謐と無情と 2


※少しばかりグロ的な表現がありますのでご注意を





死後の世界にしてはあまりにも生活感溢れる光景だと、瞳を瞬きながら思った。
元は真っ白だったに違いないのに、天井の壁紙が少し黄ばんでしまっている。この分だと部屋中の壁紙が黄ばんでしまっているに違いない。
鼻をスンと鳴らし匂いを確かめれば、部屋中に煙草の匂いが染み付いてしまっているのがわかり、すぐに纏わり付いてこようとするその特徴的な匂いに臨也は思わず眉を顰めた。
覚醒すれば身体に重力がかかり、シーツに沈み込んだ感覚を覚えて。ベッドが軋む音と掌に触れる硬いシーツに、臨也は自分がベッドに横たわらせられていることに気がついた。
少し顔を上げ胸元へと視線を落とすと、ボロボロになったコートは脱がされず着せられたままなようだった。このままではシーツが汚れてしまうのに、などと場違いなことを考え、ああ面倒だったのかとも妙に納得しながら頬に触れる煙草臭いシーツの感触を味わう。
ここはどこだろう、と逡巡したのは時間にすれば数秒ほどのものだろう。
すぐに肌で感じることができた慣れた気配が何よりの証拠だった。
臨也が横目でその気配を辿れば、果たして、すぐ側に予想通り静雄が背を向けてベッドに腰かけていた。頬の辺りから紫煙が立ち上り、どうやら煙草をふかしているようだった。
「…は、…っ…」
どうしてシズちゃんの家なんかに、と口を動かしたつもりだったが思うように声が出ず、掠れた吐息が漏れただけだった。これでは気付いてはもらえないだろうと仕方なくゆるりと顔だけ動かす。
「っ…、ヒュッ…ッ…、ゴホッ!?」
呼ぼうとした名前は頭文字が形作れずに、唇からは代わりに不快な空気音が漏れ噎せてしまう。
「……っ、ァ…?」
おかしい。
意図する言葉を紡ぎ出すことのない唇に、臨也は両手で自らの喉元を押さえた。
けして息苦しいわけではないのに。
首を絞められたときに声帯を痛めてしまったのだろうか。
……声が出ないのだ。
「声、出ねぇのか」
じっと黙ったまま口を挟まなかった静雄が振り返りもせずにボソリと零す。
原因はどう考えても君だろう、と忌々しくその背を見遣れば静雄は紫煙をゆるりと吐き出し、可笑しそうに笑う。
「いい様だなぁ」
「……っ!!」
静雄に嘲笑われたのが気に食わなくて、一気に頭に血がのぼる。あんなに痛めつけられた身体だったのだけれど、身体のあちこちから生まれ続ける痛覚を凌駕する気力が臨也を後押しした。
(死ねよ…っ!)
そして、上半身を起こすとコートの袖口あたりに隠し持っていた最後のナイフを握りしめ、間髪いれずに静雄の背を目掛けて突き立てようと勢いよく腕を振り下ろす。
しかし、ナイフはその細くも逞しい背に届くことはなく、敢え無く静雄の掌の中へと収まる。
「危ねぇなぁ…」
振り返った静雄は、言葉とは裏腹にナイフを片手で易々と掴みながら勝ち誇った笑みを浮かべている。更に、傍にあった灰皿へと吸い終わった煙草を押しつける余裕が臨也の怒りを助長させて。
「どうした?力入ってねぇぜ?」
だけれど、わざとらしくゆっくりと顔を近付けられて唇を噛み締めるしかなかった。
静雄が身体を傾けるたびにベッドが軋み、ナイフを掴まれた腕はピクリとも動かせないために後退しようにも身体が思うように動かせないからだ。
せめてもと口で反撃したいのは山々だが、罵詈雑言を浴びせたくても声が出せない現実を突きつけられるだけだった。
「まだ動けるなんてしぶとい奴だよなあ。ああ、ノミ蟲なんだもんなあ、しぶといのが売りか。ほんとうぜえ…」
「ァ…」
グイとナイフを掴んだまま引っ張られれば、呆気なくナイフは奪いとられてしまい。
気がつけば静雄に覆い被さられている状態で、吐息が鼻先に触れる距離にまで接近を許してしまっていた。
「手前が悪いんだぜ?また俺に向かってきやがるから…」
取り上げられたナイフは、静雄が放り投げたことによって垂直に床を目掛けて落下する。
ナイフを手放した掌を広げて見せつけられるが、そこには当然のことながら傷一つついてはいない。
そして、トスッと床に突き刺さる絶望に塗れた音に、これからの狂乱の始まりを予期した臨也は息を呑んだ。
「散々痛めつけてやったのによぉ…。まあいい、まだ動けるなら付き合えよな?」
大仰なため息を吐きながら、静雄が首元へと唇を寄せてくるから嫌悪感から身体を捩ろうとしたのだけれどすぐに両肩を掴まれてしまって。
瞳を見開いたところで、静雄が鎖骨をかみ砕かんばかりに歯をたててきた。
「………っっ!!」
ガリッと肉を食い千切られたかのような嫌な音が上がると同時に体中から脂汗が吹き出す。続いてじんとした痛みが発せられたのはほんの始まりで、すぐにそこから血が吹き出すかのような感覚と鋭く突き刺さるような痛みとの戦いが始まった。
「…っ、…っ」
