Long | ナノ



突き放したって、何度もぶつかってくるんだ。
冷たく当たっても、笑顔を返してくれるんだ。



…なぁ、信じても、いいのか?







放課後










冬休みも明けたある日の放課後。
授業を終え、当番の掃除も済ませたリノアは教室に残って宿題のプリントと向き合っていた。時計を見ると、約束した8時まで、まだあと1時間。



『今日の放課後、宿題見てもらいたいんだけど…時間ありますか?』
『…ああ。あ、いや、悪い、今日は8時まで会議だ。』
『そっかぁ…。あの!待っててもいい…ですか?それまでに頑張って解いておくから。』
『…帰りが危ないだろ。帰れ。』
『だいじょうぶ!どうしても今日がいいの!』
『………はぁ。好きにしろ。あとで呼びにこい。』



スコールは、随分と柔らかくなった。とリノアは思う。
素っ気なさも相変わらずだが、否定もしないし、時々今回のような心配する素振りが垣間見えることもあり、少しずつ受け入れてくれているようだった。
普段は、今日のように会議がある日はスコールも忙しいからと思い遠慮するが、今日は、今日でないとダメなのだ。
なぜなら今日は、―――。

あと数問解けば終わる宿題を一旦放って、シャープペンシルをプリントの上に置く。
机の横にかかった鞄を膝に乗せて、中に忍ばせていた桃色の小さなハート型の箱を取り出した。



(渡すんだ。これを。)



どんな顔を見せてくれるかと考えるだけで、わくわくする。
イメージ的にはスコールが甘いものを好きだとはあまり思えないが、チョコレートはリノアが普段口にしないくらいビターなものを選んだし、なんだかんだ言ってきっと受け取ってはくれる、はず。

黒板の日付は2月14日。
そう、チョコレートに想いをこめるロマンチックな日。
教室には誰もいない。少し前まではセルフィもいたが、寮生活の彼女は寮の食事があるから、ということで先ほど別れたところだった。
親友にも友チョコなるものは渡し、リノアも受け取った。もちろん、頑張れのエール付きだ。


机の端に箱をそっと置いて、セルフィからもらった袋の入口を綴じているリボンを外した。水玉模様のポップな色柄がとても彼女らしい。中には、ありとあらゆる市販のチョコレート菓子の詰め合わせ。
だって作るのめんどくさいもん、と呟く姿が目に浮かぶ。
色恋沙汰に無頓着な彼女もいつか好きな人の為に作るのだろうか。詰め合わせの中のひとつを摘まんで口に放りこみながら、そんな日が近いうちに訪れることを願った。

かく言うリノアも去年まではあまり自分で作ることはなかった。理由はもちろん、炊事が得意とは言えなかったから。今回のチョコレートも大奮闘を経て出来上がったものの中から、マシなものを選んできたつもりだ。



(……喜んでくれるといいなぁ。)



甘めのチョコレートをもう一つ口に運びながら、お手洗いに行こうと席を立つ。
リノアが教室の扉を潜ると、ちょうど廊下の向こうから見慣れた女性教師がこちらに向かって歩いてきた。

普段学内で先生達とすれ違う際に行う会釈を、いつも通りに行う。
が、そこから3歩も歩かずして、リノアは呼び止められた。



「…?…どうかされました?トゥリープ先生。」



見慣れた女性教師、―――クラスの担任であるキスティスへ首をかしげる。もしかしたらこんな時間まで学校に残っていることへの咎めかもしれない、と思い当たった節に脂汗をかいた。



「突然ごめんなさい。……少し、時間良いかしら?」






***






予定終了時刻の20分も前に会議が終わった。
やるべきことも会議前に終わらせていた為、手持無沙汰となったスコール。
約束していた彼女はもちろんまだ呼びに来てはいないが、もう教室に行ってみるか、そう思っておもむろに席を立ち、職員室を出る。その一連の動作に、迷いはなかった。

職員室を出た瞬間、真向かいに座る国語教師が溜息をついたことなど、スコールは知る由もない。



(早すぎて驚くかもな、あいつ。)



