失恋が恋の始まりだなんて

俺が悩んだ末に出した結論は、何もしないことだった。
芽生えたことに気付かずに枯らしてしまった恋を今更どうにもできない。
そう、諦めることでしかこの感情をどうにかすることはできなかった。

「朝比奈、お前調子悪いの?」
「何でですか?」
「いや、静かだなって」
「静かかどうかが俺の調子の判断なんですか?!」
「おぉ、元気かよ」

いつも通り寝不足の武地先輩につつかれる。
寝不足の理由を知ってしまったから、また眠いのかなんてイジることもできない。
はーちゃんに触った手でスパナを握ってると思うと、そのスパナを触ることさえ嫌だった。
まぁ俺が下っ端だから補佐はしないといけないし、触るしかないんだけれど。

「ココ、押さえてて」
「はい」

隣でいつも通り作業をする武地先輩が何だか大人に見えた。
俺が出来ないことをサラッとできて、ホモっていうのもうまく隠して生きていて、何事もないように俺に接する。
俺の友達と付き合ってんだっていうのに、そんなの微塵もわからない。
もしかしたらあの時のは見間違いだったんじゃないかっていう感覚だってする。
でもあの時見た車は武地先輩の車だったし、声も武地先輩とはーちゃんで、キスをしていたのも武地先輩とはーちゃんだった。
いっつも俺の横で作業をしている武地先輩と、俺の横で笑っていたはーちゃんだったのだ。
大人は隠し事がうまい。
はーちゃんはこうはいかないから、俺と会う頻度を減らしたのかもしれない。

「そういや、草野球どうだった?」
「ボロ負けでした」
「まじかよ」
「4番バッターも応援団長もいなかったんで」
「次は行ってやるよ」

気分良く武地先輩が笑い、手に持っていたドライバーを俺に渡してくる。

「次は、いつですかね・・・」

俺は武地先輩みたいに大人じゃないから、子供みたいに拗ねることしかできない。

***

仕事が終わり、いつもならはーちゃんに草野球の結果を報告しに行くのに、と思いながら家に帰った。
長めの風呂に入り、いつものように飯を食い、部屋に引きこもる。
うだうだと悩んで、誰かに聞いてもらいたい気持ちになったのに、なのに誰に何を相談すればいいのかも分からなかった。
まっちゃんに話したって、まっちゃんはきっとこういう相談には乗ってくれない。
っていうか向いてない。
じゃあジュニアと思ったけど、思っただけでやめた。
自分で行動したジュニアに、ただ落ち込むだけの俺は何を話したらいいのかわからないからだ。
ヨネは彼女はいらない派だから話しても何も解決しない。

「っていうか、解決って何を解決したいんだろ」

うだうだ悩んで、情けない。
自分が諦めていつも通りに戻れば、それだけで平和なのに。

「っていうか、はーちゃんは武地先輩が好きだったんだなぁ」

いつから好きだったんだろうか。
抱いてって話は武地先輩のかわりにってことだったんだろうか。
ぐだぐだ悩んで慰めもせずに終わったあの夜はなんだったんだろう。
はーちゃんは俺に好きな人の話もできないほど思いつめていたんだろうか。
何でもしてもらったのに、何もしてやらないままで、それなのにはーちゃんは俺を恨むこともなく自分で行動を起こしたのか。
はーちゃんはすごいな。

「それならなおのこと、俺は何もしないほうがいい」

何もしないまま、しばらくしたらまた傷心旅行にでも行こう。
1人で草津に行って、はーちゃんへの思いをそこに置いてこよう。
そうすればこの気持ちの重たさは少しはマシになるのかもしれない。

「ダッセーの」

かっこよくなんて、生きられない。

***

ぐだぐだと悩んだまま時間は過ぎ去り、あっという間に週末がきていた。
このところあまり眠れていなくて、完全に顔が死んでいた。
俺は失恋するとこんなんなのかって思った。
今日もいつものように武地先輩と車の下にもぐり、せっせと働く武地先輩の手元を見ながら足りない知識を補う。
武地先輩は鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌が良くて、それが余計に俺の顔を殺していた。
あぁ、早く家に帰りたい。
今はとにかく1人になりたい。

