Long | ナノ



カッコ悪くてもいい。


手放したくないんだ。―――だから、俺は。







告白







『わたしね、もう、先生に付きまとうのやめる。』
『…そうか、勝手にしてくれ。』





想像以上に、終わりはあっさりとしていた。

昨日の決意から一夜、リノアは早起きして朝一番に学校へ来た。
多分、生徒が来る前にスコールが教室に置いてあるマグカップとジャケットを取りに来るだろう、そう予想しての行動だった。
そしてそれは見事的中し、目的の相手を捕まえることに成功した。

何か言ってくれるんじゃないか、引き留めてくれるんじゃないか、なんて淡い期待をしていたのかもしれない。でも、それは妄想のままで終わってしまった。
宣戦布告したあの日と同じように、「勝手にしてくれ」と。ただ一言、そう返された。
少しでも近づけた、そう思っていたのは自分の勘違いだったのかと肩を落とした。



「それでええの?リノア。」
「うん。十分頑張ったもん。」



そして昼休みの今、静かな裏庭のベンチでお弁当を食べながら、セルフィに報告しているのである。
リノアの心と裏腹に、その日は雲ひとつない快晴だった。



「でも、昨日…リノアのチョコ、食べてくれたんでしょ?改めて気持ち確かめてみてからでも諦めるのは遅くないんじゃない?」



親友は必死にリノアを諭そうとしてくれている。
でも、もうーーー



「…今朝スコール先生と話して、ああ、もうダメなんだって思ったの。『勝手にしろ』って言われちゃったんだもん。結局わたしは一人で舞い上がってただけなのかな、って思っちゃって。」
「そんな…。」
「それにね、ちがうの、セルフィ。好きでいることをやめるわけじゃないの、そばにいることをやめるだけなの。」
「…それって…前みたいに、ただ遠くから見ているだけに戻るってこと?」
「…うん。」



本当はすっぱり諦めることが出来たらいいんだけどね、そう言って苦笑した。



「傍にいることをやめたら、この気持ちもきっと時が解決してくれるかもしれないじゃない?」
「でもさぁ…。」
「さっきも話したでしょ?トゥリープ先生の話。先生を想うなら、こうすることが一番いいの。」



まるでセルフィに言い聞かせるような口調だが、それは自分自身に言い聞かせるための言葉だった。多分それに気がついたのだろう、親友は言い募ろうとした言葉を切った。





『単刀直入に言うわ。レオンハート先生のことが本当に好きなら、もう、手を引いてほしいの。』
『…え…っと、それってどういう…。』
『噂、聞いたことないかしら。』
『…噂?』
『レオンハート先生が生徒に手を出している、とか…。』
『そんな…っ!?』





昨日のキスティスとの会話で知った事実。
心外だった。自分から押しかけているだけなのに。
でも考えてみれば、そんな噂の一つや二つあってもおかしくはない。多分、それ以外にもいろいろと噂は存在しているのだろう。リノアが知らないだけで。

彼女にはむしろ心当たりだってあったのだから。
約2か月前のラブレターの一件。あの時はすぐに逃げることができた上、あの後特に何もなかった。だからあまり深く考えていなかった。
だけど、これが調子に乗っているリノアへの牽制だとしたら?

ここは学校だ。いつ、どこで、誰が見ていてもおかしくない。
手首を掴まれて歩いた体育館倉庫から教室までの道のり、教室での告白、保健室での宣戦布告、…むしろそれらが今まで他人に遮られたことがなかったこと自体、奇跡に近い。

キスティスは優しく頭を撫でてくれた。
『そんな噂、私は違うって信じているわ。あなたはただ、純粋な気持ちで想っているだけなんでしょう?見ていれば分かる。…でも、世間の目はそうもいかないのよ…。』そう言って、泣きじゃくるリノアに上品なフリルがあしらわれた花柄のハンカチを貸してくれた。

この噂が大きくなれば、教育委員会、あるいはもっと大きな所が動く可能性だってある。
リノアは未成年だから免れるかもしれないが、いくら若いとはいえ、成人であるスコールはきっとタダではすまない。教員免許の剥奪も十二分に有り得た。

