■ 瑠璃色

林に覆われた世界で呆然と立ち尽くす女性は半ば声も出せない孤独感を抱え始めていた

辺りを見渡す度に目眩がする

足が小刻みに震え

草木が風で揺れる旋律は吐き気と一層の孤独を彼女に与えた


キツく閉じた唇の奥歯が軋み悲鳴を上げ

握り締めた拳が微かに震える

逃げたい

助けて

悲鳴を上げて
両手を伸ばした真空に返される返事は無いのはしっていた

だが、大地につく足場はしっかりと土台が出来上がり最早拒否権さえも言わせない現状が悔しくて

悲しかった


「此処はどこですか?」


など真顔で言っても失笑で終わってしまう


それほどに私はこの世界に居すぎたらしい


私の名前は桜井 奈美恵(さくらい なみえ)20歳に成り立ての保育士だった


『だった』と言うのは勿論過去の話の事だからで、話せば長く感情的になってしまうため極力簡単にまとめると……

知らない世界で

知らない文化に触れながら

知らない人と夫婦生活を営んでいる

言ってしまえばこの年で異世界トリップしたのだ

しかもどうに元の世界から来て、どうやって夫婦になったのか過程の記憶が全く無い


10日前に寝心地の良いベットから起きたら、いきなり隣の男に「我が愛しの妻よ」とクサイ台詞と共に額にキスされ、抵抗虚しく押し倒されてしまった

悲しくてたまらない

自分の世界にはいない風貌をした男は深紅の瞳をしていた

どの国に赤い瞳の人間が居るのだろう

しかも異世界に来た証拠を叩きつけられただけでもショックなのに、見知らぬ男が自分の旦那さんなんて……立ち直れない

私はさっそく仮病を使ってベットに籠ると、何かと世話をしてくれる女性からとんでもない言葉を聞いた

「此方に要らして5年、ナミエ様が体調を崩されるのは初めてですね」


異世界生活が5年もあったのかと蒼白になった


「私、この先どうなっちゃうんだろ」

誰も居ない室内で涙声が頼り無く散らばった


「何故具合が悪いなどと嘘を言った?」

ディアン様(私の旦那)は表情を強張らせベットの上で向き合う形を取ると、私の両肩に力を込めて握った
その迫力は尋常ではなく怖いのだが、逃げ出す事は出来ない

深紅の瞳を見つめれば怒りの奧に揺らぐ愛情が微かに見えて戸惑う

寝込んでから14日

等々医者に仮病を使っていた事がバレると言う失態をおかしてしまった

私は当初頭痛が酷いと言っていたのだが、誰も居ない時を見計らって時々運動していた
こんな特殊な状態で、何もしなければ頭が可笑しくなると思い動いていたのだが
丁度診察時間を忘れていた私はもう完全にアウトだった

「何故すぐに分かる嘘をつく」

医者に聞き、一目散に飛んで来た夫の自分を責める言葉に何も言えない

それは彼が自分の事を凄く心配してくれていたのを知っていたからだ

仕事の休憩だと言い何度も顔を見に来ては、内心戸惑う私を他所に頭を撫で「早く元気になれ」と手を握っていた

それに、時々甘いものを持ってきては「お前が好きなやつだ」とお菓子を持ってきてくれる

見つめる瞳は優しさに溢れ、それを見る度に奈美恵は記憶を無くした罪悪感にかられた

居たたまれなくて、夫婦だと知っていても丁寧にお断りして会わずに仕事に帰って貰った事もあった

その度に世話をしてくれる女性が、何か言いたそうな表情を向けて来たが、全て無視し旦那様を「ディアン様がいらしたのに」と言っていたので彼の名前はかろうじて知る事が出来た

あれから14日たったんだ

真剣に見つめるディアンを悲しげに見つめ返せば一瞬戸惑う気配が彼から漂う

記憶は未だに戻らない

黙っているには限界かもしれない


信用までは出来ない夫に言うのは正直怖い

馴染め無い環境は今までの生活と余りにもかけ離れ過ぎていたから余計だ

この人は私の侍女!?……と思うくらい名前のしらない女性は自分の身の回りをしてくれている

だから余計に言わなければならないのかも知れない


「あの……」

私は意を決して夫を見た

「分かっていると思うが、嘘偽りは許さん」

握り締めた拳が微かに震えた

でも、言わなければならない


「私、記憶が無いんです」


震える声音で呟く私に夫は信じられない表情で私を見つめ返していた


辺りは薄暗い室内
ランプの光が暖かく照す中

豪華なベットの上では暫く沈黙が続いていた

向かい合うディアン様の表情は何を考えているのか全く分からない

……ち、沈黙が……痛いよ……

心臓が五月蝿い位に鼓膜を伝い胸を抑えると、彼は重たい静けさをとうとう破った

「何処まで覚えてるんだ?」

思案する彼は私の表情一つ見逃さない鋭さに緊張がピークに達する

「此処ではない場所で生活していた所までです」

「いつから記憶が無い」

「14日前からです」

「俺の名は?」

「ディアン様です……よね?」

私の戸惑いを帯びた声音に彼の顔色が変わった気がした、だがそれはほんの一瞬の事だった

彼は一層低い声で呟く

「俺達は夫婦だ」

確認と断定の言葉は、まるで鉄の鎖で身動きが取れない錯覚さえ感じる

「……はい」

頷くしか出来ない私に彼は何も言わない

正直前の私が結婚していた……としか認識出来ないが、今の自分だって嫌々ながらも一度抱かれている

だからまず事実として認めなくては先に進まない

だけど、人間の感情など理屈でどうにかなるものでは無い

記憶の無い私を彼はどう思っているのだろう

聞きたい気持ちが不安な心情に勝った

「ディアン様は……」

「ディーと呼べ、それに敬語はいらない」

前の自分が呼んだ名前なのだろう、略された名前を言われ訂正された言葉に頷く

「ディーは記憶の無い私でも良いの?」

居心地が悪い雰囲気でいきなり確信を言った気がするが、一番大切なことだと思う

でも、彼は言いきってしまった

「俺はお前の記憶があろうが無かろうが関係ない」

どう捉えて良いのか、ただ真剣に見つめる深紅の瞳は嘘だけは言ってなさそうだった

躊躇うように私の目線は泳いでしまう

複雑な思いだけが胸に残ると、自分の思っている事が分かったのか、彼は私を引き寄せ力強く抱き締めた

「離れる事は許さない、やっと手に入れたんだ」

切なくなる程の暖かみのある声音に、私は何と言って良いのか言葉に詰まった

ここで貴方の側にいますとはどうしても断定出来ず

……これから先貴方の事を好きになるか分からない……


そう言えたらどんなに良いだろうと思ってしまう私でも、貴方は傍に居ようと思ってくれますか?


end

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