痛い、と唇を動かすが、吐息が吐き出されるだけに終わってしまう。後から後から湧き出てくるような痛覚にどうしても震えてしまう唇に、気をよくしたのだろう静雄が傷口に追い打ちをかけるように爪をたてた。
「……!!」
襲い来る想像を絶する痛みに、臨也は口を大きく開けて。もし声が出るならばつんざくような悲鳴になったことだろう。
眦に涙が溢れ始める。みっともなく涙など流したくないのだけれど、全てが臨也の思い通りにならない。代わりに、これからこの身体は静雄の思うがままに痛めつけられ貪られることになるのだ。
「安心しろ、殺しはしねぇ。手前が無様に泣き叫ぶ顔が見たいだけだからな。…ああ、声は出ないんだったか」
これではそのためだけに連れ帰ったのだと宣言されたようなもので、荒々しい息を繰り返す臨也は小さく口元を歪めた。殺したいくらい憎い相手の無様な姿を見たいだなんて悪趣味だ。そして、詰られ何の抵抗できずにいる臨也自身もまた然別。
「は、はぁ…っ、……っ」
コートに手をかけられたところで、動揺を押し隠そうとしたのだけれど敢え無く失敗に終わり、吐息は激しさを増すばかりだった。
左右にコートを引っ張られてしまえば、簡単にインナーが曝されて。インナーの首元は出血した臨也の赤い血に塗れ、じんわりと汚染の範囲を広げ続けている。
傷口を凝視されれば、再び噛みつかれるのかと身構えてしまい。そんな些細な機微すら目敏く気付いた静雄によって小さく笑われてしまった。
「また噛みついてほしいのか?」
否定の代わりに睨みつけても大した効果はなく、ますます笑みを深められるだけだった。
「マゾなんだな、臨也くんはよ」
そしてぺロリと自らの唇を舐め取り、こびり付いていたのだろう血液に顔を顰めて見せたのは一瞬。
「やっぱり不味いよなぁ。手前の血はよぉ」
舌先に広がったのだろう鉄錆に似た味に、それでも厭らしく口角を上げる。そして、静雄は再び鎖骨に与えた傷口へと顔を寄せていく。
「……ァッ」
嫌ならば舐めなければいいのに、嬲るかのように傷口に舌先を這わせられる。舌先が行き来するたびに発生するチリチリとした痛みと生温かい舌先から生み出される不快感に、臨也は歯を食いしばって耐えた。何がそんなに楽しいのか、歪んだ笑みを浮かべながら傷口へと舌先を侵入させ、パクリと柘榴のように広がる傷口から溢れ出て来る血液を啜るかのように舐め取る。常軌を逸した静雄の行動に、ああ、化け物なのだから仕方がないのか、とまるで自分に言い聞かせるかのように心中で呟いた。
「…っ、っ…、はっ」
ピチャピチャと唾液と血液が絡まる水音はどこか卑猥で。舌先が肉を裂こうとするたびに、ピクリピクリと臨也の痩躯が痙攣を繰り返す。
与えられる苦痛は、もはや痛いなんてレベルではない。本当ならばプライドも何もかもかなぐり捨ててしまいたかった。何度も、やめて、と唇は拒絶を形取るが静雄は臨也の震える身体を押さえつけるだけで見て見ぬ振りをしているのだ。
脳髄にまで達するような痛みは、肉を貪りとられているという現実だけでなく、全てを貪られる立場にあるという明確な主従関係をも否応なく臨也に知らしめ、肉体的にも精神的にも臨也を追い詰めようとする。
ひとしきり舐め取れば満足したのか、静雄が顔を上げた。口の周りが臨也の血に塗れている様はどこか異様でしかない。
「はぁ…っ」
静雄の猛攻になんとか耐え抜いた臨也が安堵のため息をついたのは束の間。そんな暇を与えないとばかりに、すぐに静雄の掌が臨也のインナーの中へと侵入してくる。
「……っ」
「寝てんじゃねぇよ。もう一回噛んでやろうか?」
ピクリと不覚にも両肩を揺らしてしまったのは、静雄の視線から本気を悟ったから。
気付いてしまえばもう後戻りできそうになかった。煩いくらいに心臓が脈打つのは、静雄に対する明白な恐怖心から。
(この、俺が…?シズちゃんが…怖い…?)
腹部をどこか冷たい静雄の掌が這い回る。肌が引き攣るかのようにして静雄の掌を拒むのだけれど、肩を押さえつけられているから逃げられない。後退しようと立てた両足にも力が入らずにシーツの上へと崩れ落ちてしまう。
「ようやく覚悟を決めたか…?」
満足に抵抗できない臨也を見下ろした静雄は鼻を鳴らす。その瞳は、情欲に塗れた獣そのものだった。
「……お望み通り、たっぷりと犯してやるからな」
そうして、静雄は打撲傷を負わせた部分を探し当て、意図的に圧迫するかのように力を込めてくる。その衝撃に身体を仰け反らせた臨也の震える口元からは当然のことながら声が発せられることはなかった。


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2011.5.29up
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