―――そんなこと、させられない。

だから、リノアは決めたのだ。これ以上迷惑はかけない、と。
半分程度中身が残ったお弁当のふたを閉じ、唇を噛みしめるリノアの肩をセルフィは黙って抱き寄せた。





***





「これ、今日中に仕上げておいてちょうだい。」



最後の授業から戻ってきたスコールの机に、どさり、と分厚い書類の束が置かれた。
切れ長の目がそれを置いた張本人であるキスティスを睨みつける。

―――ああ、半年前に戻ってしまった、キスティスはそう思った。
誰も信用できない、そんな目は、彼がこの学校に来た当初、よく見ていたものだった。
それが段々と落ち付いて、柔らかくなってきたのはいつ頃からだろうか。
記憶を辿るが、思い当たる節はただ一つ。一人の生徒の影響によるものだということは明白だった。



「そんな顔しないで。あなたならこんな作業すぐに終わるでしょう?」
「……。」



肩を竦めて見せると、多分諦めたのだろう、肯定も否定もせずに書類に手をつけ始めた。
キスティスはそれを見届けると、スコールの真向かいの自席についた。
スコールの態度で悟る。きっと彼女は昨日の今日で、早速行動を起こしたのだろう、と。

…予想以上に彼女は大人だった。
感情的にならずに、キスティスの意見を受け入れた。何故突然そんなことを言われなければならないのか、と、反抗されるかと思っていたが、それは思い違いだった。
ただ、嗚咽を漏らして泣いていた。
そして今日、わざわざ洗ってきたハンカチを返してくれる時に礼を述べてきたくらいだった。「取り返しがつく前で良かったです、ありがとうございました」と。

それに比べて目の前の男はどうだろう。
朝から不機嫌丸出しで、まるでオモチャを取られた子供のようだ。



(…精神年齢は、彼女の方が上ね。)



スコールがそうなってしまうきっかけを作ってしまったのが自分とはいえ、目に余る態度に、溜息の一つもつきたくなるというもの。キスティスは目の前の子どもにばれないように息を吐いた。



(どうすることがベストだったのかしら。)



学内で耳にした幾つかの噂、そして極めつけはある女子生徒からの密告。
恐らくスコールに好意を寄せる子達がリノアに嫉妬したが故に言い始めたことなのだろう。
今回はその女子生徒も何を思ってか、キスティスへ言ってきただけだった。しかしこのままでは学校全体に噂が広まり、上の者たちの耳にも触れる。
時間の問題だった。だからスコールの身の保全の為にリノアに忠告をしておいた。

しかし、今思うのはそれが本当にスコールのため、リノアのためになっているのだろうか、ということ。
あんなにも一生懸命だったリノア、そしてそれに漸く心を開こうとしていたスコール。

稀に彼女に対してみせる笑顔は普段のスコールとはとても結びつかず。
果たして彼自身は自分の表情の変化に気づいているのだろうか、と、いつだったか…テストの採点中に口角を上げていた彼に問うてみたことがあったことを思い出す。





『珍しいですね、レオンハート先生。何か面白いことでも?』
『…珍しい、というと?』
『貴方が赴任してきてから、笑顔なんて見たことなかったから。…無意識、かしら。』





怪訝な表情を見せて、まるでその話をはぐらかすように原因ともなるプリントを見せてきたスコールは、まさか自分が墓穴を掘っているとは思ってもいないだろう。
プリントに書かれた「リノア・カーウェイ」の文字に、キスティスは彼の気持ちを確信したのだった。

そうやって真向かいの席からよく目にし、見守ってきた二人のやりとり。
だからこそ分かる、二人の間の雰囲気の変化。
それを終わらせてしまって良かったのだろうか。

キスティスは頭を悩ませた。



(…私は、もしかして、間違えた?)



大量の書類を捌く目の前のスコールはいつも通り無表情だが、キスティスには泣いているようにも見えた。あながち間違いではないのだろう。普段より仕事の処理も遅い。
時計の短針が7を指し示したことを横目で確認すると、キスティスは息をのむ。



(…決めた。)



キスティスは席から腰をあげた。そして目の前のスコールについてくるよう指示をする。彼は訝しげに眉を寄せたあと、渋々とキスティスの後に続いて職員室を出た。





***





「何の用だ。俺はあんたから押し付けられた仕事で忙しいんだが。」



職員室から少し歩いた先にある二階の渡り廊下。本館と別館の校舎を繋ぐ橋。
この季節にはかなり寒いが仕方がない、人気のないそこでキスティスは足を止めた。
そして開口一番、人の神経を逆なでするような言い方をするスコールにカチンとくる。が、それを堪えて、キスティスは口を開いた。



