>> Red Baron 06





赤い空は美しい。青い空も美しいが、世界全てを染め上げてしまうその赤い色が、美しい。その一瞬だけ、忙しい世界は沈黙する。黒羽は、そう思っている。




つい先日、大きな戦闘があった。国境が曖昧となりつつある昨今、その近辺では戦闘が続いている。白兵戦や、騎馬戦、空中戦。とりわけ制空権の争いは熾烈を極めていた。黒羽も中隊を率いたが、予測通り大規模となったこの戦闘で、二人撃墜された。一人は殉職、もう一人は利き腕を損傷して退職する。彼の怪我は酷く、飛行機に乗って飛ぶことはもう出来ないそうだ。自分ならば耐えられないだろうな、と黒羽は思った。今日は彼が、最後の挨拶をしに黒羽の元を訪れていた。


「…黒羽大尉、」
「…ああ、…今日だったか」
「…ええ。…手続き、引き継ぎ、挨拶回り、その他諸々やることがありましてこんな時間になってしまいました。黒羽大尉への挨拶が最後で申し訳ないのですが」
「…いや、それは構わない。…そういえば実家に帰るらしいな」
「はい、暫くは父の手伝いです」
「…寂しくなるな、お前は長いこと俺の隊の所属だったからな」
「…そんな湿っぽいこと言わないで下さいよ。泣くの我慢してるんですからっ…!」


そう言うと、男は肩を震わせた。男は黒羽中隊が出来た頃からの黒羽の部下だった。彼がいなくなることで、古参の部下が全てこの中隊から巣立つことになる。その全てが喜ばしい門出という訳にはいかなかったが、皆華々しい戦果を修めていた。幾ら黒羽とて思うものが無いわけでもない。この男はとりわけ手のかかった男だった。その癖長いことこの隊に居座り付き合いの長い分、失うのは痛手だった。


「…そろそろ時間なので、行きます。黒羽大尉、長らくお世話になりました」
「ああ、長いこと世話をしてやったよ」
「、あんまり煙草吸い過ぎないでくださいね、身体に悪いんですから!それから新しい部下には優しくしてやってください!それに、作業着で基地内フラフラして部下が探しに行く、なんて迷惑かけないでくださいね!それから、それからっ…!」
「…水瀬、」


水瀬と呼ばれた男が、カツンとブーツの靴底を合わせた。軍服の袖から伸びる日に焼けた指先がピンと張る。


「…水瀬智宏准尉、本日を持ちまして黒羽中隊付き第三小隊長の任を返上させていただきます。黒羽中隊の更なるご活躍を期して、…敬礼!」
「…ああ、任務ご苦労だった。…元気でやれよ」
「はい、大尉もお元気で。…工藤参謀長閣下にもよろしくお伝え下さい。それでは失礼します。落ち着いたらまた連絡させていただきます」


そう言うと水瀬はくるりと黒羽に背を向けて去った。いつもは緩やかな歩調が、今日だけはいつもより早い。その自分よりも幾分か小さい背が消えるまで見送ると、黒羽はガレージの入り口に預けた背を今度は外へと向ける。成る程、これではよく分かる。


「……工藤、頭も見えているし腕章も見えているぞ。お前、それじゃ気付いてくれと言っているようなもんだ」
「…しょうがないだろう。他に、隠れる場所が無かったんだ」


工藤は不貞腐れたように立ち上がり機体へと近付くと、翼の先端に手を触れた。優しい手だと、黒羽は思った。彼はかつてのエースパイロットであったのだから、機体が懐かしいのは当然のことである。工藤の手には剥げた赤い塗装がこびりつく。まるで血のようだと黒羽は柄にもなく思った。


「…落ちてきたな」
「ああ、そろそろ塗らないとな」
「…何で赤なんだ」
「…さぁな、何でだか」
「理由があるはずだろう。ただ赤が好きだというだけなのか?」


工藤は珍しく黒羽が嫌がり濁した話題を蒸し返した。それに小さく舌打ちしたのは黒羽である。元来彼は過度の触れ合いや過多に干渉されるのを嫌う質である。面倒事を態々引き受けるのはご免だった。しかしながら工藤のこの滅多に見ることの出来ぬ執心に、半ば好奇心の方が勝っていたのも事実であった。うっかりと口を滑らせてしまう程度には気を取られていたのだ。


「……血だ」
「え?」
「…空中で血は流れない。それでも俺達が人間を殺めていることに違いは無い。それが地上であるのか空中であるのか。仕事なのか私情なのか。それだけの事情で死が正当化されるべきではない。赤は血の色だ。この機体を見るたび俺は人殺しなのだと思う。そうでなくてはならない。俺にとっての赤は、戒めの色なんだ」


そう言うと黒羽は沈黙した。次に続く言葉を探しているというよりは、言うべきではなかったのだと後悔しているようであった。赤い色が工藤の白い指に纏わりつく。鮮血の様な深紅の塗装が、機体から剥がれてゆく。落ちてゆく機体、上がる黒煙、噴き出す炎、鋭く軋む音。辺り一体には深紅の残像。空では簡単に人が死ぬ。簡単に人を殺せる。黒羽は恐れていた。自分が人間ではなくなり、分別の無い醜い獣となるのを、黒羽は恐れていた。


「…別に、俺は生憎どこかの宗教に肩入れしている訳ではないから供養してやろうなどと思ったりはしない。…ただ、空が俺達パイロットの墓標なのだと、思ってはいる」
「…じゃあ、俺の死に場所は用意してない訳だな」
「そういった意味では…」
「はは、冗談だ。“まぁ、気にしてくれるな。俺の気紛れだ”」


工藤は戦闘の前日に黒羽が用いた言葉を引用して茶化した。そうして工藤が笑うので、黒羽も煙草を咥える。夕焼けが辺りを赤く染めている。夕日は空で死んだ者の血を吸って、その赤をより美しくしているのではないかと非現実的なことを黒羽は思った。あの赤は、空に眠る者達の、最期の血なのだと。




いっそ恐ろしいほどの夕暮れであった。青い水面も、黒い建造物も、白や青の飛行機の機体も、深緑の木々も、この世界の全てが赤一色に統一されてしまったのではないかと思うまでに、禍々しい赤が辺りを取り巻いている。白いはずの煙でさえ赤く見えるこの時間が、全ての鎮魂の時となればいいと柄にもなく黒羽は思った。その指の間に燻る煙は、さながら無常の煙であった。




 


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