず美しく、なまえはほんのりと頬を上気させた。 「なまえちゃん、お隣いい?」 「どうぞ!」 「嬉しそうですね」 「はい、鬼灯さんと出かけられただけじゃなくてお香さんとも会えるなんて……両手に花ってやつですかね?」 「私を花に例えないでください」 むしろ花というならなまえの方なのだろうが、見た目が5歳児なだけにその考えには純粋に頷けない。 しかし春の木漏れ日のような笑顔を見られるのならば花になってやるのも偶にはいいかも知れない、などと思考に沈んでいると注文した甘味が運ばれてきた。 「美味しそうねェ」 「わぁ、いただきます」 さっそく、と白い餅につぶあんがたっぷりと乗せられたそれを口いっぱいにほおばるなまえを見つめる鬼灯の眼差しには優しい色がふくまれていた。 唇の端に餡をつけていることも気がつかずにもごもごと団子を咀嚼し、久方ぶりに食べる甘味に夢中になっているなまえにわずかに目を細めながら指先をのばす。 「ほら、ついていますよ」 「わ…ありがとうございます」 「そんなに一生懸命食べなくても団子は逃げないのに」 「で、ですけどおいしくて…」 長く節くれだった指にそっと口元を拭われ、確かに勢いよく食べ過ぎたかもしれない、と恥ずかしさに頬を染めながら串を置く。 気が引けてしまったのか、そのまま団子には手をつけずに首をすくめるなまえへ意地の悪い光をひそませた瞳を向けながら、鬼灯は皿を引き寄せた。 「いらないのなら食べますよ?」 「あっ」 「…欲しいんでしょう?」 「うう……」 なまえが押し込めた気持ちなど簡単に見透かしてしまうような流し目を貰いながらこくんと頷く。 そろそろと寄せられた視線は黒に染めあげられた着物の襟元辺りを漂っていて、鬼灯を気にしながらも団子の行方を見つめるなまえに胸の内側をくすぐられたような感覚を覚えた。 「まぁまぁ、鬼灯様も意地悪しないで」 「これが愉しいんですよ」 「………。あ、お香さんもお団子食べますか?」 「アラいいの?」 鬼灯からさっと皿を奪い取ったなまえがはい、と微笑んで串を差し出すと、彼女は驚いたように軽く目を見開いたあと艶やかな微笑を唇に乗せる。柳のような手をなまえのそれにそっと添えた彼女へかすかに心音が鳴った。 そのまま団子に口をつけたお香に、何となく気恥ずかしくなってはにかむように笑う。 「ごめんなさい、お皿ごと渡せばよかったですね…」 「なまえちゃんのおかげでお団子がうんと美味しくなった気がするわァ」 「…なら嬉しいです」 嬉しさと恥じらいが交じったような熱を頬に浮かべるなまえにお香が笑みをこぼすと、向かい側で黙ってその様子を見守っていた鬼灯がわずかに眉をしかめながら口を挟んだ。 「私には恥ずかしがるくせに、お香さんには平気でそういうことするんですね」 「む、無意識だったんです……!」 「天然たらしですか…」 「鬼灯さんには言われたくありません!」 「2人とも相変わらずねェ」 「………」 お香のなだめるような声音が睨みあう2人の間に降ってくると、鬼灯はふいっと顔をそらし、なまえはほんのりと頬を色づかせて顔をうつむかせてしまった。 口ごもったまま団子を嚥下するなまえはいつの間にか団子を綺麗に完食していたことに気付く。寂しげな瞳で真白になった皿を眺めるなまえに、頬杖を突きながら鬼灯が訊ねた。 「足らないんでしょう?」 「で、でも太っちゃいますし」 「我慢はダメよォ、なまえちゃん細いんだから気にしないの」 「子供は食べて何ぼでしょう。何が食べたいんですか」 「…あんみつ……です」 確かに心身共に純真無垢な子供ならば気にすることはなかっただろうけれど、憧れのお香と面倒を見てもらっているとはいえ仮にも男性の鬼灯を前にして身体が求めるままに食べるのは、とためらうなまえの複雑な心境を2人は見事につき崩してしまう。 力なくうな垂れて、もじもじと身体をゆらしながらしおらしくなったなまえの頭を鬼灯はよく言えましたとばかりにやわらかく撫でる。 「じゃあ追加しましょうか」 「あ、アタシ呼びます」 手を上げて店員を呼び止めたお香は手際よく注文していく。 そんな彼女と鬼灯、なまえを見回した店員は朗らかな笑みを浮かべながら口を開いた。 「素敵なご家族ですねー」 「…家族」 鬼灯はなまえの後見人なのだから親といっても過言ではないのだろうけれど、きっとこの人はそういう意味で言ったのではない。お香も引っくるめて、家族のようだと言っているのだ。 何気なく転がり落ちた科白はなまえの心にやわらかい波紋をゆらゆらと広げていく。 とても嬉しかった。幼い頃なくしてしまった両親がいっぺんに帰ってきたような、ひどく懐かしくてあたたかい想いが胸をやわらかくくるんでいく。 思わず2人を見上げたなまえに、艶を帯びた唇をやわらげてしなやかな笑みを向けてくれるお香。彼女から視線をすべらせれば、仏頂面だがなまえへの慈しみがにじむ黒曜の虹彩と瞳がからんだ。 幸せだなぁ。 そう思ってなまえを見つめるふた組の双眸にふわりと笑みを浮かべたと同時に、ちくり、と細い針につつかれたようなかすかな痛みが胸に走ってそこを握る。 何だろう。変な感覚だ。 嬉しいのに、素直に喜べない自分が心の遠く奥底にいる。 ひとり首を傾げるなまえに気がついたのか、顔をのぞきこむようにして背を丸めた鬼灯が声をかけた。 「なまえ?どうしたのですか?」 「あ…ちょっと胸がいたくて」 「まァ、大丈夫?」 「……胸が…?どの辺りですか、もしや狭心症でしょうか?いえこれはもう少し年を重ねると増える病気ですね…気胸ということも」 「え、あの鬼灯さん…!病気とかじゃないですから!」 至極生真面目な表情でなまえのよく知らない病名を連ねる鬼灯に焦りを覚えながらぶんぶんと首を横に振る。 なまえを心配するようなその言葉に、先ほどまで胸の辺りを襲っていた淡い痛みは鳴りを潜めていた。 「そうですか?しかし今日は大事を取って閻魔寮に戻りましょう。…それではお香さん、私たちはこれで」 「ええ。じゃあまたね、なまえちゃん」 「は、はい」 ぺこりとお辞儀したなまえを穏やかな微笑で見送るお香に後ろ髪を引かれながらも、鬼灯に連れられて甘味処を後にする。 なまえの具合を確かめるように肩に触れた無骨で大きな手のひらから鬼灯の体温と想いが汲み取れて、彼女の顔に花がほころぶような笑みが咲いた。 なまえを思いやるようなやわらかな空気に包まれるのを感じ、同じだけの気持ちを返すように彼の手をそっと握ったのだった。 |