>> 闇の揺れる日



好きかと問われれば否と答えるだろうし、嫌いかと問われれば否と答えるだろう。所詮そんな程度の仲である。




はたけカカシは、達観した人間だった。それは年齢の所為かも知れないし、育った環境の所為かも知れなかった。別段、彼は興味がなければ細かいことは気にしない性質である。そんな彼は、自分の置かれている状況があまり良くないのだと分かっていた。出る杭は打たれると言うが、自分もその例に漏れなかったのだと笑いを堪えられずにいた。要するに、若くして里屈指の実力を備えた彼を羨望しまた妬む者達が彼を閑職に追いやってしまったのである。里は忍不足ではなかっただろうかと思ったが、上の連中が決めたのならばどうでもいい話だと早々に見切りをつけていた。そんな彼の仕事は子供のお守りだ。一概に子供のお守りと言っても、里の忌み子のお守りである。だがそもそも彼は子供が嫌いだったし、何より自分の言うことを理解できない存在が嫌いだった。主観的に考えても客観的に見ても周囲より精神の成長が早い類いの人間だったためか、周囲の人間を見下すような傾向があった。そんなことをしてはいけないと学校で習ったのかもしれないが、劣っているのは事実だったし、仲良くする気など毛頭なかったのだ。年端のゆかぬ子供など嫌悪の対象に他ならなかった。


「…おいお前、じっとしてろ。動けねぇようにしてやろうか」
「…あれ、あれが欲しい」
「は?」
「あの蝶が欲しい」


それはある日のことだった。いつものように子供を視界に収めながら彼は溜息を吐いた。子供は落ち着きがない。走り回り、転げ回り、とにかくじっとしているということを知らなかった。彼の今までの仕事と比較すれば閑職に違いはないが、子供の監視の方が余程面倒事だった。今日も落ち着きのない子供は、そこいらにいくらでもいる蝶が、今すぐに自分の掌に欲しいのだという。そんなことをして何が楽しいのだか彼には全く分からなかったけれど、子供に愚図られては余計に面倒だと手を伸ばす。蝶は、簡単に掌に収まった。抵抗はするが、大した力はない。彼の手を動かすことは出来なかった。


「…ほら、これでもうふらふら歩きまわるなよ」
「…この蝶さぁ、おれに似てると思わない?」
「…どこが」
「だってさぁ、おれもこの屋敷から出れないじゃん。この蝶も捕まえられたら逃げられないよ。おれが力を込めて押さえたら簡単に死んじゃうんだよ。おれも、里の人間が殺せと圧力を掛けたら死ぬんだろう」
「…さぁな」
「あんたがこの首に手を掛ければ、簡単に死ぬんだ」


子供を見ると、冷たい目をしていた。昨日まではごく一般的な、無知な子供だった。その筈だった。なのに何故この瞬間、子供は悟った眼をしているのだろう。今まで見てきた子供は一体誰だったのだろう。彼は困惑していた。子供が視線を彼に移した瞬間、悪寒が背を這う。冷めた青からは何の感情も読み取れない。彼が無意識に自分の腕を引き足を僅かに後方へ動かしたのは、未知の存在に対する防衛本能のためだった。


「…やだなぁ、真剣に考えなくても。結構長いこと観察には時間を割いたけどあんたは白だ。おれを殺す気はない」
「…何故断言できる」
「おれは今まで敵意を抱いた人間を沢山見てきたわけだ。そんだけ見てりゃ真贋を見極める技術も身に付くでしょう」
「…お前は一体何なんだ。子供にしては聡明過ぎる」
「…比較対象が微温湯に浸かって育った子供なら当然のことだろ。おれは生まれてからずっと戦場に生きてきた子供だ。ここで生きていくことすら戦争なんだよ。生きていることに何の疑問も抱かないような子供と同列に配されちゃ癪だね。生きるためのスキルなんだ。三代目の爺さんは悲しい子供なんて言うがね」


おれは何も知らない方がよほど悲しいと思うけど。そう言うと子供は掌に囲っていた蝶を離した。必死に逃げる蝶の様子がいつかの自分の姿と重なるのを感じていた。彼は聡明な子供だった。だが、ただそれだけだった。明らかに生意気な子供だっただろうと今となっては笑い話の一つにでもなろうかというところだが、結局何かに縋って生きていた。土台、十にも満たない子供が縋ることなく生きていく方が難しい。そういう意味では彼は「普通」の人間だ。この子供が「普通」ではない生き方をしてきただけであって。彼は磨けば磨くほど周囲とかけ離れていく自分の才が怖かった。「天才」という周囲にはない異端の名が、恐怖でしかなかった。人間とは別の生き物になってしまうのではないかと思ったこともあった。まだ幼い頃の話だ。同い年ほどの子供は皆目先の恐怖しか瞳に映していない。懸命に見渡しても自分と違う生物ばかりのような気がしてならなかった。芯の甘さを飽和する意志の強さを、彼は持ち合わせていなかったのだ。子供の瞳が彼を映す。硝子玉みたいだと思った。


「…俺は阿呆だったのかもしれんな」
「は?何が。今の話の流れでどうやったらアンタが阿呆だって話になるんだよ」
「…さぁな。唐突に思った」
「やっぱりアンタ面白いね。今回もっと真面目な奴がおれの護衛についてたら逃げようって決めてたのになぁ。アンタのせいで逃げらんないよ」


本気で硝子玉ではないかと疑った目が柔らかく光る。嬉しげに歪む口元は言葉とは裏腹に素直だった。この子供に逃げる気がないことを彼は知っている。


「…逃げなくてもいいだろ。まぁ少なくとも俺は逃げられちゃ困るんでな」
「まぁ責任問題になってくるしね」
「それだけじゃないけどな」
「はははっ、大人の問題ってやつだ!」




好きかと問われれば否と答えるし、嫌いかと問われれば否と答える。そんな関係だ。だが興味深い相手であることに変わりはない。逃げられぬ鎖に繋がれた子供をこの手に収めたいと思ったのは、きっと気紛れだ。



 




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