「たくさんお買い物出来たわねェ」 「はい、楽しかったです」 のどやかに言葉を交わしながら、お香と肩を並べて歩む。 非番を貰ったなまえは、同じく休みが重なった彼女と共に地獄の百貨店に足を伸ばしていた。訪れるのは2度目だが、にぎやかに盛況する店にやはり目移りしてしまう。中でも目に止まったのは一軒の手芸店。 色とりどりの色彩に心を奪われたような視線を向けるなまえに、お香はやわい微笑みを唇に乗せた。 「入りましょうか」 「あ……ご、ごめんなさい、ありがとうございます…」 「ふふ、私も見たかったからいいのよォ」 なまえが店先に並べられた品物を気にしているのを察したらしいお香は、彼女の手を引いて店内へと導く。 謙虚な側面のあるなまえの性格を透かしたように尤もらしい理由をつけて笑んでくれるお香に頬を赤らめながら、彼女のしなやかな背を追った。 眼前に並べられているのは浅葱や鴇色、生まれたての太陽のような金や朱色をした糸の束だ。 なまえはその鮮やかな彩りにわくわくと弾む胸を抱えながら、背を丸めて悩むように小首を傾げた。 「アラ、綺麗な糸ね。刺繍でもするのかしら?」 「お香さん…はい、ハンカチに刺繍出来たらいいなって」 「ふふ、鬼灯様にあげるの?」 「えっ!!な、何でわかっちゃったんですか!?っいた!」 「だ、大丈夫?」 お香の科白に驚き足を縺れさせたなまえは背後の棚へ頭をしたたかに打ち付けてしまった。鈍い痛みの走る後頭部へ触れたあと、まばたきをいくつかして状況を認めた彼女は照れたようにはにかんだ。 危なっかしくて目で追ってしまう彼女を冷徹な鬼神が気にかけているのも理解できる。お香はその艶やかな唇に微笑みを乗せ、多彩な染料に身を委ねた糸たちを眺めた。 夕日に染めあげられたような朱色の束を手に取ったなまえに、くすりと笑みをこぼす。 彼女がそれを見つめる瞳があまりにももの柔らかで優しかったから、鎌を掛けてみたのだけれど。素直に頬を色づかせるなまえは可愛らしく、こちらまでふわりと胸があたためられてしまう。 「何を刺繍するつもりなのかしら?」 「えっと、金魚にしようかと思ってるんです」 「アラ、いいわねェ。きっと喜ぶわ」 「はい!あの、それでお願いがあるんですけど……」 鬼灯を思い浮かべたのか、ゆるりと唇をほころばせたなまえは言い辛そうに身を揺らす。 ちらちらと上目にお香を見つめる彼女に促すような瞳を投げると、きゅっと拳をつくったなまえは意を決したように面をあげた。 「やっぱり自信がないので、お香さんに先生をお願いしたいんです……!」 「アタシでいいの?」 「それはもちろんですけど、引き受けてくれるんですか…?」 「ええ、喜んで。ちょうど私もこの間買った巾着の柄が寂しいと思ってたの」 にこ、とやわらかな笑顔を向けてくれたお香にやんわりと心が緩んでいく。 姉がいたとしたらこんな風に並んで買い物を楽しんで、他愛ない話に花を咲かせながら甘味に舌鼓を打ったりするのだろうか。 彼女と言葉を交わすと穏やかなお日様の光をいっぱいに浴びた蒲団にくるまれているような、そんな幸福で心が満たされる。 じわじわと心地よいぬくもりが指先にまで広がり、それにつられるようにしてなまえも眦を和らげたのだった。 * ちく、ちく、と拙い手つきで針を進めていくなまえの隣ではお香が和やかな表情で見守ってくれている。 それだけで身体の中心に芯が通ったような気にさせられ、ぴんと背筋が伸びた。 心強い恩師の眼差しを受けながら、ひと針ひと針心をこめて縫う。 鬼灯への感謝と、それから敬慕の情。あふれるような想いを乗せた朱色の糸が描く曲線を指でなぞった。 「どう、ですかね?」 「とっても上手よ、よく出来てるわァ。誰かに教えてもらったのかしら?」 「はい、祖母に……でも大分昔のことなので、ちょっと心配で。お香さんに見てもらえてよかったです! ……考えてみればお香さんにはいろいろ教わってばかりですね」 「アラ、本当ねェ。こんなに可愛い生徒さんを持てて幸せだわ」 思い返せば初めて顔を合わせた時も着付けを教わり、今は刺繍の教えを乞うている。何だか不思議な巡り合わせに、2人は顔を見交わしてどちらからともなく笑みをこぼした。 あたたかな沈黙がたゆたう空気はひどく居心地がよく、お香が皆に慕われているのにも頷ける。 「そういえばお香さんが縫っているそれ、蛇ですか?」 