>> Red Baron 02





雲より上の世界は常に快晴だ。美しい青は誰をも魅了する。その世界で舞うことの出来る幸福は地上のチープな快楽など到底足元にも及ばない。蒼穹は全てを飲み込み、自分の狭い了見を凌駕するほどの甘美な酩酊にも似た感覚を与える。彼は、そう考えている。




大きめの機体が黒羽の機体の後を追っていた。それを急激な上昇と90度バンクすることでやり過ごし、再び慣性力で機体を水平に戻す。木の葉落とし。黒羽の好む手だ。追っていた相手は急激な速度変化に対応しきれない。交錯した後に数発。煙が上がる。反転、離脱。敵機はあと一機。黒羽は、撃墜しろ、と本能が自分を呼んだ気がした。もう彼の視界には敵しかいない。空中戦は目まぐるしい。騎兵や歩兵とは違い燃料というリミットがある。選択を誤った瞬間に、墜落してしまう。黒羽はそのスリルに憑りつかれた一人であった。このスピードが、黒羽は好きであった。


「…敵機5機撃墜、中隊戦闘を終了する。基地へ帰還するが被弾もしくは燃料に不足のある者はいるか?」
『……』
「…沈黙は否定と受け取る。では所属基地へ帰還、…通信以上」
『了解』


編隊を組んで中隊は帰還した。主翼の一部に被弾の跡が見られる機体が一機あったがどうにか基地まで戻ることは出来たようだった。黒羽も自分の機体をぐるりと確認してから他の連中の被害状況を上に報告しに行かねばならなかった。黒羽の率いる第11戦闘機中隊は基地のエース級が集うこの国の中でも優れた結果を残す隊であった。黒羽は部隊に丁寧に空中戦闘理論を展開し、一糸乱れぬ飛行と技術は国内外でも知れ渡っていた。上の人間はその動向に神経質なまでに気を配っていた。少しでも被害が出ればこの基地としては大損害だ。黒羽中隊が飛べなくなる可能性がある。それだけは何としても避けたいのが上の意向だった。


「…失礼します。黒羽大尉、先の戦闘での戦果の報告に参りました」
「ああ、黒羽大尉、ご苦労だったね。入りたまえ」
「…はい」
「それで、どうだね?被害はあるか?」
「…東部戦線の北西三十キロ、高度三千五百メートル付近で敵機5機と戦闘。全機撃墜、日向の機体の主翼に一部被弾、弥生の機体後部に一部被弾。いずれも軽度であります」
「そうか、それならいいのだ。ご苦労だった黒羽大尉。今後も君の活躍に大いに期待している」
「…失礼いたしました」


黒羽は音を立てぬよう扉を閉めた。自分の存在をこの華美な扉の向こうに一切残したくなかった。自分の残骸に酔いしれる男に懇切丁寧にそれを置き去ってやるほど黒羽は親切ではない。苛々しながら煙草に火を点ける。それよりも、と黒羽は急いていた。一刻も早くその靴の先を向けなければならないと、黒羽は急いていた。


「…黒羽か?入ったらどうだ」
「…工藤」
「…黒羽、もう少しで終わるから、」
「…なぁ、工藤?吸いもしない煙草の灰皿を執務デスクに置いてるってのは、」


……期待してもいいんだよな?


黒羽は口にしていた煙草をジュッ、と音を立てて灰皿に押し付けた。まだ長い煙草が不満そうに白煙を上げる。黒羽は工藤の襟首を引き寄せ唇を塞いだ。工藤は最初こそ驚いたものの、さしたる抵抗も無しにされるがままになっている。黒羽はこうして、戦闘があった日には必ず工藤の元を訪れていた。戦闘での高揚をどうしても抑えきれずに本能のままに工藤を抱くのだ。空に感情を置き忘れた、黒羽はしなやかな獣であった。


