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リノアは少しくたびれた手帳を閉じた。
差し込む夕日によって自分の手がオレンジ色に染まっている。
すぐ真横の窓から外を見やれば、眩しさに思わず細まる目。窓から視線を外し、ゆっくりと教室全体を見渡すと、最後に目線が行き着いた先に見慣れた人を見つけた。
「レオンハート先生!」
「悪い、遅くなった。」
立ち上がり、駆けだしたリノアは、今しがた想いを馳せていたその相手へと勢いよく飛び付いた。
「ったく…。まだ学校だぞ。」
「卒業したもん!」
呆れた口調と裏腹に抱き留めてくれる腕が嬉しくて、リノアは広い胸板に頬を摺り寄せる。
いつまで経っても変わらない、そんな無邪気な彼女にスコールは微笑んで、小さな頭を撫でながら、後ろ手に教室の戸を閉めた。
「…今まで何してたんだ?」
「セルフィ達といっぱい写真撮ったり、寄せ書きの書き合いっこしたり、それからお昼食べに行って、思い出話して、先生たちに挨拶まわりして。あっ、校長先生にも会えたよ!泣きながらお礼言ったらね、『幸せなんですね』って言われちゃった。」
「…幸せ、か?」
「もちろん。スコールは違う?」
貼りついていた体を少し離し、リノアはスコールを見上げて首を傾げた。その顔には悪戯っ子のような笑顔。答えは分かっている、と言わんばかりの表情だ。
スコールはリノアの頭を抱きよせ隙間を埋めると、
「……俺も。幸せだ、凄く。」
耳元でそう囁いた。「顔見れないようにするなんてずるい」と非難されるが、恥じらいを捨てきるほどスコールはまだ大人になれない。
「そういえばついさっき一年前の手帳見てたんだけど。」
「ああ。」
「スコールがこの学校に来てからね、わたしの日記、スコールのことばっかりなの!」
「……。」
「……お。今ね、心臓の音おっきくなったよ、ふふ。」
「うるさい。」
負け惜しみのように抱きしめる腕に力を込める。それに気づいて益々笑うリノア。
腕の中で小刻みに揺れる体に少し憎らしさを感じながらスコールはいつもの調子で溜息をついた。
「一年、思ってたよりあっという間だったなぁ。」
「…ああ。」
「スコールと付き合ってからもいろいろあったけど…わたし、まだスコールの傍に居られるんだよね。」
「…あたり前だろ。」
「これからもよろしく頼むぞ、レオンハート先生?」
「ああ、こちらこそ。」
気持ちが通じ合ってから約1年。
すれ違った日、喧嘩した日、初めて手をつないだ日、初めてキスをした日、笑いあった日、そんな思い出の数々がお互いの脳裏に蘇り、どちらともなく口付けを交わす。
「リノア、卒業おめでとう。それから。」
唇を離し、数センチの距離で囁かれる。この後に来るであろう言葉に頬が緩むことが抑えらずにいるリノアに、スコールが再び唇を重ねた。
「誕生日、おめでとう。」
「ん、ありがと。」
スコールはリノアを腕の檻から解放すると、傍の机に放っていた自分の鞄を開けた。
「誕生日と卒業式がかぶるなんてな。」
「うん。この学校、毎年3月1日なのに土日でズレたもんね。でもおかげで誕生日に皆に会えたし、たくさんお祝いもされたよ。」
「良かったな。」
「プレゼントもいっぱい貰っちゃった。あとで見せるね!」
「ああ。」
鞄の中から手のひらよりも一回り大きい包みを取り出し、リノアに差し出す。
「これは、俺から。」
「わーい!ありがとう!開けても良い?」
「…って言いながらもう開けてるくせに。」
「えへへ。」
赤いリボンを緩ませ、桃の花柄の包装紙が破れないように解いていく。
顔を出したケースは中身の質の良さを感じさせる木製の箱で、リノアは逸る気持ちで最後の砦である蓋を開けた。
中に鎮座していたのは一つのマグカップだった。
「…これって…!!」
「ああ。…この前、おそろいのものが欲しいって言ってたろ?」
中身を取り出し、両手で包むように持つと、隅から隅まで眺める。
陶器独特の重みが心地よい。見覚えのあるものよりも一回り小さく、クリーム色の表面に茶の線で彫られたライオン。スコール愛用のものとは色違いである。
底には日付も彫られており、世界に一つなのだということを物語っていた。
「あんたには可愛げがなさすぎるか。」
「ううん!!そんなことない!嬉しいっ。すっごく嬉しい!」
「そうか…、良かった。」
「大事にするね!」
そう言いながら、誤って割らないうちにとケースに戻すリノア。元来の不器用が発揮され、ラッピングが元の状態には程遠いことには目を伏せて。スコールは教室の後ろの壁にもたれて、リノアの帰り支度を待った。
「お待たせ。行こう?」
リノアが鞄を肩にかけたことを確認すると、スコールは近づいてきたその体を引き寄せた。
声をあげる間もなく再び腕の中に閉じ込められる。
「スコール?」
「やっぱり…今渡したい。」
「え?」
「もう一つ、あるんだ。」
体を離し、目を丸くするリノアの右手をとる。そしてもう一方の手で薬指にもう一つのプレゼントを贈った。
生唾を飲むリノア。シルバーの細い輪が華奢な指におさまっていた。
「指輪…。」
「これも、おそろいだ。」
リノアが目線を上げた先には、右手を顔の前に掲げたスコール。いつの間にか、その薬指にも同じように銀の輪。
みるみるうちに涙を溜める彼女の頬を、スコールはその手で撫でる。
「卒業したからな。これでやっと常に身につけられるだろ?」