「ええ、好きなのよ。衆合地獄の蛇もアタシが躾を任されてるの」 「そうなんですか…。……」 何かを思案するように手元へと視線を落としたなまえは完成したばかりのそれを指の背で撫でた。 乳白の水中を、なまえが象った赤い裾をひらりと翻して泳ぐ金魚は涼しげで、鬼灯に寄せるあたたかな心たちを抱えながらこちらを見上げている。 なまえはそれを一度ぎゅっと胸元に抱き寄せると、お香に深く頭を下げた。 「今日は本当にありがとうございました!」 「いいのよォ、それじゃアタシはこれで」 ひらりとたおやかに手を振り部屋を後にするお香を見送って、なまえは鬼灯に繕ったそれより分厚い布を取り出した。 そうして流麗な水面を思わせる水縹色のそれをほどくと、再び銀色の光を弾く針を手にしたのだった。 * 淡い光が霧の隙間から顔をのぞかせる早朝。 長い長い閻魔寮の廊下の先に、艶然と下駄を鳴らして歩むお香を見つけ、なまえは思い慕うひとを察知して耳を立てる犬のように人目も憚らず駆けだした。 「お香さん!」 「なまえちゃん、おはよう」 「おはようございます!…あの、これ」 「アラ、何かしら」 「よかったら開けてみてください」 懐に忍ばせておいた包みをお香に差し出すと、目を丸くした彼女はその白くなめらかな指先でリボンをほどいていく。 結われたそれを外され身を覆い隠していた服を剥かれ、露わになるそれをこくんと喉を鳴らしながら一瞥し、お香へそっと視線をうつす。 昨日彼女と別れたあと、なまえはお香にも刺繍を施した物を贈ることに決め、作業にとりかかったのだ。 落ち着いた飴色に這う水縹の蛇の肌は、お香が動く度にふわりと揺れる髪の色。読書も好むという彼女に宛てたのはブックカバーだった。 それを目に入れた瞬間、ゆるゆると細められた金色の瞳にほっと胸をなで下ろす。 「まァ、かわいい蛇ね!」 「蛇がお好きだって聞いたので……気に入ってもらえましたか?」 「ええ、とっても。早速使わせてもらうわァ」 彼女の腹部に巻き付く彼らもお気に召したようで、お香の手にあるそれをのぞきこんでは鱗を鈍く光らせながら身をくねらせた。 口角をやわらかく沈ませるお香の表情が胸に染み込んで、なまえの中心がじんわりとあたたまっていく。 へにゃっとほぐれてしまう頬を引き締められないままお香と談笑していると、不意に背中へ声がかかった。次いでひょっこりと顔を見せたのはあえかに垂れた眦を携えた茄子だった。 「なまえ、お香姐さん、おはようー」 「茄子くん!唐瓜くんも」 「何話してたの?それブックカバーですか?」 「そうよ、これなまえちゃんが作ってくれたの」 「すげーな!なまえって器用なんだなぁ」 あっという間に2人に囲まれ、心地の良い騒がしさがなまえを取り巻く。あの池に身を投じる以前は独りきりでいることの方が多かったくらいなのに、今では常に誰かが隣にいてくれる。 こちらを見つめる濡羽色の虹彩や、艶やかに弧を描く唇、にぎやかな声色が寄り添ってくれて、なまえの心の柔いところをくすぐっていくのだ。 心がほろりとほぐれていくような安らぎにくるまれて、ひどく安堵する。 「今度俺たちにも何か縫ってよ!」 「おい茄子、悪いだろ」 「ううん、プレゼントさせてほしいな。2人にはたくさんお世話になってるし」 「そんなのお互いさまだろ?…でも、作ってくれるんなら頼んでもいいか?」 「もちろん!」 何の柄がいいかと頭をひねる2人の後ろを、お香と肩を並べて歩いていく。わずかに歩調を落としたお香は、なまえの耳にこっそりと唇を寄せた。 「鬼灯様にはもう渡したの?」 「!……い、いえまだ…」 「そう。あんなに心を込めて縫ったんだからきっと気に入ってくれるわァ、自信を持ってね」 「はい、ががんばります!」 彼女が鬼灯を想う純粋な心の内を映し出したかのような瞳を布に寄せながら、丹精込めて縫いあげたものを彼が喜ばない筈がない。 それよりも、彼を想起し先ほどまでの穏和な笑みを強ばらせてしまったなまえはどうやら緊張を感じているらしい。心を張り詰めさせてしまった彼女が何か仕出かしてしまわないかと、お香はそちらを懸念していた。 彼女がひそかに憂慮している間も、鬼灯にどんな建前を築いた上で渡そうか、どのタイミングを狙えばいいのか、そんなことに心の余裕を奪われてしまったなまえはぐるぐると思考を巡らせながら、先を行く友人たちの轍を拾ったのだった。 |