1階から2階へ、リノアが居るはずのいつもの教室へ足を進める。
暗い廊下の先に一部明るいところが見える。
教室から漏れ出た電気、つまり誰かがまだいる、ということだ。それがリノアであるとの確信を持ってスコールがその扉を開くと、案の定、自席に座っている黒髪の少女がいた。
―――ただし、机に突っ伏しているが。



(…また寝てるのか。本当によく寝るな。)



昨年末の体育館での一件の時といい、何故こうも色んなところで寝ることができるのだろうか。窓際のその席まで歩みを進めながら、自分には到底できそうにない、そう思った。

傍まで近寄ると、規則的な寝息が聞こえる。



(おい、寝ぼすけ。)



そう呼んだら彼女はどんな反応を返してくれるだろうか。多分唇を尖らせて拗ねるのだろう、それを想像してスコールは声を洩らさずに笑った。

その場で跪き、顔の高さを同じにすると、腕の間から見える寝顔。しかし閉じられた目の周りが、そこからでもわかるくらいに濡れて光っていた。



(…泣いてた、のか?)



鼻が赤い。それに、手にはハンカチが握りしめられている。…というところを見て総合的に考えると、多分、間違いないのだろう。その理由は分からないが。
スコールは「その理由」が分からないことに、言いようのないもどかしさを感じた。





***





(…スコール、先生。なんで…。)



悲しみ、喜び、真逆の気持ちが入り乱れ、リノアの頭の中を支配する。
教室に残された、先ほどまで『彼』が此処に居たことを示す数々の証拠を見て、リノアはまた自分の瞳が潤んでいくことが分かった。

起きた瞬間に肩から落ちてしまった見覚えのありすぎるジャケット。
裏返していたはずの宿題はいつの間にか表になっていて、リノアがつまづいている問題に対してアドバイスが書き殴られていた。書き殴っている、と言っても、それでも元来の几帳面が功を奏して字は綺麗だし、内容も誰にでも分かるように細かく説明がしてある。

…そして、隣の席に置いてあるマグカップ。
黒くて重量感のあるそれには、あの日見たライオンの刻印。…間違いなく、スコールの私物だった。マグカップはまだ熱く、飲み口にかけられたラップが水蒸気で白く曇っている。
そのカップの傍には、砂糖とミルク。思わず息を飲み込んだ。



(…覚えてて、くれたんだ。)



出会ってから2カ月ほどの、あの日の会話が蘇る。
リノアにとってはドキドキしながらの、でもスコールにとってはきっと何気なかったはずの、会話。

ラップを取り外し、用意されたそれらを自分の好みの分量入れて、カフェオレにする。両手でそっと包むように持ったマグカップから、まだ湯気の立つそれを口に含んだ。

大好きなこの味も、大好きなひとの気遣いも、とても、とても甘くて。



瞳いっぱいに想いを溜めたリノアはそこでようやく気がついた。
あるべきものが、ないことに。
そして、代わりのものがあることに。



(…ばか。ひとの気も知らないで。)



あるべきものの代わりに置いてあったもの。
それはプリントの下敷きになっていて今まで見えなかった、小さな、ごく普通の、黄色い付箋。
リノアの想いが詰まったチョコレートは箱ごと消えてしまった。その代替として現れた付箋を机から剥がして手に取る。

そこには一言、こう書いてあった。
『ごちそうさま。』と。

今まで我慢していたものが零れて、制服を濡らした。



「…好き。…大好き。」



もう、どうしようもないくらいに。やっぱりこの人が好きだと。痛いくらいに好きだと、心が叫んでいる。
なのに、立場が邪魔をする。
キスティスとの会話が蘇る。

なんて、自分の考えは浅はかだったのだろう。こうなることは予想できたはず。
そして気づいてしまった今、もう、残された選択肢は一つしかない。



(…やめよう。もう、やめよう。)



自分の気持ちがスコールのことを邪魔するなんて、そんなの自分が許せない。
だから、決めた。





―――明日で、最後にする。







after school
(甘い日常に終止符を。)




END



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