「前言撤回よ。さっきの仕事は私がするわ。こんなに能率の悪い状態でされたら、ミスばかりで逆に迷惑よ。」
「…なっ、」



柵を背に、腕を組むキスティス。
当然癇に障ったらしい目の前の彼は目を見開いている。その口が動く前に、キスティスは話を続けた。



「ほしいものはほしい、ってちゃんと意思表示しなさい。」
「意味が、分からない。」
「あるんでしょう?ほしいものが。」
「…あんたには関係ないだろ。」
「仕事に支障があるんだもの、関係大アリよ。」
「悪かったな。」
「それに…、カーウェイさんが何て言ったのか知らないけど、そうさせるきっかけを作ったのは私だもの。」
「……。」



そこでようやく、スコールの言葉が詰まった。
言葉はなくとも、全身で怒りのオーラを発していることが分かる。



「あなたとカーウェイさんの噂が流れているのよ。このままじゃあなたはもちろん、カーウェイさんだってクラスに居づらくなることだってあるかもしれ」
「勝手なことするな!」



スコールの片腕が空を切り裂いた。
僅かに怯むキスティスだが、素直に頭を下げた。



「…ごめんなさい。悪いと思ってる。だから今、こうして言っているのよ。どうするかは、あなた達で決めるべきだって思ったから。」
「……。」
「立場とか、そんなものより大事なものが出来たんでしょう?」
「……うるさい。」
「ずっとずっと真剣に向かってきてくれたんでしょ?そろそろあなたから一歩踏み出してもいいじゃない。何もせずに失くしてしまっていいの?」



逃げるように背を向けたスコールに尚も言い募る。
スコールは両拳を固く握りしめ、そしてもう一度、今度は叫ぶように同じ言葉を繰り返した。



「うるさい!……もう、やめる、って言われたんだ。だから、」
「だから何?バカじゃないの?彼女がどうこう、じゃないでしょ?レオンハート先生はどうしたいの!?」
「俺…は…、」



スコールの声のトーンが下がっていく。
キスティス自身、自分がこんなにも感情的になっていることに驚いていた。無表情、無頓着、無愛想な彼と、まさかこんな風に話す日が来ようとは。
不思議な感覚を覚えながら声音を柔らかくした。



「…ほら、行きなさい。ちゃんと真正面からぶつかってきなさい。」
「………もう、帰ってるだろ…。」
「声楽のレッスンなんですって。今日。」
「…声楽…?」
「あら、知らなかったの?もともと彼女、この学校にその専門の先生が居るから入学を決めたそうよ。喉を痛めて暫く休んでいたみたいだけど、今日からまた再開するって言っていたわ。」
「……。」



再び沈黙を守るスコールに、ふ、と笑みを浮かべる。
腕時計に視線を落とし、キスティスは言った。



「…もっと知りたいんでしょう?彼女のこと。…7時半までって言ってたから、そろそろ教室に戻ってくる頃じゃないかしら。」



言い終わるか終らないかのところで、スコールの足がコンクリートを蹴った。ふり返ることもせず、乱暴に校舎内へ続く扉を開き、駆けていった。
ただ一言、「仕事、あとは頼んだ」という言葉だけを残して。



(昨日の今日で結局あと押しするなんて、バカなのは、私も、だわ。)



自嘲気味に笑う。



(…ああ、でも、レオンハート先生には良い薬になったかもしれないわね。)



少しの罪悪感を否定しながら、すっかり冷え込んだ体を擦ると、キスティスも校舎内へと歩み出す。スコールの代わりにするべきことを済ませなくてはと思いながら、大きく伸びをして冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。





***





「ありがとうございました。それから…急に、すみませんでした。」



リノアは頭を下げた。
こうして深く頭を下げるのは、今日だけで二回目。
一度目は今朝、ハンカチを返す時に会ったトゥリープ先生に向けて。
二度目である今、相手は声楽の先生だった。

膝下の黒いワンピースを身にまとった女性はさして気にする様子もなく、「いいのよ、私も暇だったし。」と笑ってみせた。腰まである長い髪は綺麗に手入れがなされていて、リノアと同じ黒髪でも特に重いと感じることがないのは、その教師の優しい空気のせいだろうか。
次回の練習の日取りを確認したあと、リノアは音楽室を出て、荷物を取りに教室へ戻ろうと歩き始めた。

