>> 万有引力





乾燥した唇を舐めると切れた口の端が沁みた。痛みを訴える部分は知りもしない男に殴られた場所だった。勝手にぶつかってきた癖に因縁をつけられて殴りかかられたのだ。避けようと思えば避けることが出来たが、その瞬間に近くをよく見ると名探偵の顔が見えて、避けるか迷った結果、殴られた。そして、こういう面倒事の大好きな名探偵だ。必然的にこんな、一般人なら確実に遠慮したくなる状況に割り込んでくる。泣きたくなった。意味が分からない。状況が上手く回ってくれない。どうしてオレはこんな昼間に名探偵と仲良く喫茶店で喋っているんだ。




「オメー平気か?派手に殴られたろ」
「うーんまぁ、慣れたことだし」
「は?え、慣れてんの?」
「いや、だって中学とかって気に入らないヤツとかすぐ殴っちゃうじゃん?オレ凄い嫌われちゃっててさ、よく呼び出し食らってたわけだよ」




遠い中学時代を思い出す。オレは目立ち過ぎとかで上級生に散々殴られた。避けてはいたけれど時折当たってやらないとヤツらは逆上して、行動はエスカレートする。出来るだけ面倒は避けたかったから、反撃はあまりしなかった。オレには人に殴られるような原因は全くないのだけれど。あまりのストレートの遅さに驚いたのをまだ覚えている。




「…何かデジャヴを感じるよ…」
「あ、アンタもそのクチなんだ?」
「…まぁ、メディアにも顔売ってんで」




どうやら彼も苦労はしてきたらしい。はぁ、と一つ溜め息を吐いて彼はズボンのポケットを探す素振りをした。けれども目当ての物は入っていなかったのか、メディアには晒せないような凶悪な顔をして、また溜め息。ブラックのアイスコーヒーに口を付けるがそれも切れると鋭く舌打ちした。別に彼のそんな面に引く訳ではないが、一般人にそんな表情を見せていいのだろうか。オレと名探偵は知り合ってほんの十数分しか経過していない、いわば赤の他人だ。




「…普通さぁ、有名人が他人の前でそんな行動はダメじゃねぇの?」
「…るせぇな。今更だぜ、オレ不良みたいなモンだし。そんな感じだろ、オメーも」
「うーん、少なくとも人前で無意識に煙草を探すような人間じゃねぇな」




だろ?と聞けば再び舌打ちが返る。天下の名探偵は未成年のくせに煙草を吸うらしい。あながち彼の言う不良、という単語も間違いではないようだ。彼ならば並みの男にでも勝つことが出来るはずだがそういう噂が無いところを見ると、やはりメディアにあれだけ猫を被って出ている名探偵殿にはイメージが大切らしい。日本警察の救世主がこんなに凶悪だなんて知れたら最後、事件になど関わらせてもらえなくなるだろう。不便だなぁと思ったら、笑えた。




「んだよ、オメーも臭いついてんぞ」
「あちゃー、バレた?あ、言うなよ?」
「…一々言わねぇよ。キリがねぇ」




工藤新一は心底面倒そうに言う。オレは舌で唇を舐めた。自分が思っていた人間像とは違っていたようだ。面白い。久し振りに見付けた娯楽の対象に背筋が震えた。これは、この高揚感は間違いなく未来への興奮を物語っている。




「そりