心籠



結露した窓ガラスを撫でて、城の外を眺める。


"美女狩り"任務を終えたばかりで、久々に何も予定の無い一日。

美女狩り任務は今後続行する方針で決定している上、後日アガーテ様とのお茶会を控えているため、心中穏やかというわけではないが、久々の自由な時間をどう過ごそうか、少し考えた。

とにかく、空いた小腹を満たすために食堂へ行ってなにかもらおうかと廊下に出たところで、なにやら騒がしいことに気が付く。


声のする方へ行ってみると、なにやら人だかりができているようだ。

声を荒げて、皆口々に何か言っている。

「ユージーン隊長が犯人だっていうのはもうわかりきってる…」

「…お前だって本当はそう思ってるんだろ!」


ああ、この話題は、朝から少し厳しいな…

少しばかり憂鬱な気分になりながら兵士達の様子を窺うと、単なる井戸端会議ではなく、誰かを取り囲み、責め立てているような様子だった。

私の他にもこの話題で責められている人が居ると思うと、居てもたっても居られなくなる。



「だいたいメイが――!!」

「私が、どうかした?」

自分の名前が出た瞬間、わざと石畳をガツガツと大きな足音を立てながら、兵士の群れに詰め寄った。

片眉を吊り上げ、皮肉な笑みを浮かべて仁王立ちする私の姿を認めるなり、兵士たちは悪戯を叱られた子供のような顔をして、後ずさる。

少しでも罪悪感があるなら、朝から廊下でこんな話しなければいいのに。

気まずそうに視線を逸らす兵士達の滑稽な姿を見て、怒りのボルテージが上がって行く。


「随分と…楽しそうなお話じゃない?私も混ぜてよ」


怒りを抑えもせず、嫌悪感を剥き出しにして近くに居た兵士に話しかけると、兵士はギクリと身を硬くして、「なんでもない」と短く返事をして慌てて立ち去ってしまった。

それに倣って、兵士たちは慌てて散り散りになっていく。

きっと自分は今、サレとそっくりな表情をしているに違いない。


兵士達が居なくなって、その中心に居た人物が誰だったのか、ようやく知ることができた。


石畳の廊下に座り込んで唇を噛みしめている、マオだった。

「マオ…?」

今にも泣き出しそうなマオの傍へ屈むと、立てるか気遣いながら手を差し出す。

マオは私の手を素直に握ると、ぎこちない仕種で立ちあがった。

よく見ると、服も身体も小さな擦り傷だらけだ。

「何があったの?」

思わずそう聞かずにはいられないほど、マオは憔悴しきっているように見えた。

しかしいくら聞いても、マオは黙って首を横に振るだけ。

マオの肩を抱いて、まっすぐに目を見る。


いつも明るく笑っていたマオの表情は、今は何かを耐えるように、何かを抱えているように強張っていた。

「本当に言いたくないなら聞かないよ。でも朝から私の名前を叫んでいた兵士達に取り囲まれてなにかされていたのは明らかだった。私のせいでマオが何か都合の悪いことになってるなら、私はそれを見過ごすことはできないよ」


押しつけの正義感かもしれないけど、こんなマオはマオじゃない。

私のせいなら私がどうにかしたい。



マオは少し迷うような仕種を見せたあと、こちらの様子を窺うようにチラチラと私の顔を見る。

「……メイは…ユージーンのこと…どう思ってる?」

いつもの元気が嘘のような、蚊の鳴くような声で尋ねると、すぐに視線を伏せる。


マオだってドクターバースの事件の話題は辛すぎるはずだ。

私だってあんなに辛かったのに、この小さな身体の少年が、甲冑に身体を覆われた兵士達に囲まれて平気な訳が無い。

私の名前が出ていたということは、私の分まで暴言を浴びせられていたのかもしれない。

そういえば私自身は、サレに一度庇ってもらってから前のように兵士達に詰め寄られることは無くなった。
四星に窘められて私にぶつけることができなくなった兵士達の不満が、マオに向いたのだろうか。

