>> seventh lovers





いつからなのかは知らない。その姿を追っているうちに、いつの間にか目に宿る感情が変わっていた。好き、なのだ。天敵であるはずの名探偵のことが、好きなのだ。後になど戻れやしない。この足は進むという選択肢の道しか歩めないはずだが、怖じ気づいて途端に歩調は緩むのだ。


キッドとしての活動にも慣れてきていた。寧ろ日常の一部とさえ言える。キッドがいなければ黒羽快斗は江戸川コナンと出会うこともなく、退屈が支配する緩慢な日常を謳歌していたに違いない。こうして夜が訪れることを心待ちにすることもなく、急速な頭脳の回転を楽しむことも出来なかっただろう。


「…で、何の用なんだ。毎回毎回犯行の後に呼び出して、最近じゃあ毎日のように呼び出しやがって。事務所抜け出てくる俺の身にもなれってんだ」
「いやぁ、天下の名探偵君が毎日憚りなく喋れる場を提供してやろうかと思って」
「バーロ、んなもんオメーに提供される筋合いなんざねぇんだよ」
「つれないこと言って、毎回来てくれるのはどこのどちらさんでしょうかねぇ?」
「…東京湾沈むか?今なら直々に蹴り落としてやってもいいぞ」


おお怖い。そう言って茶化すと名探偵は小綺麗な相貌を歪めて、露骨に不快そうな顔をして見せる。嫌いじゃない。彼の表情が変わる間は俺に興味が向いている証拠だ。


「…もう一回聞くぞ。何の用だ。オメーが目的なく呼び出すはずはない」
「……これだから探偵ってのはよぉ…」


よく見ている。彼は迷宮入りとまで言われた事件を解決してしまうような名探偵なのだ。犯罪者である俺の観察にも余念がないことは分かっていた筈なのに。チッと舌打ちをする。言うつもりでもなかったのに、ともすれば口をついて出てしまいそうな言葉が大きな渦を巻いている。吐き出してほしいとでもいうように口内で爆ぜる。いいや、言わない。言ってしまったら関係が歪んでしまう。歪は許されない。歪んでしまった箇所から、負の感情が流れ出てしまう。それだけは避けたかった。このまま緩やかな関係が果て無く続くとは思っていない。形を変えて、色を変えて、長いことその場その場で正しい形状をして関係は続いていく。しかし急速に境界線を動かしてしまえば、思ったように上手く動くことが出来なくなる。行動は制限され、俺はその感情に束縛される。アタックに移るどころか、アクションに移すことも出来ない。


「…お前に言うようなことではないよ。知らなくてもいい」
「オメー、俺が知らなくてもいいと言われて知らずにいられるような性格だと思ってんのか。これだけ長いこといて俺の性格も把握できないのか」
「あー…、ごもっともな指摘です。さすがは名探偵、と言いたいところなんだけれども俺にも秘密にしておきたいことはあるのよ。何でも赤裸々に他人に語れるような性格ではないんだよね。残念ながら」
「…ふぅん」
「…何、意味深に」
「別に?」
「……」


何だよ、気になるじゃん。そう言おうとした口を慌てて塞いだ。これは名探偵の罠なのだ。気になるじゃん、といった瞬間に俺は負けるのだ。名探偵に喋らなくてはならない。この複雑に入り乱れた感情を紐解く鍵を、張本人に差し出さなくてはならなくなるのだ。気になるじゃん、といった瞬間に名探偵は嬉々として俺に問うてくるに違いない。俺が何故毎晩のように名探偵を呼び出すのか、その理由を。


「…強情だな、案外」
「…一応秘密主義な生業なんでね」
「…へぇ、何でも喋るような軽薄そうな顔してんのに」
「名探偵って結構辛辣だよね。それ最早俺に対して愛があると思っていいわけ?」
「愛?馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺がいつお前に対して愛情を持ったというんだ。お前に愛情を抱くぐらいなら庭の草木に愛情を注いだほうがよっぽど有意義で効果的だ」
「…そう、これは愛ある弄り。そうこれは愛ある対応。そうこれは愛ある…」
「しつこい、黙れ、そしていい加減吐け。俺は帰って寝たいんだよ。こちとら寝不足なんだよ」


名探偵はスニーカーを弄ろうと一旦屈む。これは非常によくない流れだ。名探偵のあの必殺のサッカーボールをこの二、三メートル程度の至近距離でまともに食らったら明日の日の出を見られるか分からない。分からないどころか確実に昇天だ。名探偵に嘘は通じない。だからといって真実を話すわけにもいかない。こうして大した意味もなく堂々巡りの夜は続く。しかし、この展開を毎回期待しているのも事実なのだ。矛盾していると彼は笑うだろうか。滑稽であるという自覚は痛いほどにある。


