小説 | ナノ




「もうそろそろ来るかなあ」
「誰がです?」
「この前頼まれた薬なんだけど。アイツそろそろ取りに来るかなーって」
「ほ鬼灯様ですか!」


薬棚を整理していたなまえが頬にぱっと赤を散らしながら振り返る。恋する乙女といったその顔を可愛いと思いつつ、彼女の鉄面皮な想い人を脳裏に浮かべて表情を苦く歪めた。
ここ、極楽満月に薬剤師見習いとして雇った彼女はその愛嬌のよさや薬に対しての真摯な姿勢が気に入っている。白澤には珍しく一切手をつけていない女の子だ。いや、もう妹のように大切なのだ。だから後ろから感じる溺愛しすぎだろうとでも言うような冷めた桃太郎の視線は無視することにする。


「ねえなまえちゃん、何度も言ってるけどアイツだけはやめておきなよ」
「どうしてですか?仕事にも真面目で誠実、物知りでお話も面白いですし」
「あんな鉄面皮で無愛想な奴放っておきなって、しかもドS!あんなのと付き合ったら体持たないよ?」
「か体って、白澤様じゃないんですから!というか私、鬼灯様とそんな風になりたいわけじゃありません」
「そうなんですか?」
「はい!、…って鬼灯様!?」


いつの間にか扉の傍に佇んでいたのは今まさに渦中の人、鬼灯だ。今の科白を聞かれていたという事実と恋い慕う当人を前にしてあわあわと焦るなまえの頬は真っ赤に染まっている。そんな彼女を横目に白澤は鬼灯に向かって思いっきり舌打ちしてみせた。


「ほら頼まれてたやつ、それ持ってさっさと出てけ」
「なまえさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「あ、はい、鬼灯様も…」
「おい無視すんな!」
「それで先ほどのことですが」
「あ…あの、えと…」


鬼灯がすっとなまえに近づいていく。流れるようなその動作に反応する間もなく距離を詰められ、その糸のような黒髪の1本1本もはっきりと見えるほどの近さにますます体温があがっていく。


「そういう風になる気、ないんですか?」
「わ私…」
「私としては貴女ともっとお近づきになりたいのですが」
「……鬼灯様って意外とその…肉食、なんですね…」
「こういうことに我慢はしない性質なんです」


鼻先が触れそうになるほどの位置にある端麗な顔になまえは耳まで火照らせながら目を伏せる。
恥らうようないじらしいその仕草に思わずそのゆるく丸みを帯びた頬へ指先を滑らせようとしたその時。


「ストーップ!!そこまで!それ以上なまえちゃんを誑かすな!もう帰れ!」
「……はあ、興が醒めました。ではなまえさん今度はこの白豚がいない時に、また」
「鬼灯様…」


困ったように眉を下げたなまえをじっと見つめた鬼灯は触れられなかったそこに1度だけ指を這わせたあと踵を返す。白澤に投げて寄越されたそれを一瞥してゆっくりと口を開いた。


「…こんな物、部下に取りに来させてもよかったんですよ」
「え?」
「激務の中わざわざ私が赴いた意味、もう少し考えてみてくださいね」


切れ長の瞳をなまえに寄せ、赤に縁取られた黒い着流しの裾を翻しながらくるりと背を向ける。そのまま鬼灯が出て行った扉をぽおっと見つめるなまえはどきどきと早くなる心臓を押さえる。
前々から交流があったとはいえ鬼灯のことは雲の上の存在だと思っていたし、今もそう思っている。彼に寄せるのは確かに恋心だと自覚はあっても、まさか叶うかも知れないなんて露ほども思いはしなかった。遠くから想うことができればそれでよかったのに、僅かな希望の灯を見つけてどうしたらいいのかわからない。
唯々戸惑うなまえをあの大嫌いな鬼に横から掻っ攫われる嫌な予感を覚え、白澤は深く淀んだため息を落としたのだった。



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