ぬくもりをあげる

※文次も仙蔵も医療系の学生
※ということ以外、設定がぼんやりしている
(文次が医学生で仙蔵が看護学生〜と妄想しながら書きましたが、まったくその設定を活かせませんでした)









…疲れた。
なんというか、本当に疲れたとしか言えないくらいに疲れた。この1週間の睡眠時間を合計させても5時間に満たないとはどういうことだ。…眠い。そろそろ寝たってバチは当たらないだろう。課題はまだ完成していないが、既に体力も気力も限界を越えている。
ガチャリと門に手をかけた、そのとき、聞き慣れた声が耳へと届いた。

「おーい、くまー」
「…?」

ぐらぐらする頭を揺らして振り返ると、そこには愛しの彼女の姿があった。赤い大きなマフラーに、茶の手袋をつけ、白いコートを羽織った、愛しの…。

「悪い、ここ1週間ろくに寝てねぇんだ。今から寝る。…だから、」

この寒空の下、家の前で凍えながら待っていてくれた彼女。出来ることならこの体をもって温めてやりたい。だがしかし、今の俺に出来ることと言えばいびきをかくことくらいだ。
しかもジャージなどに着替えもせず、ただ貪るように眠るだけ。これは事情を話して帰ってもらうほかにあるまい。
しかし途端にわざとらしいほど唐突に彼女の瞳が涙でめいっぱいになるほど潤むと、それ以上続ける言葉をなくしてしまう。

「くまの阿呆…!私がどんな思いでここに1時間立っていたと…!」
「なっ、バカタレ!風邪でもひいたらどうするんだ!」
「全部くまのせいだ…うぅ!」
「…とにかく、早く入れ。あと、くまって呼ぶな」

ガタガタと大げさに震える彼女の腕を引き、仕方なく家の中へと連れ入った。




それから1時間。
俺たちはリビングのテーブルに向かい合わせとなり、彼女が持ち出した参考書と電子辞書を覗き込んでいた。

「あのな、これを言うのは何回目か分かんねぇけど、CRPは悪いやつがいなくなったら下がってくんだって…」
「…WBCは?」
「それは炎症がおさまらないと下がってこないだろ?」
「なんで」
「だからさっき言…。…いいか。WBCってのは…、」

すっかりエアコンの効いた暖かい部屋で、ココアを飲みながらかれこれ1時間近くこのやりとりが続いている。
言い方を変え例を変え、根気よく同じ説明を繰り返し続ける俺にも限界はある。ただし、仙蔵に対する俺の怒りの沸点は異常に高いので、問題はそこではない。
問題は、仲良く引っついては離れ、また引っつこうとしているこの上の瞼と下の瞼だ。
暖かい、心地好い空間で更に眠気が高まる。

カクリ。

真下に転がっていきそうになった頭を持ち上げる。
そしてまた、

ガクリ。

「…文次郎…」
「…ん…、……悪い、寝てた…」

声をかけられて眠りの淵からなんとか這い上がる。
これでもまだ分からなければ、こいつの理解力が悪いのではなく、俺が説明下手過ぎるのだろう。そうなれば俺にはお手上げだ。悔しいが食満にでも助けを求めて…。

「…分かった」
「やっと分かった、か…?」

眠い眠いと訴える目を仙蔵に向ける。すると仙蔵は持ってきたものをしまい、鞄をごそごそと探り始めた。

「…帰んのか」
「…ごめんな文次郎。眠いのに」

それから仙蔵がそそくさと傍まで寄って来たかと思うと、柔らかいものに頭が包まれた。ふんわりと抱きしめられている。
彼女の匂いが肺を満たして、心までも満たしてくれた。

眠りに落ちる寸前「ありがとう」と聞こえて、彼女の柔らかい指が俺の両目の下にあるくまを、そっとなぞった。









「…」

鳥の声に目を開ける。朝の光が網膜に突き刺さり、思わずぎゅっともう一度目をつぶった。
ギシギシ鳴る体を起こして、腕を伸ばす。

「…仙蔵?」

ふと昨晩のことを思い出して呼び掛けるが、そこに彼女の姿はなかった。周りを見回しても、勿論どこにもない。
今の時刻は朝の8時30分。あれから12時間も経っている。さすがに帰ったのだろう。

「やべ」

時計に目をやってから慌てて立ち上がる。痛む腰を庇いながら、早く着替えなければ、と羽織ったままだった黒のジャケットを脱いで背凭れに引っかけた。

「ん?」

そのとき目についた、テーブルに置かれた見慣れぬ水色の封筒。
宛名も何も書かれていない封筒の中に入っていた紙を取り出す。ひっくり返してよく見ると、それはどうやらメッセージカードだった。




『くまへ

せめてクリスマスは休め。食事に行こうなんて金のかかることは言わないから、また勉強でも教えてくれ。

仙』




「…あいつ。1時間も粘りやがって…」

そうだ。回復した頭で考えてみれば仙蔵があんなに理解力に乏しいはずがない。普段は1を聞いて10も20もすくいとってしまう彼女なのだから。しかし、分からないと嘘をつくなんて彼女らしくもない。
つまりすぐバレる嘘をついてでも会いたかったということなのだろう。と、思っておく。

決して濃いくまの自分をからかうためだけに訪ねてきた訳ではない。きっと。…多分。

もしそうであったところで、彼女は1時間待ったと言っていたじゃないか。彼女が1時間待っていたのは、その鼻の赤さから見て間違いない。

1時間の仕返しをくらってそれでようやく釣り合いがとれた。良かった。どちらにせよこれで良かったのだ。久しぶりに彼女に会うことも出来たのだから、文句は言うまい。

よもや忘れてしまわないようにカレンダーの12/25に赤丸をつけ、その下に仙蔵のメッセージガードを貼りつける。

そして俺は、また慌ただしい日常へと身を投じるべく、早足で洗面所へと向かった。









end.







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