……ユージーン隊長を無邪気に慕っていたマオに。



俯いて黙ったままのマオを見ていたら、またフツフツと頭に血が昇って来た。

ユージーン隊長と笑いあっていたマオの姿が、こんなに心温かく頭を過ぎるのに。

私を責め立てた兵士達の顔が、マオを怒鳴り付けた声が、無神経にそれを傷つけていく。



「マオ、ちょっと行きたい場所があるんだけど、ついてきてくれる?」


マオの肩をがっちり掴んで強引に誘うと、マオは目を丸くして、それでも頷いてくれた。






マオを連れてやってきたのは城の闘技広場だった。

幸い誰も使用する予定はないようで、広場を吹き抜ける風が冷たく頬を撫でていく。

「メイ、なんで闘技広場に来たの…?」

「"健全な精神は健全な肉体に宿る"っていうでしょ。湿っぽいことは身体を動かして忘れちゃおうと思って」

わざと明るく言うと、マオは「なんかそれ、ちょっとズレてる気がするケド」と呟いて少しだけ笑った。




マオは、私の担当するフォルス能力訓練にも、もうしばらく顔を出していなかった。

成長が目まぐるしく、訓練の必要なしと判断されたためだ。


訓練はなくても身体を鍛えたかったのか、マオの姿は度々この闘技広場で見かけられた。

――隊長と二人で、手合わせをする姿が。


隊長が居なくなってから、きっとマオは身体を動かしていない。

自分に隊長の代わりが務まるとは思えなかったが、隊長があんなことになったのは自分にも責任がある。

今日は、マオに思う存分暴れさせてやろうと思った。





「随分、フォルスの扱いが上手くなったね」


複雑に吹き荒れる炎を身を捻りながら避けてマオに語りかける。

「まだまだこんなもんじゃないヨ!」

思い切りフォルスを使うのが久しぶりなのか、マオの表情は自然と生き生きしたものになっていた。

隊長の槍とはまた違った私のレイピアに戸惑いながら、マオもトンファーで応戦する。


ふと、考えてしまった。

マオはどう思っているのか。

ドクターバースのこと、ユージーン隊長のこと、そして…私のことを。


「マオ…?」

飛び散る火の粉をフォルスで防ぎながら、恐る恐るマオの名前を呼ぶ。

「なに?」

小さく返事をしながら、それでも攻撃の手を緩めない。
そんなマオの様子を見て、こんなことを聞いて良いものが一瞬迷ったが、思い切って尋ねる。


「私のこと、怒ってる?」


その瞬間、ぴたりとマオの攻撃が止む。

私も構えていたレイピアを降ろして、マオの返事を待つ。




あまりにも長い沈黙に、マオのほうへ歩み寄ろうとした瞬間


マオの全身から、炎が噴き出した。

突然の熱気に驚いて距離を取るが、どうやらフォルスの暴走ではないようだ。


マオは怒っていた。

瞳に熱を灯らせて、見たことのないような表情で、荒れ狂う炎の中で叫んでいた。

「なんで…!なんでメイまでそんなこと言うんだヨ…!ボクは…そんなこと思ってないのに!!」

大きくなりすぎた炎をマオの細い腕が力強く薙ぎ払うと、真っ赤だった炎は青白く揺れる。

「お前もユージーンを貶めたメイの事が憎いんだろうって言われたり、人殺しのユージーンに失望しただろうとか、兵士達に言われて…そんなこと思ってないのに…」

青い炎の中心で、マオは泣いていた。

マオを慰め、抱きしめてやる前に、私は地面を蹴りあげて思い切り後ろを振り向いた。


「わかったでしょ!これがマオの本音だよ!」


思い切り叫ぶと、隠れていた数人の気配が揺れる。


先程の兵士達が、こそこそと様子を窺っていたのだ。

「何がしたいのか知らないけどね!私もマオも、人を貶めるようなことは言いたくないし、考えてすらいないの!」


