A requiem to give to you
- A score that spells hope・前編(1/7) -



2XXX年、10月某日の夕方───桐原家にて。



「ただいまぁ」



あー疲れた、と溜め息を吐きながら癖のある黒い長髪の少女は持っていた鞄をリビングのソファに放り投げた。その足でキッチンにある冷蔵庫から飲み物を出して飲んでいると、近くのドアが開いた。



「おかえりなさぁーい……ふあぁぁ」



大きな欠伸を上げて現れたのは少女とよく似た顔立ちの女性だった。女性は少女を見、それから時計を見て首を傾げた。



「あれ、あんただけ? 聖は?」



短針は六時を越え、既に七時が近い。部活をしている少女はともかく、今のところ部活もバイトもしていないもう一人の存在がいない事を不思議に思い少女に問うが、少女もまた兄である聖がいない事を知らなかった為、意外そうに首を横に振った。



「お兄ちゃん? 先に帰って来てるんじゃないの?」

「あの子、いつも帰ってきたら起こしてくれるから……。それに誰か帰ってきたら流石に気付くわよ」



またお隣さんにでも行ってるのかしら、と言うほど気にした様子もなく女性は長い髪をまとめ上げるとキッチンへと立つ。



「お腹は?」

「こっちは食べ盛りの中学生だよ。部活もあったんだし空いてるに決まってるじゃん」



どことなく生意気な口調だが、いつもの事なので怒る事もなく女性は軽く笑って「了解」と返してコンロの鍋に火をかける。



「最近少しずつ寒くなってきたからね。今日は肉じゃがです♪」

「やった!」

「ほら、取り敢えず着替えてきなさい。直ぐに温まるからさ」



女性の言葉に少女は機嫌よく「はーい」と返事するとソファから鞄を拾い上げ、リビングを後にする。

それから階段を上がり、自分の部屋へ向か…………───う前に、一つ手前にある部屋で止まった。



「……………」



少しだけ考え、少女は目の前のドアをノックする。



「お兄ちゃん、帰ってるのー?」



呼びかけてみるが、案の定返事はない。少女はドアを開くと遠慮もなしに部屋へと入った。

あまり片付けは得意な部類ではない少女の兄の部屋は、やはりそこまで綺麗とも言い難く、床や机、ベッドにまでゲームやら漫画やら何かしらの部品などが散らかっている。



「もうっ、相変わらずの無頓着っぷりね。工具もゲームも剥き出しで転がさないでほしいわ。踏んで壊しても文句なんて言わせないんだから!」



本人がいないのを良い事に隠しもせずに文句を垂れる。

少女は閉まっているカーテンを少し乱暴に開けると窓から見える向かいにある家の、同じ階の窓を見た。そこは電気は着いておらず、カーテンも閉まったままである。



「珍しい………陸也さんも帰ってきてないのね」



意外そうにそう呟くと、少女は先程とは違いゆっくりとカーテンを閉めた。

それから何かに気付いたように持っていた鞄から最近買い替えたばかりの携帯電話を取り出す。ロックを解除してメッセージを確認すると、「あぁ……」と納得した。



「今日があの日だったんだ。そりゃあ、遅くもなるか」



下手をしたら帰って来ないかもしれないわね、と数時間前に来ていたメッセージ内容に複雑な顔をすると、これを下の階で夕飯の準備をしている母親に伝えるべく、兄の部屋を後にした。













*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇







アッシュと彼により協力を仰ぐ事が出来た漆黒の翼、白光騎士団、そしてバチカルに住まう人々により無事バチカルから脱出する事が出来たルーク達はイニスタ湿原まで来ていた。

空での移動手段がないのと、度重なる崩落による地形変化の影響で行ける場所が限られている今、もしも追手が来た際にも撒き易い事を考慮し訪れたこの場所は魔物の巣窟でもあった。

バチカルに来てから落ち着く間も無くここまで来ていた皆の顔には流石に疲労を隠せない者も多く、また父親に否定されたショックが大きく、未だに立ち直れないナタリアの精神状況も考えて一度休憩をする事となった。……とは言っても、日は既に大分沈んでおり、湿原自体もかなり広いので、このまま夜を明かすことになりそうである。

ヒースが買い込んでいた物と、レジウィーダやグレイがダアトから持ってきたホーリーボトルを辺りに振り掛けてから野営の準備をし、一通り落ち着いた所でルークが大きく息を吐いて肩の力を抜いた。



「何とか脱出出来たな………今回はアッシュに助けられてばっかりだ」

「そうですわね。……ですが、結局お父様からちゃんと話を聞けませんでしたわ」



ナタリアが悲しげにそう呟く。そんな彼女にティアが慰めるように隣に寄り添った。



「でも、陛下も苦しんでいらしたわ。もう一度、ちゃんと話をする事が出来れば……きっと伝わる筈よ」

「そう、でしょうか………いえ、そう……信じたいですわ」



祈るようなその声に、ヒースも頷いた。
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