>> 緩やかな感傷を乞う





何もかも分かった風に笑うあの男が嫌いだ。俺と年齢は変わらないはずなのにさも悟ったように苦笑するあの男が、嫌いだ。



コナン、と呼ばれる。その名に抵抗があったのもほんの僅かの間で、今では新一という名への反応が鈍くなりつつある。別段いい影響だとは思わない。江戸川コナンという名に慣れるにつれ俺は工藤新一ではなくなっていく。工藤新一という名に執着するにつれ江戸川コナンは疎かになる。現在の時点で工藤新一は幻であり、江戸川コナンは紛れもない現実である。優先すべきは今ここにある現実で、現実逃避ではないのだ。そう頭では理解している。だが、理性と衝動は相反するものであることも否定することは出来ない。


「…毎度加減は出来ないもんかね。毎月根詰めて体調崩すのは俺は感心しないね」
「…うるせぇ。そもそも俺はオメーを呼んだ覚えはねぇ」
「そりゃあ哀ちゃんに呼ばれたに決まってんだろ。こうやって釘刺すようにな」
「……灰原の奴余計なことしやがって」


俺は鋭く舌打ちをした。俺は一年経過しても尚闇を追い、どうにかして組織の情報を得ようと躍起になっていた。暇さえあれば書庫に入り浸り、ネットでデータベースを漁る。何としてでも食らいついてやりたかった。あわよくばその喉元を食い千切ってやりたいとさえ思っていた。しかし現実は甘くなく、情報一つ掴めず日夜神経を擦り減らし、それが堆積して月に一度熱を出す。今日はちょうどその熱の出た日だった。男は、根を詰めるなと言う。心配げな顔で無理をするなと言う。ぎりりと俺は歯を食いしばった。お前にこの焦りが分かるかと問い詰めてやりたかった。確かにこの男は二重の生活を強いられている。けれどもどちらもこの男であり、片方が消えるなどということはない。黒羽快斗という一般人である時には一時的に怪盗キッドという犯罪者が隠れ、怪盗キッドである時には黒羽快斗が一時的に姿を晦ます。しかし俺は、江戸川コナンは、工藤新一という存在を一年も犠牲にして成り立っている存在。数時間消える「黒羽快斗」よりもよほど深刻な問題を抱えているのだ。この男はそれを分かっていない。分かっていない癖分かったような顔をして俺の無理を諌める。


「…なぁ、無理するなよ。お前が倒れちゃ元も子もないんだぞ」
「…分かってるよ」
「…分かってないだろ、お前は。だからこうして」
「分かってるって言ってんだろ!お前こそ何様のつもりだ!分かったような面で喋ってんじゃねーよ!何も分かってないのはお前の方だろ!」


そう叫んで俺は勢い余って咳き込む。背を擦ろうと伸ばしたのだろう手を払って拒否した。乾いた音が響いて、伸ばしかけた手が行き場を失い宙を彷徨う。最悪だった。こんなことをする予定はなかった。ヒステリックに叫んでどうにかなるような単純な問題ではないのだ。それを感情に任せて言葉を放ち、黒羽に気まずい思いをさせている。俺は、何がしたいんだろう。この男は俺とは違うんだと線引きをして、被害者意識を高々と掲げて、俺は哀れなんだと感傷に浸る。こんなことを延々と繰り返して、結局得られたものは何だったのだろう。


「…今、オマエが何を考えているのかは俺には分からないよ。全てはオマエの中だからね。でも、何を考えているのか、何を感じているのか、少しでも理解しようとする心だけは否定しないで欲しい」
「…分からないよ、形の無いものは共有できるものじゃない」
「完全には共有出来ないだろうが、幾らか分かち合う事は出来るだろう。苦しいという気持ちを酌む事は出来る」


真摯な瞳が俺を射抜く。傲慢な理解だと罵ってやりたいのに言葉が出ない。余計な熱で頭が上手く回らない。分かったかのような顔で笑うなと叫んでやりたいのに、水分が不足して声が出ない。何も分かっていないこの男が、嫌いだ。疲れが溜まってんだろ、寝ろよ、と髪を梳かす黒羽が、俺は大嫌いなんだ。優しげな顔で笑う黒羽なんか、嫌いなんだ。それでも、この優しい指先を手放せない事くらい、自分が一番よく知っている。


「…無理して身体を壊しても、得るものよりも失くすものの方が多いんだよ。焦る必要はない。オマエを助けてくれる人間が、沢山いるだろう?」


髪を撫でる手は止まらない。俺が手に入れたかったものは、何なのだろう。状況を改善させるだけの情報だろうか。本当にそれだけなのだろうか。感情など幾らか前に道端に置いてきた。慰めなど不要なものだと切り捨ててきた。情報を求める生活の中で有力な情報の得られない焦りに苛まれていたのは事実だ。誰にもこの苦しみは分からないだろうと自然と考えるようになっていた。そうすることで不安に揺れる自分を繋ぎとめていた。数奇な人生だと悲劇を謳っていたのだろうか。そうだとしたら、俺は相当滑稽なピエロだったに違いない。分かる筈もないと思っていたこの感情を僅かでも見抜かれ、その上自分でも消化しきれていなかったなどと未曾有の羞恥の念に駆られる。顔を見られてはいけないと、急いで俺は布団に潜り込んだ。暗闇ならば、俺の顔とて見えまい。体裁が悪いと、鼻を啜った。


何もかも分かったように笑うこの男が嫌いだ。けれども、慰めるこの優しい手は、嫌いじゃない。




 


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