「…名探偵、」
「…何だ、あっさり吐く気になったか?」
「…明日の世界は、何色だと思う?」
「はあ?意味わかんねぇ」
「…俺はさぁ、青い世界が好きなの。可視化って言うの?別にほんとに全部が青くなるってわけじゃなくて、イメージでしかないんだけど」
「…何が言いたい?」
「…青い世界と白い世界。赤い世界は恐怖を煽り、俺を支配する。黒い世界はこの世の全てを統べている。青い世界は、俺の中心。青い世界は俺の日常。だから、去って欲しくないし、どうにかして俺はその背を追おうとする」


名探偵は怪訝な顔つきで俺を見ている。謎解きか何かだと彼は思っているのだろう。しかしこの問いかけには別段意味はない。ただ俺が世界を色に例えているだけなのだし、事実世界が色づいて見えているわけでもない。青い世界は俺の中心であり、日常。白い世界は夜の世界。赤い世界は俺を取り巻く深い闇。黒い世界は俺と名探偵の立っている裏の世界の入口。一瞬一瞬で俺の踏み入れる世界は違う。日常が恒久に続けばいいと思う。けれどそれは叶わぬ願い。俺は父親の描いた夢を継ぐために白い世界を彷徨い、赤い世界に牙を剥き、黒い世界の入口で足を踏み入れるべきかどうかと思案しなければならない。


「…意味わかんねぇけど、好きなようにやれば?オメーが決めたなら、俺がとやかく口を挟むわけにもいかねぇ。犯罪でも何でも手を染めりゃいい。生き残る可能性がそこにあるならな」
「…名探偵ってさぁ、一応警察の方々と繋がりがあるんじゃなかったっけ」
「…戸籍偽造してる時点で俺は全うな人間じゃねぇよ。ハッキングもするし盗聴もするし、薬品使うことだってあるしな。今更だろ?」
「…それ開き直ったらダメだと思うんだけどなぁ」


青い世界が、弾けたと思った。眩い光が闇に慣れ始めた瞳を焼き尽くす。眩しい、痛い、打開された世界が崩壊してしまう。さらさらと掌から壊れた世界の欠片が零れ落ちていく。待て、逃げるな、置いて行かないでくれ。俺が俺ではなくなってしまう。永遠を打破しようと願っていたのは確かに俺で、恒久を漂っていたいと願っていたのも確かに俺なのだ。けれどもう、縋っていた世界は崩落してしまった。アクションに移すべき時が来たのだ。ヘラリと笑ってみる。大丈夫だ、俺はいつもの俺を演じ切ることが出来る。ボーダーはもう、目前に迫っている。


「…名探偵、俺さぁ…」
「おい怪盗、テメェ変な事言ったら蹴り殺すぞ。オメーのその切り出し方でまともな話に繋がった試しがねぇ」
「…酷いよね、俺に対しての発言。やっぱりそれは愛情表現という解釈でいい?最早愛だよね、そうだよね、名探偵は俺を愛してるよね」
「…だから?」
「ほらやっぱりねー、分かってるよ実は名探偵、そんなに否定したって俺が……?え、え?だから、って何?…え?」
「…肯定という意味で受け取って貰っても構わない。まぁオメーは冗談だろうがな。…オメーが俺を呼び出す魂胆を言わないのなら、こんな馬鹿げた茶番は終いだ」


名探偵はゆっくりと背を向ける。待て、去るな、置いて行くな。俺はその細い腕を必死で掴む。名探偵の驚いた顔が眼前に広がる。視界はぼやけている。焦点が合わない。名探偵の顔は少し歪んでいた。はぁ、と吐息が零れる。吐いた息は世界に飲み込まれてゆく。周囲は静寂だ。名探偵の青い瞳がスローモーションのように瞬いた。


「…名探偵、」
「…意味わかんねぇ。今日のお前、面倒だよ。冗談で済まされるような域じゃないだろ、これは。子供に、しかも男に、キスするなんて、正気の沙汰じゃない」
「俺は!冗談でこんなことしないし、そこまで飢えてもないよ。俺は、」
「…説明出来ないだろう。俺の生きる世界は青じゃないんだ」


名探偵は青い両目を一度伏せた。緩やかに息を吐く。


「…俺はお前が好きだ」
「……っ!」


ぐい、とネクタイを引かれる。一瞬の出来事に頭が追いつかない。唇に柔らかな感触。次いで視界を覆う青い瞳。何だ、キス、されたのか。頭は真っ白だ。


「…責任は取ってやる。だから、その青い世界ってやつから白昼堂々俺に会いに来い」
「…、そんな自殺行為」
「俺に惚れさせてやるよ。こっちはゆっくり行こうと思ってたのによぉ?仕掛けたのはオメーだからな」


ニヤリと名探偵が笑うと、世界は再生する。新たな青い世界が、愛おしいと思った。もう俺には、目前を煌めく天上の青しか視界に捉えられないのだ。




 


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