「…、黒羽、待て。これ以上はまずい」
「…いいだろ、今更待てと言われても待てるような状態じゃない」
「ここじゃ誰が来るか、」
「いいだろう?スリルがあって」


そういう問題じゃない、と言いかけた工藤の唇を黒羽は煩いと再び塞いだ。煙草の味が溶けてゆく。満たされぬ身体が快楽を欲していた。空で灯った紅の炎が勢いを増していた。熱情のやり過ごし方など、知らない。発散することしか考えられない。黒羽は立ち上がらせた工藤の背に回り、片足をデスクに乗せて身体を開かせた。工藤は未だ嫌嫌と首を振るが、身体には最早熱が回っている。もう、どうしようもない。後戻りは出来なかった。




「ふ、っう、う…あ」
「は、工藤、手首咬め。唇が切れる」
「ん、んんんっ…!」


工藤は黒羽の手首を言われるがままに勢いよく咬んだ。跡が残るから、と制御が出来るほどの理性は微塵も残っていなかった。いつまで経っても身体を揺すろうとしない黒羽にデスクに乗せられた片足がもどかしげに動く。下に敷かれた白い紙がクシャリと歪んだ。灰皿の煙草は完全に熱を失くしていた。


「…黒羽、本当に待て。見つかれば軍法会議にかけられるのはお前だ」
「…見つからなけりゃ咎める者も無い」
「飛べなくなるんだぞ」
「一時な。それよりお前も限界だろう?動くぞ」


待て、と言おうとした唇が発したのは低い牽制ではなく高い嬌声だった。咬んだ手首と濡れていやらしく光る唇との隙間から切れ切れの喘ぎが漏れる。荒い息と響く淫らな水音。それだけが広い部屋を支配する。黒羽が奥を穿つ。工藤が快楽に悲鳴を上げぬようにと手首を強く咬む。愛があるかと言えば、彼らは互いにどちらとも返答しかねるだろう。別段、この行為に愛的な意味を求めてはいないのだ。


「ん、黒羽…!イキそう…!」
「…自分で押さえとけよ。書類に散るぞ」
「はぁ…ん、…うう、」


工藤は先走りの迸る自身を押さえる。黒羽の片手は工藤がその手首を咬んでおり、もう片方は工藤の足に掛けられていて両手が塞がっていた。終盤に差しかかると黒羽は小刻みな振動から大きく腰を引き再び深く突き立てるという大胆なストロークに変えていた。限界を迎えた工藤の片足は身体を支えることを放棄しようとしていた。それに追い打ちをかけるように黒羽が突き立てるので、一際手首を強く咬むと工藤は自らの手中に白濁した液体を飛ばした。悲鳴は閉じた口の中で消えた。黒羽も追うように体内に欲望を散らす。非生産的な行為に特別な意味合いは無い。ああ終わった、と黒羽は静かに自身を引き抜いた。高揚は全て工藤の中に吐き出したようだった。工藤は未だ茫然としていた。それから、思い出したように時折深く息をする。名残惜しんでいるようにも見えた。工藤はこんなにも快楽を求めていただろうか、と黒羽は考えてみたが、工藤のことを何から何まで事細かに知っているわけではない。よく分からなかった。煙草に火を点ける。煙が漂う。灰皿の吸殻は死んだかの様に冷たい。


「…工藤、息してんの」
「…してる」
「もしかして放心するほどよかったか?」
「ちげぇよ馬鹿か。お前の気が早いおかげで大して解してねぇから動かすと痛いんだよ」
「そりゃぁどうも」


工藤は乱れた着衣を整えると再び椅子に座り書類に目を通す作業を始める。黒羽には目もくれない。それが黒羽には面白くないが、来客用のソファーに腰かけて煙草を吹かしてそれを隠す。子供染みている、と黒羽は自分自身を嗤った。漂う白い煙が僅かに上がる口角を覆う。それは感情を空に忘れた男の嫉妬であったかもしれない。沸き上がる情動はその身を重くした。飛べなくなるのではと思うほどであった。灰皿に西日が当たる。灰皿の煙草が嗤ったかのような錯覚に黒羽は目眩がした。煙草の煙でさえ雲に見える彼は最早、空でしか生きることの出来ない獣であった。




 


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