〜翻弄する彼と彼女のセリフ〜
好きなやつがいる。
相手はこの家の使用人。俺の父親が使用人として雇って早数年。
そいつは手先が不器用で、ドジで、使用人のくせに説教までしてくるものだから、むしろ印象は良くなくて。
それが変わっていったのはいつからだったろう。
彼女の家庭事情は詳しくは分からないが、母親は俺と同じで他界しているようで。地元を離れ懸命に働いているその姿、いつも笑っているその表情、誰にでもわけ隔てなく接するあいつに、いつの間にか夢中で。俺は彼女のことを、好きになってしまった。
恋愛なんて…この俺がするもんか、そう思っていたのに。
「そういえばあんた、ひとつ聞きたいんだが。」
「……。」
「おい。」
「……。」
「おい。……ハーティリー。」
「はい、なんでしょう?スコールお坊ちゃま。」
ほらまたこの呼び方。
以前『坊ちゃま』は気色悪いからスコールと呼べば良いと言ったはずなのに。
それなのにこいつは俺の気も知らないで、するりするりとかわしていく。今でも彼女は一向に変える気配がない。…立場上、仕方ないのも分かっているが。
彼女に俺を意識してもらいたい、なんて、やっぱり無理な話なのか。そんなことを思って深い溜息をつきながら、俺は切り出した。
「……、この前の商談で纏まった例の企画なんだが。先方が若い女性をターゲットにしたいそうなんだ。」
先日、先方が直接この屋敷へとやってきた際の出来事を、つい魔がさして、これは商談という名の見合いであると彼女に言ってしまった。
それを聞いてどんな反応を示してくれるか見たかったのだ。数ある商談の中で、確かに今回の商談は大きいものだった。とはいえ、先方が直接この屋敷に出向くことは少ない。そんなわけもあってか、彼女は俺の言葉を簡単に信じた。
が、返ってきたのは「そうですか」という、いたって普通の返事。
思惑は失敗に終わった。
…当たり前、だよな。彼女は生活の為にここで使用人をしている。そうでなければここには居ないだろうし、何より自由やありのままを望む彼女が、金ばかりに雁字搦めにされた俺のことなど見向くはずもないのだ。
「そこで、だ。あんた…ハーティリーから率直な意見がほしい。」
彼女が近づいてきたことを横目で見て、俺は書類を取り出す。
差し出したそれをぼうっと見ている彼女。らしからぬ様子に声をかけた。
「おい、聞いてるのか。」
「あっ、はい。」
「これに目を通してみてくれ。」
ようやく書類を受け取り、ぱらぱらとそれを捲る。少々難しい内容だが、それでも彼女を選んだのは、やはり"気があるから"に他ならない。一分一秒でも、何か繋がりを持ちたい。接するきっかけがほしい、そう思ってのことだ。
「いつまでですか?」
「明日までに頼む。」
「ええっ?!」
「…出来ないなら他のヤツに頼むが。」
さすがに断られるか、そんな気配に思わず眉間に皺を寄せると、彼女は首を横に振り「出来ます」と言いきった。
彼女は苦手なことだろうと、決してあきらめない。立ち向かう人間だ。だからこそ彼女ならきっと、と思った俺の考えは間違っていなかったようだ。
しかし、その後に続いた接続詞に俺は首を捻った。
「けど、」
「けど?」
何を言う気か。想像すらつかず、言葉の続きを待つ。
「一つだけ聞かせてほしいんです。」
「…内容によるが…、聞いてやる。」
何年も座り続けた馴染みの良い椅子をくるりと回し、向き合った。目の前の彼女は両手に先程の書類を抱え、何故か唇を噛んで立っている。
「本当に、結婚の話をのむんですか?好きでもない人なのに?」
予想外のことに、一瞬、言葉を失った。
そういえば彼女にあの話が嘘だったとは言っていない。言う機会もなかったし、さして興味もなさそうなら言ってもどうしようもないと思ったからだったのだが。
まさか数日という間を経て、今この話に舞い戻るとは。
戸惑いを器用に隠しつつ、口を開いた。
「……………。そんなことか…。ああ、どうせ遅かれ早かれ結婚するなら、少しでもこの家のためになる話の為にした方がいいだろう。」
…なぁ、気付けよ。あんたののことが好きだっていう男がいることを。
この部屋の担当だって、あんたにしたって意味、そろそろ気づけよ。
「俺から金を取ったら何も残らない。それに、恋愛なんて一生出来そうにもないからな。」
皮肉も込めて、そんなことを言ってしまう。
…なぁ、気付けよ。
「…どうしますか?」
「は?」
突然彼女の表情から笑顔が消えた。思わず呼吸が止まる。
「もし、わたしが、」
「…?」
「好きだって言ったら?」
目を、見開いた。
しかしその間に彼女はいつも通りの笑顔へ、ころりと変えた。
「なーんて。さ、コーヒー淹れますね!」
叶いっこない、恋。それが一瞬だけ、叶うのではという期待にまんまと踊らされた。
どういうつもりで言ったんだ?俺を弄ぶだけ?この家の次期家主にそんなことを言うなんて。
それならそれで、面白い。…俺は今、この瞬間に決めた。
当主である父は俺が色恋沙汰に興味がないことを知っている。それならば今回の見合いの話が嘘だとしても、近いうちにどこからか縁談の話は来るだろう。
父が結婚したのも俺くらいの年齢の時であると言っていたのだから。
だから、せめてその時がくるまでは。鈍感なくせに俺をいとも容易く翻弄する彼女を、翻弄し返してやる、と。そう決めた。
「なぁ。」
「はい?」
「もし、俺も、って言ったらどうするんだ?」
コーヒー豆を挽いていた彼女の手がぴたりと止まった。この執務室の端に設けられたスペースに立っている横顔はここからでもよく見える。
目に見えて真っ赤だった。初めて見た。まさか彼女のこんな表情を見られるなんて。
俺は口の端をあげ、椅子から腰をあげる。すると、微動だにしなかった彼女の肩がぴくりと揺れた。
「なぁ、どうするんだ?」
「…ど…っ、どうするって…。」
足が竦んでいる彼女に、一歩一歩距離を詰めていく。そして触れることができる位置まで来て、足を止めた。
「突き放すのか?それとも、」
「…や。」
赤味を帯びた頬に手を滑らせ、
「こうされて、受け入れるのか?」
―――柔らかいそれを思いっきり引っ張った。
「!?」
女性らしい表情から一変、まぬけな顔になる。
「にゃにしゅるにょほ〜〜〜〜!!!!!」
「くく…っ、変な顔。」
耐えきれずに噴き出すと、俺の手が振りほどかれた。
「何するのよ!バカ坊ちゃん!」
「教えてほしいか?」
迫力のない睨みに再び込み上げる笑いを我慢して、口を開いた。
「あんたで遊んでるだけだ。」
コーヒーを用意する為に用意していた水を俺にぶっかけるという、使用人として前代未聞のことを成し遂げた彼女は全力疾走で部屋から出て行った。
END