指先

お前のことが気になって仕方ない。
私が私で居られない。




「仙蔵、お早う」
「ああ、お前か。お早う」

井戸で顔を洗っていると伊作が声をかけてくれて、そこで初めて伊作の存在に気が付いたフリをした。

「うひゃ、冷たい…」

顔を洗う伊作を、自分の顔を拭いながら横目で見る。
睫毛から、鼻先から、頬から、輪郭から。その綺麗な顔から滴り落ちる水を、羨ましいと思った。

「仙蔵…手拭い借りていい?」
「…ああ」

手渡したときに指が触れた。
私の冷たい指に、伊作は驚いたように指を引っ込めた。

「あ、ごめんね。有り難う…。仙蔵の手って、綺麗だよね」
「…まぁ、」

手入れは欠かさない。元から色も白く、指も女のようにスラリと長い。
誉められることには慣れていて条件反射で頷くと、伊作は困ったように「あはは」と笑った。

「おう、2人共早いな」

私たちの背後から声をかけてきたのは、留三郎だ。留三郎の姿を見ると、伊作の表情はいつも柔らかいものに変わる。
私は伊作のその顔も好きだった。

「お早う、留三郎…。うわっ、どうしたの、これ」
「ん?ああ、ボートの修理をしているときに…」

伊作が何の躊躇いもなく留三郎の手を取る。
よく見ると留三郎の指は所々に切り傷があったり、青くなったりしていた。

「放っておいたら駄目だ。早く手当てしないと」
「…後からでいいだろ」
「駄目だよ。出来るだけ早く消毒しないと…。ほら、保健室に行くよ!」
「おい、待てって…!」

そのまま伊作は留三郎を引きずって保健室の方へと姿を消した。




部屋でごろりと横になり、何をするでもなく天井を眺めていると、視界に文次郎の顔が逆さになって入ってきた。

「何してんだ」
「見て分からんか。仰向けになって寝転んでいる」
「いやそれは分かる。…ヒマなのか?」

…ヒマなのかもしれない。
だがそう聞かれて頷くのも何処か癪だった。

「私の手をどう思う」
「はぁ?」

手をぐいっと目の前に持っていくと、文次郎は眉根を寄せて暫く唸ったあと「綺麗だが、それが何だ」と答えた。

「綺麗なのは知っている」
「ああそうかよ。…可愛くねえ」
「…。なら、どう答えればいい」

起き上がって真剣な表情で見ると、文次郎は丸い目を更に丸くして、首を傾げた。

「何言ってんだ?」「可愛いと思って貰うためには何と答えればいいんだ」
「…そんなの、お前…」

私の勢いに押され、文次郎が少し後ずさる。私はそれを追うように少しずつ間を詰めた。

「可愛かったら、…お前じゃないだろ」
「…」
「何だよ。何が言いたいんだお前はッ!」

ペタンとその場に座って、盛大なため息をついた。

「はぁ…この、役立たずめ」
「はぁあ!?てめぇ!いい加減にしろよっ!」

胸ぐらを掴まれたがバシッとその手を払い、立ち上がった。
私を引き留める声を無視しそのまま部屋を出て、ゆっくりと廊下を歩く。

もう少し。
もう少しでいつものペースに戻れる。

もう一度、顔を洗うところからやり直すか。









end.











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