>> 誰が為に花は咲くか





工藤は椿が好きであった。別段彼は花が好きという訳ではなかったが、椿という花への執着に関しては最早異常とまで言えた。椿の咲く頃には彼の家の至る所に飾られる。赤、白、桃色、黄色。特に赤い色のシンプルなものを好んだ。何故そんなに好きなのかと、一度だけ黒羽は尋ねたことがあった。異常なまでの愛が彼には不安あり、そして恐怖でもあった。


「昔キッドがくれたんだ。赤い椿を、オレに。この宝石は返せないから変わりにこれを持って帰ってくれ、って」


黒羽が工藤の元を訪れるようになったのは、怪盗の仕事を終えてから数年後のことだった。その頃には赤い椿だけでなく様々な色のものが育っており、この男はこの花がただ純粋に好きなのだとばかり思っていた。自分が工藤に、パンドラを発見した時に宝石を返せない旨を伝え近くの民家から失敬して手折った椿を与えたことは確かに覚えていたが、たったその一場面を彩ったに過ぎないその椿がこのような形で残っていようとは彼も思いはしなかった。そしてたった一輪の花が、ここまで男を変えてしまった事実が何よりも恐怖だった。工藤はこんなにも、その青い瞳に過ぎた過去を映す様な男であっただろうか。


「…そんなに好きなのか、その花」
「ん?ああ、もう会うことは無いから形見みたいなもんだな。その点では大事にしているとも言えるな」


工藤は、黒羽がキッドであったことを知らない。彼にも、その事実を教える気など無かった。打ち明けたとしても工藤は疑念を抱きながらも黒羽がキッドであったという事実を受け入れることだろう。それを証明することが出来るほどのマジックの腕前と、美しい所作を工藤も知っている。けれど黒羽はそれを好まなかった。あの白い幻影を通して自分を見ることを望んではおらず、またその逆も然りであった。黒羽は、黒羽快斗という自身を見て欲しかった。


「…でも異常だよ、その執着は。普通じゃない」
「お前の口から普通なんて言葉が出てくるとはな。一番嫌いな言葉だろう」
「…そんなことを訊いているんじゃない」
「…異常であろうがなかろうが、元々可笑しかったものが更に可笑しくなっただけだ。執着という形を取っているだけだよ。誰だって狂気を孕んでいる」
「狂ってる!」
「お前が父親の形見を捨てられないのと一緒さ」


工藤は自嘲の笑みを浮かべた。黒羽はヒステリックに叫び、今にも泣き出しそうに見えた。言葉が言葉にならない。好いている、愛していると伝えられたならばどれだけよかったのだろう。けれども黒羽にはそれが出来なかった。彼は知っていた。工藤があの幻影を好いていることを知っていた。あの椿は形見などではない。最早あの白い影、それ自体であった。あれは不可思議な男であったから触れることの出来ぬ幻影に違いなかった。それを触れることの出来る椿に重ね、そしてその椿が次第に実体を持ったのである。謂わば偶像が工藤の中で主となりつつあるのだ。そこに求めるのは不安定な足場の、強固な支えであった。痛切なまでの悲哀から逃れる為に。


「…好きなんだろ」
「…好きじゃなきゃ育ててねぇよ」
「違ぇよ。そっちじゃねぇよ」
「…何のことだか」
「…しらばっくれんな」
「……」


工藤は沈黙を貫いた。決して口を開こうとしなかった。何かを迂闊に口にして、後戻りも出来ぬ状態になることへの恐怖の為だった。どちらも失いたくない無類の友であった。それと同時に黒羽は工藤を好き、工藤は黒羽の影を追っていた。椿の赤が視界の端に揺れる。深い緑の葉の照り返しが目に痛い。沈黙は数分或いは数秒であったかもしれないが、酷く永遠に近く思えた。空気が沈黙に疲弊していた。


「…お前の趣向に口を出す気は無いが、過去の男に支配された空間ほど新参者を拒むものは無いよ」
「…お前を拒んだ記憶は無いし、この空間は閉鎖的でもない」
「お前は暮らし慣れているからだよ。ここは誰も寄せ付けない茨の森だ」
「お前の主観的判断に過ぎない。被害妄想であるとも言える」
「それもまたお前の主観的判断に過ぎないよ」


言葉の応酬で自らを防御する。茨とは実に言いえて妙であった。黒羽が通うようになってからは彼はこの家に出入りする人間を見たことがなかった。庭は椿の鬱蒼とした葉が茂り陽もまともに通さぬほどに一面を覆っている。さながらお伽噺にでも出てくるような、丘の孤城であった。


「…この時期のこの家の空気は嫌いだ」


それでも彼は自分の想いを言葉にする気は欠片も無かった。結局工藤が愛しているのは不可思議な男の幻影に過ぎず、その手に触れられる存在など求めてはいないのだ。自分が椿にでもならなければ、愛情を向けられることはありえない。彼は自分のあまりに極端な思考に馬鹿馬鹿しささえ覚えた。想いのベクトルが向かい合うことはない。報われぬ恋に行く先などありはしないのだ。ただそこに黒い点として存在し地の果ての赤い椿の花を沈黙と共に見詰めるだけである。ただそこでずっと、命尽きるまで、永遠に。




 


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