>> 自由落下





工藤をちょっとした旅行に誘ったのは衝動的だった。今でもオレは当時のオレをバカだと罵り殴りたいし、これから先のプランについても憂鬱以外の何物でもない。あの日に付いた傷は消え、代わりに怪盗の仕事でミスをした際に出来た掠り傷と打撲が肩口に残っていた。別に何ということもない傷だし、オレの生活を知らない名探偵には喧嘩をしたのだと言い訳を垂れることも可能だ。事実数日前に派手に喧嘩もした。ああ、どうしてオレは折角夏休みに入ったというのにこんな不毛とも言える言い訳など考えているのだろう。いい加減馬鹿らしい。




「…あ、そういえば青子に貰ったパンフレットがあったっけ」




ひょんなことから今年の夏は友人と出掛けるのだと幼馴染みに話せば彼女はパンフレットをくれた。夏のシーズンに向けて海辺のものが多かった気がする。海とかがいいかな、と思って提案したけれど生憎工藤は男だ。男二人で海なんて笑えない。どうせなら可愛い彼女と行きたい。そう思うのは男として当然の心理だと思う。思い付きで提案したオレも、その提案に微塵の疑念も抱かず了承した工藤も殴りたかった。ああ、今日は暴力的だな、オレ。




「…ということで工藤君、海の旅ですが何かしたいことありますか」
「…黒羽、それは多分新幹線乗ってからの質問としては不適当だ」
「だって男二人じゃん。やることがないよ」
「…海とか、温泉とか」
「これで町歩いたら完全に恋人だよな」




きょとんとした工藤は恋人?と言ったきり黙ってしまった。今更彼女と来たらよかったと思っているのだろうか。工藤のシャツのポケットに入っていたライターを指先で弄りながら馬鹿だなと思った。オレも工藤も友人と呼べるような親密な仲でもないのにこうしてわざわざ夏の暑い日に出掛けたりして。男だけで遠出するなどオレには無縁だと思っていたが、これはまるでオレが馬鹿にして置き去りにしてきた青春に似ていた。




「お、そろそろじゃね?」
「あ、スゲー、やっぱ海綺麗だな」
「じゃあ旅館に荷物置いたら先に海行くか」
「おー」




幾つか電車を乗り換えて目的の駅に到着するとバスに乗って移動する。予約した温泉旅館にチェックインして荷物を置いて、仲居さんに海までの行き方を教えてもらうとすぐに海へと向かった。青い海は穏やかで、足をつけると冷たい。工藤の方を見るともう腰あたりまで入っていて、年相応あるいはもっと幼い顔で海を見詰めていた。何だ、そういう顔も出来るのか。




「工藤、こっち向けよ」
「え、うわっ!馬鹿!水かけてくんなよっ!」
「にひーっ!成功!」
「オマエは餓鬼か!」
「餓鬼で結構!」
「あー、ムカつく!」
「わわっ!反則だろその量は!」




まるでこれでは小学生だ。少しばかり肩口が沁みるが、それはもう自分の過失だからしょうがない。相変わらず海は青く鮮やかに煌めいていて、とても綺麗だと思った。こんなにも心を動かされるのは初めてかもしれない。暫時の感傷に浸っていれば工藤はいつの間にか遠い所で泳いでいて、変なヤツだよな、と思った。キラキラと眩い光と大差無い程に輝く工藤が目に痛いのはきっと、オレの目がおかしくなったからだ。そう思いたい。




「も、上がる?」
「まぁ、結構泳いだしな。あ、来る途中の喫茶店に寄ろうぜ。コーヒーが飲みたい」
「おう、オレも飲みたい」




海水浴場のシャワーを浴びて塩分を流してから着替えると工藤は既に外で待っていて、遅い、と言うからごめんと謝った。工藤の髪はまだ少し湿り気を帯びていて、時折纏まった房から水滴が首元を伝ってTシャツにじんわりと染みてゆく。それを見ていると、何だか妙な心地になった。どうしてかなどは知らないが、目が離せない。




「…なぁ、何頼む」
「うーん、アイスミルクティーの気分かな、オレ」
「んじゃ注文するか。あ、すいません、注文いいですか?」




工藤は店員を呼び止めるとちらりとメニューを見てからアイスミルクティーとアイスコーヒーを頼んだ。ほどなくしてその二つが同時に来るとストローを勢いよく突き刺して掻き回す。カランカランと爽やかで甲高い音を立て氷がグラスにぶつかり、ストローから逃げてゆく。その様は言い寄る男を躱す軽やかな乙女の姿に似ていた。つう、と目線を上げれば全てを飲み込んでしまうかの様なブラックのコーヒーに入れたストローに赤い唇を付ける工藤がいる。こちらに気付いた工藤のその唇に齧り付くかの如く口付けたのは、食らってやろうと思ったのに逆に食らわれていたのが己であったことが悔しかったからだ。ここが一番奥の席でよかったと思った。目を見開く工藤を見てももう、殴りたいとは思わない。万有引力によって自由落下する林檎は、少し苦みを伴った酸味に支配されていた。




 


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