腕の中
 腕の中にいた筈の体温が消えているのに気付いて、目覚めたのはまだ日の出には程遠い真夜中の事だった。
 昨夜の熱はまだ冷めていなかったが、やはり抱きしめていた体温が消えると肌寒い。
 ウォーリアオブライトは起き上がると、簡単に服だけを着て、何処かへ消えてしまった恋人を探しに天幕を出た。

 フリオニールが何処にいるのかは、おおよそ見当がついていた。
 今夜は偶然見つけた泉の近くに天幕を張ることにしたので、きっと泉で水浴びでもしているのだろう。


 さくさくと、泉へ向かう途中の林の落ち葉を踏みながら、ウォーリアオブライトは考えていた。
 身体を重ねた後に恋人が消えるのは珍しいことではなく、余程激しく求め合わない限り、彼はするりと何処かへ行ってしまう。フリオニールに告げたことはないが、やはり目覚めた時に腕の中に恋人がいないのは寂しいものである。
 何故、彼は自分の腕の中にいてくれないのだろう。
 ウォーリアオブライトは小さく溜息を吐く。

 月の明かりが斑模様に差し込む林を抜ける。


 思った通りフリオニールは泉の中央で水浴びをしていた。
 彼は傷だらけの背中を向けており、ウォーリアオブライトの存在には気付いていないようだった。
 程よく筋肉のついたしなやかな身体が惜し気もなく、月光の下に晒されていた。
 声を掛けようとして、躊躇した。

――何故君は私を選んだのか。

 常日頃から薄々思っていた事が、今夜急にはっきりと浮上した。

 フリオニールは非常に魅力的な青年だ。純粋で優しく、美しい夢を追い求める熱い心を持っているし、顔立ちも整っている。こんな世界でなければ、きっと沢山の人間に好かれるタイプだろう。
 それに比べて自分は戦い以外の記憶は何一つ持っていない、面白みのない人間だと思う。
 自分が彼に惹かれたのは必然だったが、彼がそれに応えてくれたのはひどく不思議だった。

 彼は私に憧れているという。しかし、憧れと恋情はイコールでは結ばれないものだ。

 ウォーリアオブライトは先程より深い溜息を吐いた。
 らしくない。こんなにも揺さ振られ、惑うのは。
 彼だからなのだろう。きっと。

「ウォーリア?」

 溜息の音に気が付いたのか、彼はこちらに振り向いた。
 その顔は少しだけ嬉しそうに見えたが、目が合った瞬間に彼は驚きを僅かに含んだ、複雑な表情になった。

「どうしたんだ、その顔」
「顔?」
「悲しそうな、顔だ」

 フリオニールは切なげに顔を歪ませて、泉の側に立っている私に近付く。

「貴方が、そんな顔をするなんて…。何かあったのか?」

 泉の中にいるフリオニールは自然にウォーリアオブライトを上目遣いで見上げることになる。
 月光と水面の反射で不安定にゆらゆらと光る瞳に、くらりと目眩がする。

「…いや、何でもない」

 見つめていたいと思うその瞳から目を逸らすのは、いつもなら有り得ないことだった。

「嘘だ」

 フリオニールの声が静かな泉に響く。
 彼は他者からの好意に関しては鈍感なのに、こういう時は妙に鋭い。

「何か悩みがあるなら話してくれ。俺は貴方に比べると未熟だし、子供だけど、貴方が苦しいと俺…」

 ウォーリアオブライトを見上げていたフリオニールは、力無く頭を下げてしまった。
 ウォーリアオブライトは跪き、何かに耐えるようにきゅっと閉じられてる彼の瞼を覗き込み、少し濡れている彼の髪の毛を撫でる。
 ふるりと、長い銀の睫毛が揺れた。

「情けない話だが、一瞬だけ、君の想いを疑ってしまった」
「…え?」

 俯いていた顔がさっと上を向く。

「何故、記憶のない私を選んでくれたのだろうか、と」
「…」
「すまない。今の言葉は忘れてくれ」

 それだけを言って、立ち上がろうとすれば、フリオニールはウォーリアオブライトの手を掴んで止めさせた。

「俺だって、ずっと思ってた」
「フリオニール…」

 真っ直ぐな眼差しでフリオニールは言う。

「憧れてて、ずっと好きで、追い求めてた貴方が俺に振り向いてくれたのが、不思議だった」

 彼はくしゃりと、泣き笑いのような表情を浮かべる。

「だって俺は男で、胸は無いし、貴方の子供を孕むことはできない上に、身体は傷だらけだ」

 綺麗な貴方には不釣り合いだと思ってた。そうフリオニールは悲痛な顔で吐き出した。

「抱き合う度に、貴方の綺麗な身体を見る度に気にしてた。貴方の腕の中に居るのは俺で良いのかと」
「そんなこと…。君の身体に傷が有ろうと無かろうと、私は気にしない。君の全てを私は、」

 愛しているのだから。
 そう言うのが早いか遅いか解らないぐらい衝動的に、下半身をまだ泉に浸しているフリオニールの身体を掻き抱いた。

「…知ってるんだ。不安に思って貴方の傍を離れても、貴方はすぐに俺を迎えに来てくれるから」

 腕の中で彼はそう言って笑って、ウォーリアオブライトの背中に腕を回した。

「君の身体は冷たいな」

 どのくらいの間、彼が水浴びをしていたのか知らないが、彼の身体は冷えきっていた。

「なら、また暖めてくれるだろ?」

 そうやって微笑む彼の誘いを断る術など、自分にはない。
 彼の冷たい唇に触れて、彼の身体に熱を燈すことしか自分はできないのだ。


10,10,03


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