>> 生命の鼓動を鳴らせ





今まで生きてきた中で、様々な音を聞いてきた。それは心地いい音楽であったり、不快な騒音であったり、楽しい会話だったり。人によって感じる音は様々だ。




俺の好きな音は夜の音だ。無音のようでいて、実際は虫の音だったり、時折通る車の走行音だったり、談笑の声だったりと耳を澄ませば聞こえてくるたくさんの音がある。昼の喧騒があまり好きではない自分には、心地よい。そんな理由で、暇な夜は散歩をすることにしている。今時は物騒な社会だが、盗られるような物を持たない上にある程度の護身術は心得ている。そもそも一介の男が夜中に外出するのにびくびくしているようでは、探偵などやってはいられない。深夜にもなると人通りはほとんどなかった。俺の呼吸と鼓動が聞こえる。秋の虫の声が聞こえる。本当は昼の間も鳴っているのに喧騒に紛れて聞こえないのだ。耳を澄ませば、季節を運ぶ音がそこいらを漂っている。けれど深夜には新しい音もする。そう例えば、突然現れる風の音。


「…名探偵!また出てんの」
「いいだろ、俺の自由だ」
「自由って言ったって、身体が悪いんだから大人しくしてないとまた体調を崩すだろう」
「いいんだよ、もう灰原も諦めてる」
「そうはいってもなぁ…」


足音を消して近付いていた怪盗は、やがて隣に立つと溜息を吐いた。この男だって俺の性格を知っているだろうに、深夜街を徘徊する探偵を見つけては小言の雨を降らせていく。家に寄っていくかと尋ねれば仕事の途中だからと遠慮する癖に、近くの公園に寄れば延々と賞もない話題を紡いでいる。矛盾した行動を愛おしいと思うのは大概自分の頭がおかしくなったせいだろう。今日も隣で、小言のようでいて実際は諦めを内包する唸り声が聞こえる。遮って家に来るかと尋ねれば仕事の帰りだからと苦笑しながらの定型文が返ってくる。そうかと笑えば相手も笑う。それでも実は知っているのだ。仕事の無い日にでもこの辺りの塀に凭れて人の足音を待っていることを。それでも俺は何も言わない。互いが余計な口を挟めば簡単に解けてしまう、そういう脆い関係だと知っているからだ。暫く沈黙が続く。家でなければどこに行くなどと聞かずとも行先は大抵近くの公園に決まっているから、進路はもう随分と前から固定されていた。それでも懲りずに家に寄るかと聞くのは半ば習慣みたいなものだ。見慣れた道を、見慣れた男と歩く。それなのに、いつも聞こえてくる音は違うのだから不思議な話だ。音だって、生きているのかもしれない。俺の中の音もいつもと少しだけ違う。今日の心音は、刻むリズムが速い。夜になればいつだってそうなのだ。夜鍵を閉めて出る時の鼓動と、夜鍵を開けて入る時の鼓動は違う。運動をした時のように速いのだ。


「…ねぇ、星が綺麗だよ」
「…そうだな。今日は月が出ていないから綺麗に見える」
「冬はもっと綺麗かな」
「さぁな、雲が出ることも多いだろ」


公園のブランコに座って星を眺める。秋の星座は何だったっけと考えている内に隣の男が指を差しながら説明していく。俺だって知っているよと言ってやりたかったが、説明に口を挟むのも嫌だったので大人しく聞いている。相槌まで打てば嬉々として話すんだろうが相槌でさえ話を遮るようで出来なかった。ずっと声を聞いていたかったのだ。普段より幾らか落ち着いた声で、ゆっくりと言葉を吐き出していくその声を。合間に聞こえる風の音が冬が近いことを教えていた。空いた首元が肌寒い。吸い込む空気がひんやりと冷たい。暫くしたら灰原が家から出してくれなくなるかもしれない。ねぇ、と隣の男が呟く声も冬場になれば聞こえなくなるだろうか。


「あの光る星はさぁ、音、するのかな」
「知らねぇよ。するかもしれないし、しないかもしれない」
「…でもさ、もし音がしてるとしても、俺達に聞こえなくてよかったとか思ってるんだよね。星を数えるだけでも沢山あるのに、そいつらが全部音出してたら煩いじゃん?そしたらお前、夜でも出てこないだろ」
「まぁ、夜まで煩かったら困るなぁ」
「だろ?そしたらこうやって喋る時間もなかったわけで、俺達は互いに好敵手止まりだったわけだ」


そう言うとブランコを勢いよく揺らし始める。いい歳をしてブランコを漕いでいるなんて馬鹿らしいかも知れない。それでも回りに馬鹿らしいと言う者はいないのだから、馬鹿らしいかどうかなんて実際は本人にしか区別できない話だ。キイキイと錆びついた金属が擦れる音がする。年代物だったよなぁと思うけれど、使う人間なんて数えるくらいしかいないだろうから問題は無いような気もする。実害があるとすればブランコを漕いでいる目の前の男が地面に落ちるくらいだろうか。それでもこの男ならばああ焦った、などと言って派手な音も立てることなく綺麗に着地して見せるんだろう。それはそれで見てみたいような気もする。星が鳴る音が聞こえたら、きっと拍手のように聞こえるに違いない。


「ね、名探偵、音がない世界でなくてよかったね」
「…生きてる限り無音になることはねぇだろ。無音だった状態がないから分からないが、耳を塞いでいたって筋肉の収縮する音が聞こえるだろう」
「そうだね。俺、耳が聞こえるって幸せなことだと思うんだ。そりゃあ目も見えるし、口も利けるし、身体も不自由なく動く。それも幸せなことだけど、無音の世界ってのがあったら、一番心細いことだと思うんだ」
「本人の感じ方次第だな。でも確かに不自由を抱えるってのは孤独を抱えることだと思うよ」
「うん、だからさ、今、幸せだなぁって思うんだ」


ブランコを最大限揺らして男は地面に着地した。殆ど音は立てないで、それでも全く音を立てないわけではない。音を立てずに活動するなど不可能に近い話だ。生命活動は何にしろ音を伴うのだから。騒音であれ快い音であれ存在する音は様々で、その全てを人間の耳で拾い上げるのには限界がある。聞こえる大切な音を、宝石箱にしまっておくことが出来ればいいのにとふと思う。そんなことは出来ないから、耳に触れる大事な音を、一つ一つゆっくりと全身で感じて行こうと思えるのだ。




 


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