久しぶりに歌を歌った。
サークルではない、個人的なレッスン。
今は亡き母親の影響で興味を持ったものの、去年の夏前に酷く喉を炎症してしまったことがきっかけで長めの休みを貰っていたのだ。本当は来月から復帰の予定だったが、それを一か月前倒しできないかと急に連絡したのは、気を紛らわせたかったという理由に他ならない。



(でも喉も全然大丈夫そうだし、良かった。)



リノアは歩きながらぼんやりと廊下の窓の外を眺めた。既に部活動生も帰っているため、すっかり暗くなった外には殆ど人は見当たらない。
校舎内の廊下や教室も粗方電気が消えていて、明かりがついている教室は片手で数える程度だった。その中にはもちろん職員室も含まれている。



(まだ…スコール先生もいるのかな。………あ。)



日常の癖とも言えるような考えに、リノアはハッとした。振り払うように慌てて両手で自分の頬を軽く叩く。



(だめだめ!ダメだぞ、リノア!)



考えないように、考えないように、と念仏のように頭の中で唱えると、職員室の前を通らなければいけない廊下を避け、その手前の階段で2階へあがる。
何か甘いものでも買って帰ろう、そんな考えで気を紛らわせた。



「カーウェイ。」



最後の1段をのぼり終え、顔をあげた先に、たった今頭の中から追い出したはずのその人が立っていた。
目的地まであと数歩、という所。
教室の前の廊下に佇む高身長を見紛うはずなどない。

リノアの頭の中が一瞬で真っ白になる。
でも、普通に接さなくては、と、声を振り絞った。



「えっと…、れ…”レオンハート”先生。」
「…カーウェイ。」



少し低くなったスコールの声に棘を感じた。



(…ダメ。わたし、まだ、ダメだ。)

「あ、そうだっ。わたし、忘れものしちゃ…っ、」



再度響いた自分のファミリーネームに、泣きそうになる。
慌てたリノアは嘘らしい嘘を吐いてその身を翻し階段を駆け下りようとした。が、腕を掴まれそのまま教室へと引きずり込まれた。

―――ガラガラッ

乱暴に閉められた戸。居残りの生徒も居らず、暗い教室。



「…”レオンハート先生”、だと?ふざけるな。…”つきまとうのをやめる”、だと?自分の言葉に責任もてよ。」



最初にぶつけられたのは、そんな不満だった。



「諦めるつもりないって言ってただろ、纏わりついていいかって聞いただろ。それなら最後まで纏わりつけよ…。俺の降参宣言、聞きたいんだろ…?」



言葉を紡ぐその声は苦しそうだった。
器用じゃないスコールの精一杯はあまりにもぶっきらぼうで、あまりにも余裕がなくて。スコールは自分自身に嫌気がさしていた。



(何が、起こっているの?)



呆然とただなすがままのリノア。突然の出来事に全く思考が追い付かずにいた。



(…腕を掴まれて、教室に入って、…それから?)



細身に見えてがっちりとした腕がリノアの背中にある。
いつも傍で見ていたごつごつの掌が頭にある。
目の前に捉えていたはずの顔は今は視界になく、彼の肩だけがリノアの眼に映っている。
すぐそばで聞こえるのは、少し乱れた吐息。



(―――わたし、抱きしめられてる?)



スコールに包まれた自分の体。それを理解すると心臓が跳ね上がる。
鼓動が体全身を叩く。制服の厚さなんて跳び越えて、この音がスコールに伝わってしまっているんじゃないかと思うと、リノアは頭がくらくらした。

まだ、怖かった。
何本気にしているんだ、なんて、言われるのではないかと。
これは自分の都合よく作り上げた夢なのではないかと。

恐怖の半面、それを早く確かめたくて、リノアはだらしなくぶらさがったままだった細腕をそろそろと移動させ、スコールの背中に這わせた。ゆっくりとジャケットにしがみつく。

すると、スコールの体が僅かに身じろぐ。
…突き放される?リノアがそう思ったのも束の間、そんな心配とは裏腹に、抱きしめる力が一層強くなった。

少し痛いくらいに。
でもリノアにとって、今はそれが心地いい。これは夢ではないと、実感させてくれる。



(夢じゃ、ない。)



じわり、と視界が歪む。まばたきをすると、視界を邪魔していた涙が頬を伝って落ちていった。
それと同時に腕の力が緩み、リノアは腕の中から解放される。
そんなリノアの涙を、まるでスコールは最初からわかっていたかのように親指の腹で拭った。