言葉が見つからないのか、瞳に涙を浮かべたまま大きく頷いた。その拍子に透明な雫が床へと飛ぶ。
それを見て柔らかな笑みを浮かべたスコールは、銀色のプレゼントに口付けた。
「ここ…学校なのに。スコールだって人のこと言えないじゃない。」
リノアは嬉しそうにはにかむ。その頬にほんのりと淡い紅がさしているのは夕日のせいではないはずだ。
「俺だって迷ったんだ。…でもどうしてもここで渡したかった。」
スコールは目を細めて教室内をぐるりと見渡す。リノアもまた、それにつられるように視線を動かした。
そう、ここはリノアが2年生の時のクラス。リノアがスコールに恋をした始まりの場所であり、共に勉強会をし、すれ違いを経て、二人の新たな関係が始まった想い出の場所。
今日を機にこの校舎から羽ばたくのだと思うと感慨深い。だが、今後もこの学校に留まるスコールも同じように思い出の場所だと思ってくれていることがリノアには嬉しかった。
ふと、リノアは指輪に視線を落とすと気になっていたことを問いかけた。
「ねぇ、スコールって恋人時代は右手に付ける派なの?左手にしてる人もいるよねぇ?」
「…あ、いや、…派…というか、左手は後の楽しみにとっておいた方がいいんじゃないかと思って。って…言わせるなよこんなこと。」
「自分で聞いておきながら言うのもなんだけど…照れるぜ。」
「お前な…。」
眉間に皺を寄せて渋い顔をするスコール。こんな癖は以前と変わらず残っている。
「ありがとう、スコール。何度言っても足りないくらい、ありがとう。」
リノアは眩しいくらいの笑顔を見せてスコールとの手を離し、手近な机に鞄を置くと、そのまま踊るように軽やかな足取りで前の教壇へ向かう。
そしてチョークを持つと、自分のフルネームを黒板に走らせた。
「みんな、こんにちは!今日からこのクラスの音楽の授業を受け持つことになったリノア・カーウェイです!よろしくね。」
「……。」
「ちょっと、そこのボク!大きな声でこんにちは、は〜?」
「なんで小学校ノリなんだよ、…カーウェイ先生。」
「わ〜、なんかその呼び方、こそばゆいね!!」
「そんなんでやっていけるのか?カーウェイ先生。」
「こ、これから音大で学んでいくんだもん、頑張るんだからっ!」
頬を膨らませるその姿は教師というには随分と子どもっぽい。でもそれが彼女の形なのだろう。音大を卒業したとしても、教員免許を取ったとしても、実際に本物の教師としてここに立つ日が来たとしても、きっと彼女は彼女らしいまま。むしろそうであってほしい、そんな未来を思い描きながらスコールは子どもっぽい「カーウェイ先生」に苦笑を漏らした。
「待ってるぞ。多分リノアが戻る頃には…俺は教頭かな。」
「ちょっ、えっ、抜け駆け禁止だぞ!!」
「バカ。そんなに早くなれるわけないだろ。まぁ…カーウェイ先生が留年に留年を重ねれば話は違うだろうけど。」
「レオンハート先生の意地悪〜!」
会話のキャッチボールを続けながらスコールも教壇へと向かう。出会ったころからは考えられなかったそんなテンポの良いやり取りも、少しだけ大人びたけど変わらない彼女も愛おしくて、気づけばまたリノアを抱きしめていた。
「ストレートで卒業して教員免許取るんだろ?」
「もちろんですとも!」
「言ったな?」
「え、うん?」
「俺との勉強会が続くんだ。これで留年したら…覚悟しろよ?」
「お、お手柔らかに。」
「態度次第だな。」
時計の真下で交わす抱擁。長針がカチリと動き、聞き慣れた学園の鐘が鳴り響く。
そんな中、リノアは背伸びしてスコールの唇に自分のそれを重ねた。一瞬の出来事に目を見開くスコールを見て、「これ、ワイロだからね」と笑う。
そしてスコールの右手をとると、自分がされたように指輪にキスを贈った。
「宣誓。リノア・カーウェイはこれからもスコール・レオンハートの傍にいることを、そして、いつか必ずここに戻ってくることを、誓います。」
そんな誓いの言葉と共に。
(ここからまた、はじまる)
END
<あとがき>
恋愛乙女シリーズ、ようやく本当の最終話です!(笑)
最終話はお題ではないので自分でタイトルを付けたのですが…。ギャグに走って申し訳ありません…(^^;)
さ、最初は、恋が始まったこの教室や、これからはじまる新たな日々…という意味を込めて、シンプルに「はじまり」とかにする予定だったんです!が、いざ更新!という時に「先生に宣誓」という親父ギャグを思いついてしまい…。そして某相互サイトの管理人様の一押しもあって、結局それになりました。ごめんなさい(笑)
さて、気を取り直して今回のお話。
本当は15話で終了予定でしたが、せっかくの学パロなので学校でイチャついてる二人を最後に書きたかった、そして何より、両思い後の1年で見つけた二人の未来を書きたかったんです。
一年前スコールは教師という職業に対して執着していませんでしたが、その考えが少し変わって前向きになったスコール。そしてそんなスコールと付き合っているうちに教師という職業に興味を持ち、音楽の先生になることを夢見るようになったリノア。
スコールとリノアが教師をしている高校に私も通いたいです。良いなぁ…。
ご感想などいただけたら飛び回って喜びます!
リノアの恋が始まって約半年、そして連載開始からも約半年、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました!