A requiem to give to you- 取り戻した音(1/10) -
2XXX年、10月某日───???にて。
「博士〜、おりますかぁ?」
そんな呼びかけと共にドアをノックしたのは、高校生くらいの茶髪の少年。ドアの先にいるであろう《博士》と呼ばれる人物を呼ぶが、返事はない。
少年は首を傾げた。
「診察の方に出てるんかな?」
「……こんな所までどうしたんだい?」
そんな声が聞こえ、少年がそちらを振り返ると廊下から一人の青年が歩いてきた。歳は三十代半ばくらいだろうか。黒い髪に黒い目、優しげな表情。白衣を纏い、首からは聴診器をかけているその風貌はまさに医師のそれだ。
青年は少年がここにいる事を不思議に思ったらしく、目を瞬かせながらこちらを見ている。そんな彼に少年は軽く挨拶をするとニカっと笑った。
「博士! 仕事はもう終わりなん?」
「ああ、今日は早めに上がらせてもらったんだよ。最近、少し疲れてしまってね」
そう言って青年は苦笑を浮かべながら己の肩に手を置いて揉むような仕草をした。しかしその言葉の通り、彼の表情はどこか疲労が隠し切れず、最近の忙しさを物語っている。
少年はそんな青年に「お疲れやなぁ」と労わりの言葉を贈ると、手に持っていた袋を差し出した。
「そんな激務でお疲れの博士に、差し入れですわ!」
「これは?」
その問いに少年は得意げに笑う。
「これはなぁ……………見れば癒し、食べれば極楽。山吹印のタルトクッキーやで!」
ジャーン、とまるで効果音でも付きそうな勢いで袋から取り出されたのは、まさに「絶品!山吹屋さんのタルトクッキー」と書かれたパッケージの箱だった。
それを見た青年は子供のように目を輝かせた。
「山吹さんちの新作だー!」
「せやで! 来週から新発売だから、お世話んなってる博士には一番に渡さな思って一箱貰ってきたんや」
どうぞ、と箱を渡し、受け取った青年は嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとう、大事に食べるよ。山吹さんにもよろしく言っておいてくれ」
「オッケーオッケー! 良かったら今度は是非買いに来てな♪」
そうちゃっかりと宣伝するのも忘れない。
それはそうと、と少年は改めて青年を向いて口を開いた。
「博士、ホンマにこの時期は忙しそうやなぁ。最近は研究室にも来てなかったみたいやし」
「ははは、そうなんだよね。これから流行り風邪も増えてくる時期だから、ますます忙しくなるよ」
そう言って再び苦笑を浮かべる青年に、少年は彼が敢えて忙しくしているのを知っていた。本業は確かにこちらだが、普段は博士の称号を持つ彼が本当にやりたい事を優先して行っている。しかし一年の内に二回ほど、それを避ける時期がある。そしてその理由も、少年はわかっている。
だが、
「なぁ、博士」
「何だい?」
静かな呼びかけに、青年は首を傾げる。
「実は来週の月曜日、俺の学校な、休みやねん」
「そうなんだ。開校記念日とか?」
「そんなとこ。───だから俺、”あの場所”へ遊びに行きたいんや」
その言葉に青年はピタリと動きを止めた。そしてあからさまに戸惑ったような表情になると、「本気かい?」と問いかけてきた。
「せやで。だって俺、博士の助手やもん。ピッカピカの高校一年生にとってはこの時期が一番暇やねん。博士の研究テーマがあっちにあるんやから、一度は現物を見に行ってみよう思ってなぁ」
「そ、そうなんだね」
「それに、久々に会いたい人らも同じ街にいるし………研究の手伝いが出来なさそうなら、ついでに行って会ってきてもええかなって」
「そうか………」
青年は何かを言いたげだ。長い付き合いのある少年はそれに気付いている。だからこそ、少年はこう切り出した。
「そんな訳で、博士。引率よろしゅうな!」
「……………
へ?」
まさに何を言っているのかがわからない、と言った顔だ。予想通りの反応に少年はカラカラと笑い声を上げた。
「なんや期待通りの反応やなぁ!」
「いやいや、いきなり引率って何???」
「だって、向こうに行くなら間違いなく泊まりがけになるやろし、下手に一人で行ったら最悪補導されるで」
「山吹さんは?」
「博士と行くって言ったら快くOKしてくれたで!」
それに、と少年は一枚の紙を青年の前へと突き出した。
「この時期、博士が必ず連休を取ってるのも知っとるからなぁ?」
そう言って彼に見せたのは、青年のシフト表だった。少年は彼の職場、研究所共に顔がきいている。また信頼も厚い為、彼の予定などその辺の職員へ訊けば直ぐに教えてくれた。
「どうせ何もせんと家に引き篭もるだけなんやから、一少年の旅行につきあってや」
「ええぇ………」
「俺と博士の付き合いやん。ついでに自分の娘の成長も見て来れるし、一石二鳥やろ??」
「いや、それちょっと意味が」
「てなわけでよろしくー♪」
「あ、ちょっと待って! まだ僕は行くなんて言って……………話を聞きなさい睦君んんんっ!!」
言いたい事だけ言って走り去る少年の背に青年の叫び声が響く。何だかんだで面倒見が良い青年はきっとついて来てくれるだろう。そんな期待に胸を躍らせながら、少年はニシシッと小さく笑った。
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