どうして恋なんかしたんだ

冷や汗が流れすぎて枯れるのではないかというほど身体が渇いた。
時間が止まったのではないかというほど音がしなくて静かだった。
それなのにジュニアの腕は俺を逃がさないようにとしがみついたままで。
何も言わないのにその確かな存在感が俺を縛り付ける。
頭をフル回転させているのに言葉が何もまとまらなくて。
でも何か言わなければと必死に喉を動かしたのに、漏れるのは空気ばかりだった。

「ただいまー」

空気が揺れた。

「あれ、まっちゃんお客さ・・・」

ジュニアの腕がさらに俺にキツく巻き付いた。
俺は首だけを動かし、帰宅したヤスを見る。

「は?何してんの?」
「ヤ、ス・・・」
「まっちゃんは黙ってろ」

ヤスが、怒っている。
背中に感じるジュニアは全く動かない。

「ジュニアくん」
「っ・・・」
「俺が何が言いたいのか分かるよね?」
「・・・」
「早く離れろ」

だんまりを決め込むジュニアに比べ、ヤスは些か早口だ。
ジュニアは指先が白くなるほど強く俺にしがみつく。

「早く!」
「っ!」
「ジュ、ジュニア、とりあえず離れろ。な?」
「いっ嫌だ。まっまだ、まだまっちゃんからっ何も聞いて」
「離れろ!」
「ヤス!」

ヤスがジュニアを俺から引き剥がして殴った。
ジュニアはガクンと床にしりもちをつき、目にじわじわと涙が滲ませる。
ソレを見た俺の身体は一気に冷えた。
小さくなるジュニアに向かって腕を振り上げたヤスを押さえる。

「待て!ヤス落ち着け!」
「うるせぇよ!お前だって後で殴るからな!」
「いい、殴っていいから!落ち着け!」

バタバタと暴れるヤスを押さえるようにして腕の中におさめる。
ようやく大人しくなったヤスは俺の背に腕を回してギリギリと爪を立てた。

「なんなの?マジで、コイツまっちゃんの何なわけ?」
「ごめん。ヤス、大丈夫だから」
「何が?何が大丈夫なわけ?」
「ま、まっちゃん」
「出て行けよ!お前出て行け!」
「っう、」
「ヤ、ヤス!」

ヤスに怒鳴られたジュニアは慌てて荷物を手に取る。
俺等の方を見ることなく、乱れたスーツを整えた。
その指先が震えていて、鞄を握りしめて。
縋るような顔をして俺を見た。

「ジュニア!ま、待っ」
「まっちゃん!」

ヤスの声に身が跳ねる。
俺にしがみついているヤスは強そうに見えてそうではないことを指先が物語っている。

「ヤス、落ち着けって」
「離したら、離したらまっちゃんは・・・」
「うん?」
「いなくなる」

その言葉に腰が抜けそうになった。
バタンと音がした方を見ればもうジュニアはいなくなっていた。

「ヤス、ヤスってば」
「まっちゃんは、まっちゃんは何なの?」
「俺?」
「なぁ、まっちゃんは俺と付き合ってんだぜ?」
「そうだよ」

そんなのわかっている。
俺はヤスが特別で、ヤスしかいないんだ。
友達とか恋人とかそういうのでもなく、本当に特別なんだ。

「じゃあなんでジュニアくんばっかなわけ?」
「何が?」
「さっきはジュニアくん追いかけようとしたよね?」
「それは、泣きそうだったから」
「俺は?俺だってそうじゃん」

それも、そうだ。

「悪かった」
「ふ、はは。それですむと思ってる?」
「い゛っ・・てぇ」
「まっちゃんが悪いんだぜ?それに俺は殴るいってた」

それもそうかと俺はこの痛みを甘んじて受け止める。

「まっちゃんは俺を好きじゃないよね」
「・・・は?」
「まっちゃんが好きなの、ジュニアくんじゃん」

動けない俺の前にヤスが座り込む。
それから倒れ込むようにして俺を押し倒した。


「何馬鹿なこと言ってんの?ぶざけてんのか?」
「馬鹿でもないしふざけてもないよ」

俺に張り付くヤスの顔が見えない。
見えない見えない見えない見えない見えない見えない見えない見せてくれない。
こっちを向かせようとしているのに、ヤスの首は少しも動かない。