マオの炎を盾で弾き飛ばして、そのまま一気に盾を解放する。

傍で見ていた兵士達には、爆発が起きたように見えただろう。

泣いていたマオも、いつの間にかまた瞳に強い光を宿していた。


闘技広場の石畳が、いつかのようにバラバラに砕けたけれど、それでも私もマオも止まらなかった。

熱風に、爆発に、目の前が真っ白になって立っていられないほどの衝撃が広場を包んでも。

鬱憤を叩きつけるように、私もマオもフォルスを振るった。


「なんの情報も持ってないのは皆一緒なの!それでも私もマオも犯人を決めつけて憎んだり、憶測を言いふらしたりなんかしない!なんでだかわかる!?」

喉が破れそうに痛いけど、それでも叫びたかった。


「信じてるからだヨ!!ボクはメイもユージーンも大好きだから!信じてるから!!」

私の声に応えるように、マオも叫びながら炎を放って叫ぶ。



その叫びを最後に私もマオも攻撃を止め、砂埃が徐々に薄れていく。


息を切らしながら振り向くと、兵士達が言葉を失ってこちらを見ていたので、精一杯顔を顰めて睨みつけてやる。

「わかったなら…もう二度とつまんないことで絡んで来ないでよネ!」

マオはトンファーを掲げながら兵士達を威嚇した。

「まだ同じ話をしたいっていうなら、さっきの強烈な一撃を遠慮なく叩きこんでやるから。」

私のフォルスによって粉々になった石畳を思い切り踏みつけながら叫ぶと、兵士たちは小さく悲鳴を上げながら逃げて行った。

王の盾の中でも秀でてフォルス制御に長けていると言われ、四星や隊長に目を掛けられているこの二人に本気で睨まれれば、さすがに兵達も何も言えなかったようだ。


改めて周囲を見回すと、闘技広場は酷い有様だった。

最初の頃のフォルス訓練で壊した時よりも広い範囲の石畳が粉々だし、壁にはヒビが入っている。

あちこちが焼け焦げた跡で茶色く変色し、墨のように黒くなった部分もある。

どれだけ我を忘れて暴れまくったんだ自分達…と、今更ながら呆然とした。

こんな闘技広場の真ん中で、壊した犯人二人が威嚇すればそりゃあ兵士達だって恐ろしくて逃げるわ。



「なんか目的が当初からズレちゃった気がするけど、すっきりしたから結果オーライだよね」

砂埃に塗れた服や髪を整えながら呟くと、隣でマオが溜息を吐く。


「なんか、悩んでたのがバカみたいだったヨ。頭をからっぽにして暴れたら答えが出ちゃったんだから」

「答え?いろいろ叫んでたけど、どれのこと?」

私が首を傾げると、マオは少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「さっき言ったでしょ。ボクはメイもユージーンも大好きだから。信じてる。今わかってるボクの中の真実はそれだけだヨ」

マオがすっきりとした表情で断言するのを見て、なんだかこちらまで清々しい気分になった。


どんなにサレ達が庇ってくれても、どんなに堂々としていても、私もきっとまだ怖かったんだ。

城の人間に責められることも、憶測が飛び交ってそれに敏感に傷つくことも、もしかしてマオに恨まれているのではと考えることも。


きっと完全には拭いされない恐怖だけれど、マオの笑顔で私の心も随分と整理がついたようだ。


壊してしまったことに関しては散々怒られるだろうけど、ここで思う存分ストレスを発散できた事は、互いのプラスの方向に働いたと信じたい。


―――――――――――――――
「闘技広場、壊すの何回目だっけかな…マオ、一緒に謝りに行こうね」

「なんでだヨ!壊したのはメイでしょ!」




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