「生徒として見られなくしたのはあんただ。…責任、とれ。」
「…っ。だって…、」
「答えろよ。…まだ好きなんだろ?俺のこと。」



なんて自意識過剰なんだろう。でも、拭った先からまた溢れ出す涙が、リノアの気持ちを代弁している。好きだ、好きだ、と。
先ほどまでの乱暴さはなく、柔らかい笑みと共に言ったスコールを少しだけ憎く感じた。



「でも、先生、このままじゃ…。」
「心配するな。何とかするさ。」
「何とかって…、まさか…!」



スコールの笑みの裏には何かの決意が浮かんでいるようで、それが何となく分かってしまったリノアは彼の考えを裏付けるべく言葉を続けようとした。
が、それよりも先に第三者の声が割って入った。



「いやぁ、いいですねぇ。青春ですね。」



この場に似つかわしくない声。その出所に目を向けた。



「こ…校長先生!?」



いつの間に居たのだろうか。
教室の扉の傍に現れたのは、リノアにとって普段は始業式などの場でしか見かけない人だった。
リノアは驚愕の声と共に、慌ててスコールのジャケットを掴んでいた手を離すが、スコールは黙って突然の訪問者を見据えている。その鋭い眼光をものともせず、シドはいつもの笑顔のまま教室に入って半開きの戸を閉めた。



「放課後の教室で、先生が生徒に手をだす。いけませんね。」
「…ああ、そうかもな。」
「世間ではこれを何と言うか知っていますか?スコール。」
「さぁな。」
「禁断の恋というやつですね。」
「先生と生徒なんて…知るか。同じ人間だろ?」



ゆっくりと教室内へ、二人のすぐそばまで歩みを寄せるシド。
そのやりとりを黙って見ていたリノアの肩に、まるで守るようにスコールの手が回された。再び、ぐっとその距離が縮まる。



(うそうそうそ…っ!)



こんな緊迫した場面で考えるべきでないことは分かっているが、浮き立つ気持ちが顔に出てしまう。それを隠すようにリノアは口元を両手で覆った。
しかし、そんな天にも昇る心地は、次ぐスコールの言葉によってすぐに現実へと引き戻された。



「もちろん辞める。だから、これ以上口を出さないでくれ。」



真っ直ぐと、何の迷いもなく彼は言い放った。
何を辞めるのか、などそれは愚問だった。その内容は正に、つい先ほどリノアが危惧した『まさか、』の続きを指すものと同じだったのだから。



「や…やだ、やだよ、先生!わたしのせいで辞めちゃうなんて!!」
「カーウェイのせいじゃない。教師だって元々やりたくてやっていたわけじゃないしな。」
「そんな…っ、」
「こんな新米教師、居ようと居まいと関係ないだろ?」



肩を竦めるスコールは何でもないことのように言ってのけた。
だが、リノアは知っていた。
スコールは無愛想でこそあったが、その堅実さから、生徒やその親から信頼され、慕われていることを。もちろん容姿だけではない、教えるポイントやテストの内容。しっかりと練られた授業は、確実に生徒の成績を伸ばしていることを。



「スコールならそう言うと思っていましたよ。」
「校長先生…。」
「しかし私はそこで『はいそうですか』と頷くわけにはいかないんですよ。」



最悪の結末がリノアの頭を過った。二人の関係がこの学校のトップに知れてしまったのだ、あらゆる事態が懸念される。



「君は意外とこの仕事に向いていますしね。これだけ有能な人材は我が校としても手放すには惜しい。」
「…あんたも知っているだろ、俺はこんな性格だ。人と交わることの多い仕事には向いていない。」
「……まぁ、そういうことにしておきましょう。」
「あんたが惜しかろうとアイツが何と言おうと、俺は辞める。コイツを手放すつもりはない。」



依然として、シドの顔から笑みが絶えることはない。
校長を平気で「あんた」呼ばわりするスコールは、もしかしてこの立場抜きにしてシドとは知り合いなのだろうか。
それに、スコールの言う「アイツ」とは一体誰を指しているのか。
所々疑問点が浮上するリノアだったが、今、口を挟めるはずもなく、その真相は分からぬままに話は進む。



「何か勘違いしているようですね、君たちは。」
「…?」
「私は今、校長室に居るんです。」
「は?」
「私は教室になど来ていませんし、ましてや何も見ていませんよ。」