「まっちゃんは俺を好きじゃない」
「ヤス、ヤス待ってくれ」
「わかってたけど、わかってたけどさ」
「ヤス黙れって」
「まっちゃんはジュニアくんが、ずっと好きなんだよ」
「ヤス!」

ようやくヤスが黙った。
心臓がうるさいほどバクバクと音を立てている。
ヤスの話はありえないんだ。
俺の中で、どうやってもジュニアとの事は終わってるんだ。

「あり得ない、違う」
「どうして?」
「俺はヤスが必要だ。でもジュニアは捨てたじゃないか」
「逃げただけだよ」
「ジュニアといるといつもヤスのことばっかり考えてる」
「落ち着かないからでしょ」
「キスだってヤスとしかできない」
「慣れたからだよ」

どうして、どうしてヤスは答えを知っているんだ?
俺だってわからないのに、ヤスはどうして答えを知っているんだ?

「ジョハリの窓だよ」
「・・・」
「まっちゃんと俺が知ってるまっちゃんのこと、まっちゃんだけしか知らないまっちゃんのこと、俺だけが知ってるまっちゃんのこと、まっちゃんも俺も知らないまっちゃんのこと」
「それが何?」
「きっとまっちゃんは知らない、俺だけが知っているまっちゃんの秘密だ」

認められない。
認めたくない。
認めたらどうなるんだ?
認めたら、いつもみたいにヤスを信じて認めたらどうなる?

「俺はね、まっちゃんのことを面白いと思ってたよ」
「うん」
「からかってたら俺だけが特別なんだって顔してさ。気分が良かった」
「うん」
「だから付き合ったの。居心地良かったよ」

ヤスがゆっくり俺にキスをする。
ほら、意識を失わないキスをヤスは俺に出来る。
これが俺にできる精一杯の証明なのに。
ヤスは俺から離れて行く。

「さよならだ、まっちゃん」
「ヤス」
「面白い、居心地が良い、だけだったらずっと騙していようと思ったよ」
「ヤス」
「でも無理だ。俺はまっちゃんが好きだ。でもこのまま、騙したまままっちゃんとはいられない」
「ヤス」
「せっかくの両想いなんだぜ?ちゃんと話をして来いよ」
「ヤス」
「荷物は今度取りに来る」
「ヤス」

何度、何度呼んでもヤスがこちらを向かない。
俺と目を合わせてくれない。
落ちた荷物を拾って、それで、それでお前はどこに行くんだ?
いつも俺の前で、くやしいと辛いと泣いていたじゃないか。
どこに、誰のところに、行こうとしてるんだ?
自分だけで、全部自己完結して。
俺を納得させたつもりでいるのか?
できない、無理だ。
いつだって俺の側にいたじゃないか。
誰を好きだと言っても、誰と付き合っても、俺といたじゃないか。
こんなに、こんなにあっさり終わるのか?
俺がジュニアを好きだから?
俺がずっとジュニアを忘れないでいるから?
それのせいで、俺はヤスを失うのか?
ヤスをこのまま外に放り出すのか?
くやしいと辛いと泣いて、寂しいというヤスは俺しか知らないんだ。

「ヤス、どこに行くんだ?」
「まっちゃんに関係ないでしょ」
「誰のとこに行くんだ?」
「関係ないって」
「無理だ。駄目だ、ヤス」

俺の腕からすり抜けて行くヤスを必死に掴む。

「ヤスにもわからない俺の部分があるだろ?」
「・・・だから?」
「俺以外の、知らない誰かのところで、ヤスが泣くのは我慢できない」

例えヤスの気持ちが自分にないとしても。
この事態が全部自分のせいだったとしても。
それでも、譲れない。
この腕を離すわけにはいかないんだ。

「やっぱりまっちゃんは優しいね」

ヤスの顔がぐしゃりと歪んだ。

「でも、最低だ」




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