どうして



私の悪い癖だと思う。深く考えずに行動してしまうのは。

ドクターバースの部屋の前まで来て、ノックをしようかどうしようか、一瞬迷いが生じた。

医務室に顔を出せないほど忙しいであろうドクターバースのところへ、突然押し掛けてしまって良いものだろうか。

もしかしたら、もう疲れてお休みになっているかもしれない。

そんなことを考えているうちに、部屋の中から話し声が聞こえてくる。

「……陛下は…い……に……されて……」

「……なのに、……されて……あんな……」

断片的にしか聞こえない話し声に、つい聞き耳を立ててしまう。

ドアに身を寄せ、ピッタリと耳を付ける。



すると、今度こそ、はっきりと、聞こえて来た。




「陛下に毒を盛ったのは…お前なのか?バース…。」




耳を疑った。


今のは間違いなくユージーン隊長の声。



今のは、何?


ドクターバースとユージーン隊長は、確か親友同士だったはず。

じゃあ、今のは…


聞き間違いか、そうでないならきっと何か理由があるはずだ…。


日頃、フォルス能力者の指導訓練を受け持っていたせいか、スッと頭が冷静になる。

落ち着いて、状況を把握しなくては…。


もっと詳しく話を聞こうと再びドアに身を寄せようとしたその瞬間


「――死ねぇっ!!」


「―――やめろ!!」



部屋の中から怒声と、大きな物音が聞こえて来た。


今度の声は…ドクターバースのもの。

いつもの温厚な人柄からは考えられないような、激しい、悪意の籠った叫び声。

そして続く、隊長の悲痛な叫び声。


一体何が起こっているのかわからないが、とにかく止めなければ。


しかし思ったよりも手に力が入らず、なんとか部屋のドアを開ける。


もどかしいほどゆっくりと開いたドアの向こう側を、できることならば見たくはなかった。


でも見てしまった。


胸元にナイフを刺され、血まみれで倒れるドクターバースと、その手を握るユージーン隊長。

よくよく見れば、隊長の胸元も切りつけられて血が滲んでいる。


こうなってしまえば、私だって冷静ではいられなくなった。

目の前が真っ暗になって、膝が震える。


「違う…何かの間違いだ…違うんだ…」

うわごとのように繰り返す隊長。こんな痛々しい隊長は見たことが無い。

私の知る隊長は、いつも堂々としていて、皆から慕われていて、優しくて、頼もしくて…



「私はもうダメだ…だから…あとは頼んだぞ…」

隊長に向かって息も絶え絶えに話すドクターバースは、私に気付くと、柔らかく笑みを浮かべた。

その笑みを見た途端、弾かれたようにドクターバースの近くへ走り寄り、ほとんど崩れるように傍らへ座り込んで手を握る。

状況の把握よりも、今はドクターバースの傍へ行くことが何よりも大切なことに思えた。


包帯が解けて、火傷の傷が露わになったが、それにも気付かないくらい動揺していた。

訓練指導のおかげで、少しは冷静に物事が見れるようになったと思っていたのに、今は何も役に立たない。


「ドクターバース…久しぶりに、会えた…やっと会えたのに…どうして……」

「メイ…また傷を作って…仕様のない子だね…」

弱弱しく手を握り返しながら、まるで小さい子供を叱るように呟く。
悲しいくらい優しくて、暖かい声。

いつもこうして、優しく笑いながら、時には叱られながら、いつも傷の手当てをしてくれた。


「メイと過ごした時間は…本当に…楽しかったよ…まるで…娘のようで…」

「もう喋らないで…!今、傷の手当てをするから…!」

ポケットに、いつも忍ばせている薬があったはずだ。

そんな気休めの薬では助からないことくらい、傍目から見ても十分すぎるほどわかりきったことなのに。

それでも私は、必死でポケットを探って薬を探す。


「最期に、メイに会えて良かった…」

「さいごじゃないよ……包帯ね、自分じゃうまく巻けなくて…だから会いに来たんだよ…これからも、私の傷を診てよ…」

ドクターバースは、微かに首を横に振ると、隊長へと視線を移す。


「ユージーン…アガーテ様を…アニーを…メイを…頼んだぞ…」

その言葉を受けて、ユージーンは悲痛に顔を歪めながら、しっかりと頷いた。

それを見たドクターバースは、安心しきったように目を細める。


「…ありがとう…私の…最高の…友よ…そして…私の…もう一人の…むすめ…」

「…ダメだ!!死ぬな!!目を開けるんだ!!」

「ドクターバース…!嫌だよ…!こんなの…どうして…!」


今にも消えそうな命の灯に、私も隊長も必死になって呼び掛けた。




その声を聞きつけたのか、兵士達が駆け付けてくる。

それでも私はドクターバースの手を放すことができず、泣きじゃくりながら縋りついた。


惨めだっていい。なんだっていい。


冷静になんてなりたくない。



今は、今だけは。



「ダメです…さっきまではユージーン隊長の名前をうわごとのように呟いていましたが…もう呼吸も…」

兵士の残酷な宣告で、涙が更に溢れてくる。


顔を上げると、ジルバ様がいつもの無表情で前へ進み出てくるのが見えた。

ジルバ様はそのままユージーン隊長を射るような視線で睨みつけると、声高に言った。


「ユージーン・ガラルド。ドクターを刺したのは、あなたですね?」


その一言に、心臓がドキリと跳ねる。

私もどういう経緯でドクターバースの胸にナイフが刺さったのか見た訳ではないが、自分を殺害した男に「あとは頼む」などと、信頼しきった言葉を託すだろうか。

何より、証拠もないのに突然隊長を疑うなんて。

「ジルバ様、違います!」

咄嗟に言い返すと、ジルバは私のほうへ視線を落とし、口元を歪めて笑った。

「では、貴女が刺したというのですね?」

「ちゃんと聞いてください…!」

落ち着いて状況を説明しようとしたところで、隊長が私の前へ進み出る。

「メイは関係ない…バースを殺したのは…俺だ」

「隊長!」

「メイは俺がバースを刺そうとしたところへ来て…止めたんだ。それなのに俺が…」

私を庇うために、隊長は嘘を重ねていく。

遮って説明しようとしても、私は詳しい状況を知らない。

それに今ジルバ様に説明できたとしても、聞いてはもらえないだろう。

とにかく隊長の容疑を晴らそうと口を開く。

「違うんです!ドクターバースは言ってたんです!さっき…」

「隊長の身柄を拘束せよ」

しかしジルバ様は、私の言葉を遮るように、冷たい笑みを浮かべて、たった一言そう言い放った。

隊長は兵士に囲まれた後、無抵抗で拘束され、部屋の外へ連れ出される。


「隊長!待ってください!皆聞いて!違うの!放して!!」

必死で隊長を追いかけるが、他の兵士に阻まれる。


私の叫び声は、隊長の去った部屋の中で響き、消えていった。


どうして、ドクターバース…

どうしてなの、隊長…


己の無力さへの呪いと、ドクターバースを失った悲しみの中、その時の私はただ涙を流すばかりだった。


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