シドは、今、教室にいて、そしてスコールとリノアと対峙している。
にも拘らず、突然シドが並べた矛盾するストーリー。これが意味するところは―――。



「今日の出来事は、二人だけの秘め事なのです。私は一切見ても、聞いてもいません。」
「それって…、」
「結婚できる年齢なんですから、これからどうするかは二人が決めることです。折角スコールはスコール自身に良い影響を与えてくれる人と出会ったんですしね、私はその仲を引き裂くつもりなんてありませんよ。」



スコールもリノアも目を見張り、予期せぬ展開に耳を疑った。



「もちろん”学内”での接触は今後控えてもらわなければなりませんが…。しかし二人がお互いの気持ちを確かめあった今、これからは放課後の勉強会も”学外”で出来るでしょう?」



全ての点が繋がり、線になった。
リノアの顔が綻ぶ。
放課後の勉強会のことを何故シドが知っているのか、とか、そんなことはもはやどうでも良かった。
シドは最初から最後まで穏やかな笑顔を浮かべたままで、ゆっくりと二人に背を向け去って行く。スコールとリノアの関係を認める、暗にそう伝えたシドの背中に向けて、リノアは本日3度目となる深いお辞儀をしたのだった。





***





「どうしたの?」



明かりをつけた教室でリノアは帰り支度をしながら、教室の後ろの壁にもたれかかっているスコールに声をかけた。
ことは驚くほどに丸く収まった。それなのに何やら訝しげに眉を寄せたままの彼は一体何が不満だというのだろうか。



「…狸にしてやられたような感じが気に食わない。」
「も〜、いいじゃない。辞めなくて済んだんだから、感謝しなくちゃ。」
「……。」
「そ、れ、に。スコール先生が手放すつもりのないリノアちゃんと一緒に居られるのも、校長先生のおかげだし、ね?」



机の上に置いた鞄に荷物を詰め終え、チャックを閉めると、不貞腐れたスコールの元に足を運ぶ。スコールの隣に並び、その肩に、ことり、と自分の頭を乗せた。



「カーウェイ、敬語。それから…呼び方も。」
「さっきは”レオンハート先生”って言ったら、あんなに拗ねてたくせに〜。」
「……。」
「わたし、すっごい嬉しかったぞ〜?」



悪戯っぽく言ってみせると、無言で顔を背けてしまうスコール。きっと照れているのだろう、その表情を想像すれば思わず笑ってしまう。
そして同時に思い出されたのは、予想だにしなかった殺し文句の数々。擽られてもいないのに、全身がこそばゆく感じる。



(生徒として見られなくなった、とか、生徒と先生なんて知るか、とか…。なんだか凄いこといっぱい言われてるよね!!)



「これが舞い上がらずにいられようか〜!いや、いられまい!」
「……。」



興奮冷めやらぬ気持ちを持て余し、リノアはスコールの腕に自分の腕を巻きつけた。スコールはと言えば、しばらく微動だにしていなかったが、やがてリノアの腕をゆっくりと解くと、教室の出入り口に歩いていった。
そして教室の電気を再び消し、ドアを背にしてその場に座り込むと、リノアに向かって手招きする。
スコールの一連の行動に首を傾げながらも傍に寄ると、ぐい、と腕を掴まれ引っ張られた。そのまま声を出す間もなく、床に座り込んだスコールの上に着地する。



「あんた、さっき校長から言われたばっかりだろ。接触は控えろって。」



間近にある瞳、耳元で囁く声にどきり、とした。
どうやら、廊下に人が通っても見えない位置に移動したらしい。確かにここはちょうどドアの真下で、覗きこまない限りは見えないだろう。教室の電気も落としたため、覗きこむ人もまずいない。



「だ、だって、嬉しいんだもん。」



その存在を確かめるように、抱きこまれた体を摺り寄せる。さり気なくスコールの胸に耳を当てると、聞こえる鼓動は速くて大きかった。



(良かった、緊張してるの、わたしだけじゃないんだ。)



「ね、わたし、まだ聞いてないよ。先生の降参宣言。」
「…言ったようなものだろ。」
「ちゃんと聞きたい。」



見上げた先には、眉を寄せ、口を一文字に溜息をつくスコールの顔。リノアはその頬にそっと手を添えると、自分の方を向くように促す。
少しバツが悪そうな顔が真正面に見えて、リノアは微笑んだ。



「…ああ、ボロ負けだよ、あんたには。」



恋愛乙女が白星をあげた瞬間だった。





I love you
(出会った時から、俺の負けは決まってた。)


END

→おまけ


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