第一話 取引

梅雨の稲毛海岸にタロは居た。
空が真っ白で、海も濁っている。
冷たい波と雨にうちつけられ、タロは佇んでいた。

「寒い中なにやってるんだい、タロくん。ほら。暖かいコーヒーあげるから車に乗って。」

淡々と、かつ笑顔で、女は持っていた魔法瓶の中身を蓋のカップによそい、タロに手渡した。
タロは黙ってそれを啜った。馴染みのインスタントコーヒーの味と、馴染みのない甘い味がした。

「これ、何をコーヒーに溶かしたんですか?」
「これ?ああ、“果ての街”のお砂糖だよ。この世のお砂糖は果てでは高級品だから手が出なくて。」
「へえ」

あの世とその入り口の“果ての街”では、この世のスパイスと砂糖などの調味料、コーヒーやお茶の嗜好品は高値で取引されている。
あの世にもそういったものはあるのだが、微妙に味が違うため、現世に馴染みのある者など満足しない者も多い。
そして、あの世では現世の、現世ではあの世の一部の嗜好品は独特の酩酊状態を引き起こすため、
あの世にこの世の嗜好品を持ち込む時、少量の場合を除いては課税されてしまうのだ。
ただ、買うのではなく現地の者から貰うのは一切課税されないため、こういった取引をするものも居るし、黙認されていた。

「ほら。ね、もういいだろ。恋人君が君を待っているよ。」
「……もう少しだけ、ここに居させてください」

そういって、タロは涙を流し始めた。
女はタロを抱き寄せ、頭を撫でていた。

 *

「お帰り。あなたたち、ほんと雨とか海とかすきだよね。もう先にベーグル食べちゃってるよ。
 東、まさかとは思うけどそいつとよろしくやってたわけじゃないよね?」

後部座席でアヤトリをしているもう一人の女は、先ほどのコーヒー女にそう言った。
コーヒー女こと東は運転しながら棒付き飴を舐めていた。

「してないよ。キスすらしてないし。君とは違うんだよ、南。」

南と呼ばれたアヤトリ女は少しムッとしていたが、一緒にあやとりをしていたタロの恋人君……キーは笑っていた。

「ねー、タロ。僕も飴わけてよー?」
「いいよ。カバンの中にあるやつから選んで、キー」

キーは嬉しそうに飴を2つとり、南に突き出すと、「好きなほう、選んで!」と嬉しそうに言った。
南はノリノリで「どっちにしようかなー?」と笑っていた。

「ねえ、東さん。取引しません?」
「麻薬の?」
「半分正解」

タロが突拍子もなく取引を口にしたので、東は驚いてしまった。

「そこのコンビニで砂糖とインスタントコーヒー買っていいですか?」
「……いいよ」

東は車を止めると、タロとキーは車から降りた。
窓を開け、東と南がタバコに火を点けた。
丁度1本吸い終わる頃、声がした。

「ねー、東さん、これから“果ての街”に僕たちも泊まるんだよねー?」

キーがひょっこり現れて東に話しかけたのだ。

「キー君、雨に濡れちゃうよ。」
「大丈夫だよー!で、何泊くらいする?」
「決まってないけど、だいたい3-4泊くらい?」
「おーけー!」

キーはパタパタと足音を立て、コンビニへ戻った。
そして、しばらくしてタロと出てきた。

「ただいま。5つずつ確保しましたよ。あとコーヒー用粉ミルクも2瓶。」
「そんなに?!」
「僕たちの分も含めてですよ。はい、カフェラテも」
「ありがとう、タロ君!本当にいいの?」
「さっき泣くときに胸を貸してくださったお礼です」

タロとキーはそれぞれ隣の席の者にカフェラテを配った。
東と南は「うれしい!」「ありがとう!」と感嘆の声をあげ、あたたかいカフェラテを飲んだ。
コーヒーの香ばしさとミルクの柔らかい香りが車へ徐々に満ちて行った。

「ねー、東さん。コーヒーシュガーを買い忘れちゃった。虹砂糖、少し分けて?」
「いいよ。どうぞ、キー君」

透明なような虹色なような粉末と、小さな金平糖の入った砂糖を受け取ると、キーもポケットから似たものを取り出した。

「はい、ジェムシュガー持ってるからおすそ分け!」
「え、いいの?!」
「先着2名様です!」

満面の笑みを浮かべて、東と南にジェムシュガーを手渡すキーを見て、
タロは静かに(麻薬を吸う人の会みたいになってる…)と思っていた。

 *

カフェラテを飲み終わった4人は、陽気なインディーズの曲を聴きながら車を走らせていた。
津田沼の向こう辺りに、夜にしか現れない秘密の道があるのだ。
南はコーヒー用粉ミルクを舐めて眠っているし、キーはぼーっと窓の外を眺めていた。

「ところで、僕らどこに泊まるんですか?」
「下町の波止場の民宿だよ。温泉もある。」

窓から淡い光が流れてくる。その夜景は供養のために通る死人用の通路のものだった。

「もしかしてそのホテル、死者が汚れを落とすための浴場や大きな酒場があったりします?」
「するよ。なんで知ってるの?」
「僕もキーも何度か行ったことがあるんですよ。南船橋から電車で。」
「へー!よく知ってるねその通路!僕が初めて“果ての街”に行った時もその通路だったよ!」

タロ達を載せた白い軽自動車は、軽快に夜の闇へ飛び込んだ。
一瞬真っ暗になり、しばらく走った後に遠くから屋台が見えた。

「この世の果てにようこそ!」

東は笑顔でタロに言った。


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