のひらの距離




※拘束とお互いの本心と





淡々と俺の手首を縛る手つきは慣れたものだった。
「…痛いんですけど」
非難めいた声音と視線は軽く無視だ。最初の頃こそ、うるせえだの黙れだの言い返されたものだが、これも慣れなのだろうか。
はあ、と口をつぐむ代わりにあからさまにため息をつく。すると、殴られて腫れてきたのだろう唇がジクリと痛んだ。
仕方がないのだ、敗者である俺には抵抗する権利が与えられない。
今日も今日とて追い詰められて手加減なしに殴られて。動けなくなって力の抜けた体を物のように引きずられて近くのホテルに放り込まれた。
ぎゅっ、と手首を縛るのは腰元から抜きとられたベルトだった。タオルではすぐに解けてしまうことを学習したらしい。
ご丁寧に手首を拘束されるのは、ナイフでの攻撃をさせないためなのだ、と。毎回捕まっては拘束した上で事に及ぼうとするシズちゃんにその理由を問えば、そう苦々しげに答えてくれた。
…まあ、確かに一理ある。



「よし」
よし、じゃねえよ、とは賢明にも口にはしない。
満足そうに頷いたシズちゃんは、ようやく腹の上から降りてくれた。
ようやく肺いっぱいに酸素を吸い込むことができた。馬乗りになられて実は地味に苦しかった、なんてことはおくびにも出さない。
もちろん、シズちゃんはそんなこと知ったことか、と言わんばかりにズボンへと手をかけてくる。ファスナーを降ろされる音がやけに生々しい。挿入される瞬間よりも下半身をあらわにされる瞬間のほうが緊張するのだなんてことも絶対に言うもんか。
ちなみに、手首を拘束しているせいか、上半身にはほとんど手をつけられない。せいぜい、鎖骨あたりを噛み付かれる程度だ。だが、逆に下半身だけをあらわにして犯されるというのは想像以上に屈辱的だった。
そう、『だった』だ。今では仕方がない、の一言でと諦められるのだから。大概、俺自身も慣れてきたと言えるのではないだろうか。


いつか殺してやるのだ、と心に決めたのは遥か昔。気まぐれに俺から関係を持とうとけしかけなければ、今はなかったのかもしれない。終わりなき闘争に変化を求めたのは俺自身。繋がりあう時間を持つことで膠着した関係に一石を投じ、あわよくば形勢を逆転させたかった。
そう、平たく言えば俺はシズちゃんのことが好きだった。
だからこそ、もどかしい。シズちゃんになら、何をされたって逃げられないことを自覚しているからだ。白状したところできっと信じてももらえないだろうけれど。
「…バカバカしい」
「あ?」
小さな呟きを目敏く拾い上げたのは、シズちゃんが俺のズボンと下着を抜き去ったのと同時。
「なんでもないよ」
視線を逸らさないのは、ある意味意地だ。損な性格であることは重々承知している。
カチャリ、とベルトのバックルの部分がシーツに擦れて音を立てた。今日もきっと痣が残るだろう。殴られ腫れた頬よりも、長い時間手首の痣は残る。やがて消えかけようとすると決まってシズちゃんに捕まる。…それは、まるでシズちゃんと自分を繋ぐ証のようで。
それこそバカらしい、と自嘲しかけてできなかった。
「ん…」
外気に触れた太腿を撫でられ声が洩れた。抱かれ慣れた体は、すでに消耗していることもあり従順に反応する。
大きなてのひらは、数回上下に動かされ、飽きれば膝を割ってくる。
シズちゃんの眉間にシワが寄る。抵抗するように膝に力を入れてやったからだ。これくらいは許容範囲だろう、と薄笑いを浮かべれば、案の定シズちゃんは舌打ちしただけで強引に膝を割り開いてきた。
右膝をシーツに抑えつけ、空いた手は俺の性器を捕まえる。やわやわ、と握り込まれて生まれる刺激に唇を噛んだ。
「…っ、う…、あ…」
噛み締めたはずの唇が開く。シズちゃんの手つきに応えるように溢れ出す嬌声は行為を後押しする。
「ん、ん…っ」
ジュク、と卑猥な水音が先端から零れ出す。俺を殴り、逃がすまいと体を引きずったそのてのひらは、今は嘘のように優しい。


…ただの性欲処理のくせに、気を遣ってるつもりなの。
うっかり口から出かかった言葉を慌てて飲み込む。
わかっている。シズちゃんを責める権利もまた、俺は持たない。
だから堪えるようにして胸元で縛られた両手を握り締める。シーツを掴みたくとも、真正面から体を開かれていては無理だった。
違う、そうじゃない。
本当はシズちゃんを抱きしめたいのに。
抱きしめ返されなくてもいい。ただ、その背中に縋りたいだけなのに。
敵意しか向けられないに違いない、と思い込まれているのが辛い。だけれど、そう仕向けたのも俺だ。
こんなに辛いのに、負けるとわかっていてシズちゃんの前に姿を現してしまうのが情けない。それほどまでに好きなのかともう一人の自分自身に問い掛けられてどれほど経っただろう。
「……何泣きそうになってやがる」
「え…」
気付けば、シズちゃんが愛撫の手を止め、俺を覗き込んでいた。
「…泣きそう?俺が?」
不思議そうに問い返した俺に、シズちゃんは訝しがったままだ。
「手前らしくねえな」
そう口走ったシズちゃんは、拘束した俺の手首を取り。そして、己のほうに引くことで勢いよく俺を抱き起こした。
「な、なに…?」
真正面にシズちゃんの不機嫌全開の顔。
すっと持ち上げられた長い指に視線を奪われれば、それは俺の腫れた唇へと運ばれて。傷を指の腹でなぞられ、痛みに思わず顔をしかめれば、シズちゃんはおもむろにキスをしてきた。
「…っ?…ん、ふ…っ」
わけがわからない。いきなりキスだなんて、何をされるのだろうと身構えたのにとんだ肩透かしだ。
深まる口づけに、とうとう瞼を下ろせば、シズちゃんのてのひらは俺の肩を撫で、胸元を通り、そのまま緩やかに立ち上がったままの性器を慰めた。
「ん、あ…」
唇が離れかけそうになっても離してもらえず、俺はすっかり窮地に立たされた。
宥めるようなキスは反則だ。縛って抵抗手段を奪い、絶対的な従属関係を強いておいて、その上こんなことまでされたら。
…言いたくないことまで言わされてしまいそうで。怖い。
唇がようやく離れる。そっと吐息を零せば、シズちゃんが、小さく唸った。
「…しおらしい手前はうざくなくていいけどよ、なんか調子狂う」
だから、やめろ、と言われて。
「だったら…」
言いかけた言葉をすんでで飲み込み、俺は瞳を細めた。





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2011.11.5 up
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