「朝比奈、具合悪いなら帰れ」
「大丈夫です」
「顔死んでるぞ」
「これは、その、恋煩い的な」
「お前、前もそんなこと言ってたよな」

確かに、まっちゃんにフラれた時にも話を聞いてもらったな。
いや、まっちゃん相手に勝手に失恋しただけなんだけども。

「また好きだと思ったら失恋したのか?」
「そ、そうなんですよ」
「ハーン?お前アホな」
「アホってなんですか」
「いや、そもそも失恋するまで気付かないっていうのがアホだろ」

もっともなことを言われて胸を抉られる。
確かに、今まで付き合った彼女も向こうが告白してきたからいいよっていう、そういう感じだった。
付き合っていた間は確かに好きだったのかもしれないが、その前はわからない。
失恋して傷付いて、それでようやくこれが恋だって思ったのだから、もう今までの彼女に土下座でもしないといけないのかもしれない。

「今度はどんな子が好きだったんだよ」
「え?聞いてくれるんですか?」
「そんな死にそうな面してたら、聞かないわけにはいかないだろ」
「そんなに死んでます?」
「サイドミラー見てこいよ」

武地先輩の鬱陶しそうな顔を見て、相当ひどいんだと思った。

「まぁ、とても、なんというか、元気で・・・いい奴です」
「ふーん?それで?」
「いや、なんつーか・・・」

好きな人の恋人に相談なんてみっともない。
そう思ったらもう後は何も言えなくなった。
プライドというかなんというか、そんなのを気にして話せなくなるあたり俺はまだ子供だ。
あの時の武地先輩みたいに、奪うだなんて格好良くも言えなかった。
そもそも、そんなつもりもないけれど。

「なんだよ。黙るなよ」
「いや、なんつーか、大丈夫です!立ち直りました!」
「ふーん?そうならいいけど」

武地先輩にドライバーを渡し、もう大丈夫だと取り繕う。
もううだうだ悩むのもやめよう。
そんでいつか、いつか、笑って武地先輩とはーちゃんが付き合ってることを祝ってあげよう。

「ま、酒でも飲んで週末は寝るんだな」
「そうします」
「なんなら飲みに行くか?今日金曜だし、明日休みだし。あぁ、でも混んでるか」
「奢りですか?」
「話聞いてやったんだから、お前が奢れよ」
「えー」

武地先輩は汗を拭い、工具箱を漁る。
丁度いい大きさのドライバーが見当たらないらしく、ガチャガチャと工具箱を引っ掻き回していた。

「そういや、俺お前に言わないといけないことがあってさ」
「なんですか?」
「俺、袴田と付き合ってんだわ」
「えっ」

武地先輩がぐるりと俺の方を向き、ニヤリと笑った。
あぁ、俺は今どんな顔をしているんだろう。
ちゃんと、ちゃんと、笑えているのだろうか。
そんな、今このタイミングだなんて、あんまりだ。
まだ何も整理がついてないのに。

「ははっ。すげー顔」
「いやっ、び、びっくりして」
「びっくりしてる顔ではねーよ」

武地先輩が普段と同じ雰囲気で、持っていろと俺にドライバーを渡してきた。
いつもと変わらず作業が早くて、ベルト交換は手慣れたものだった。
それなのに俺はその作業をちゃんと見ることもできず、武地先輩から受け取ったドライバーを手にただ固まっていた。

「嫉妬に顔面歪んでんぞ」
「そ、そんなんじゃ、ないです」
「そんなことあるって」
「お、俺は」
「だから、サイドミラーでも見てこいって」

武地先輩が意地悪そうな顔をして笑い、それから怒ったような顔をして俺を見た。
その顔はひどく人間味があって、武地先輩がこんな風に感情を表に出す人だったことを初めて知った。

