>> 春の行方など誰一人知らぬ





雪が積もる。轍が横を通り、白い足跡が俺を追う。吐く息は白く視界を濁らせる。冬は役目を終える前に栄華を極めんと勢いを増し、冷たい風を吹かせ深々と雪を降らせた。大地一面を白銀が覆い、漆黒の世界は反転する。




「……珍しいな、推理小説じゃなくてラブストーリーか?」
「…おう、と言っても推理小説も趣味だがな」
「出版社とか持ち込めば?この前の“夜の森にて”は面白かったぜ?」


“夜の森にて”は先月書き終えた推理小説の名だった。夜の森で男が殺され、友人のマジシャンが謎を解決する話。快斗のマジックを元に作った話だった。鳶は鷹を産まないのか、趣味が高じて俺も探偵としての活動と大学生活の合間に推理小説を書いている。今書いているのは、雪国に住む主人公が春へと夢を馳せる話だった。流星の軌跡を辿り、夜空に昇る無数の星の瞬きに待ち人を描く。雪が降り頻る中毎日の様に飽きもせず赤い頬を持て余して空を眺めるのだ。春遠い凍土の青い湖畔で夢を見るのだ。


「…これさぁ、本当の話なわけ?」
「さぁな、どこに分類されるんだか」
「推理小説、にはならねぇんだ?待ち人が殺された!とか」
「無い無い、そんな話じゃねぇんだ。純粋に人待って夜空見てる話」
「エンドまで出来てんの」


快斗は興味深げに尋ねる。小説の概形は出来ていた。ミステリアスで幻想的な氷の世界。待ち人の来る緑萌ゆる大地を夢見ながら眠る話。療養中の主人公の視点で綴る物語。






俺はあの人を待っていた。ずっと、あの人を待っていた。病気を患い転居してきた俺はこの雪の街から出ることは叶わない。けれど春になればあの人は俺の元へとやって来るのだ。


「…この街からはパリは遠いな…」


吐いた溜め息は星の数ほどに積もった。瞬く星は幾千もの光の粒子となって俺を包む。光は湖面に反射し煌めいた。辺りは柔らかに光を帯びる。あの人は仕事でパリへと行ってしまった。活動の拠点をあちらに移すのだという。俺は付いて行くことは出来ない。寂しいと我が儘を言いさえすればあの人は留まってくれたのかもしれないが、俺はそんな甘えた真似はしたくなかった。なけなしのプライドだった。春に一度帰ってくることを約束してあの人は旅立って行ったのだ。この雪深い街に連絡手段は無い。あの人からの便りは届かない。雪解けの日までこの凍土に囚われたまま、俺は毎夜星を眺め、祈り、待つしかないのだ、あの人を。不確かな、約束という細い糸が、運命の赤い糸とやらだと信じて。


轍を辿る。氷柱が屋根の下に連なり、生命の無い世界が広がる。冬には黒い世界は反転し、白い世界になった。庭の椿も紅梅も雪に埋もれその鮮やかな色を見ることは出来ない。ここの花が綻ぶのは東京よりも一月は遅い。この地の春はまだ遠いのだ。あの人が連れてくる春の雪解けは、まだ見えない。柔らかな新雪を手に取る。ふわりと溶けて水となり、雪に吸い込まれてゆく。氷点下の空気が病弱な肌を責めていた。今宵の空に星は無い。曇天は光を断ち無遠慮に空に横たわる。光届かぬ水底のように冷たい沈黙、視界を覆う白い雪原。皆、俺の気など知らぬとばかりに一杯にその勢力を伸ばしていた。




「…冬とは長いものだな。それとも人を待っているからだろうか」


はぁ、と白い息を吐く。芽吹きの時期ももう間近だというのにこの街の道には雪が溢れていた。気温が少しずつながら上がってきたためか、足元からは僅かに水が流れている。それでもまだ、多く雪が残っていた。雪国の冬は長い。これからこの雪の嵩が減るまでがこの街の冬だった。星に幾ら願おうとも季節は容易には変わらない。世から隔離されたこの世界は時代の流れに無反応だ。けれど遥か眼下の渓谷の雪は疎らになってきているのが、ここからでも見える。僅かに、光が見えた気がした。雪解けの、春の光が見えた気がした。


「…春になれば、きっと」


呟いて道に背を向ける。緩やかな春の風が頬を撫でる。道端には蕗の薹が芽を出していた。


「……きっと、何?…俺が来るの、待っててくれたんだ?」


俺は瞠目する。この声は、この俺よりも低いその声は、俺の焦がれたあの人の声だ。


「快斗、何で、まだ春は来ていないのに」
「…公演が終わって直ぐに来たんだ。麓の雪は解けたから、迎えに来たんだよ。これで暫く一緒にいられるんだ、…新一」
「……やっぱりお前は、春を連れて来るんだな」




これで話はハッピーエンド。皆が笑って終わりだ。この物語を書き終えたところで、快斗は知らないんだろう。これは俺とあいつの物語なのだと。マジシャンとして活動を始めた快斗は海外にもお呼びがかかるようになった。その帰りを、この地を離れられない俺が待っている。快斗は知らないのだ。俺自身の描く夢物語に、ハッピーエンドなどないことを。あいつは振り返らない。後ろを歩く友人としての俺のことなど、決して。そう、この恋情に春など来やしないのだ。




 


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