「正面から愛だの恋だのにぶつかる勇気もない奴が、どうこうできると思うなよ」
「俺は、そんなつもりは」
「どうだかな」

このタイミングで休憩のベルが鳴り、おっちゃん達の声で周りが少し騒がしくなる。

「言ったろ、お前は信用なんねーって」
「そんな」
「お前はいざとなったら、俺のもんでも誰のもんでも獲っていくタイプだよ」
「武地先輩っ」
「かかってこいよ。お前なんかにやらねーけど」

武地先輩は俺に工具箱を押し付けて車の下から出て行った。
取り残された俺は武地先輩を追いかけることも、それどころかそこから動くこともできなかった。

「どうしたら、いいんだ」

かかってこいよだなんて、どれだけの自信があれば言えるのだろう。
そしてどんな気持ちでそんな人に向かっていけっていうんだ。
そもそも他人の幸せを壊した上で、俺が幸せになるなんて考えられない。
他の人を傷付けて、どうして俺が幸せになれるんだ。
そう思うのに、そうに違いないのに、どうしてはーちゃんのことをスッキリ諦めることすらできないんだ。
とにかくもう少し時間が欲しいとばかり考えて、何も先に進めない。
俺は、最低だ。

「アーサー?」

その声に身体をビクつかせ、とりあえず声がした方を向く。
車の下を覗き込むはーちゃんと目が合い、随分と久しぶりに会った気がした。

「休憩じゃないの?」
「あー・・・俺、ここで休憩してるみたいな」
「そんなとこ、落ち着くの?」
「結構?」

にやにやと笑うはーちゃんはいつも通りで、俺の知っているはーちゃんだった。
いつものように笑うはーちゃんの方へ身体を滑らせ、はーちゃんの横から這い出る。

「どうしたの?武地先輩?」
「それもだけど、ハイ!アサのお弁当!」
「おー!今日はなに?」
「焼き鳥!この前、鶏皮入れなかったし、お店でもよく焼きにできなかったから、だからリベンジ!」
「ありがとう!めっちゃ嬉しい」
「ちょっと焦がしたけど、許してね?」
「当たり前じゃん」

へらへらと笑うはーちゃんの頭をぐしゃぐしゃに撫で、はーちゃんはこんなに可愛いかったかと思った。
いつも見ていたようで、俺は何も見ていなかった。
きっとこれは失くならないとばかり思って、その気持ちに慢心していたのだ。
だから失くなってから気付いて、傷付いて全てを知る。

「アサ、なんか元気ないね」
「そう?」
「なんか悩んでる感じ」
「ははっ。アタリ」
「なんかあったの?大丈夫?」

そう言われて、いつもならすぐに大丈夫って答えるのに、それができなかった。

「どうしたー?」
「はーちゃんはさ、誰かの幸せをぶち壊して、それで自分が幸せになるってできる?」
「えー・・・どうかなぁ」
「俺には難しくってさ」
「アサはできなそうだね!」
「俺いい奴だからさぁー」
「それ自分で言うの?」

はーちゃんは声を殺して笑い、それからそのまま俺を見た。
今からいたずらでもするような目をして、少しだけ真面目な顔をする。

「でも、一度ぐらいいいんじゃない?」
「え?」
「それでアサが幸せになるんなら、それでもいいと思う!」

そう言って笑うはーちゃんを見て、やっぱり俺ははーちゃんが好きだと思った。
いつも元気に笑っていて、なんでも全力に取り組んで、自分よりも人のことを大切にできる熱い男だ。
裏表がなくて正直で、まっすぐなはーちゃんが好きだ。
どうしても、どうしても好きだ。

「最低っていうか、卑怯者になるなぁ」
「そんな人、たくさんいるよ」
「そうかなー」
「そうだよ!」

元気出して、と元気いっぱいに笑うはーちゃんが間違った方向に俺の背中を押す。
ごめんって言葉は心の中で言った。
そう言うのはズルいと、最後の理性でそう思ったのだ。

「なぁ、はーちゃん」
「んー?」
「武地先輩と別れて、俺と付き合ってよ」

子供のような駄々をこねる俺を見て、はーちゃんは笑うことをやめた。
そしてこんな最低な奴のところに、幸せなんて来ないのだと思い知る。




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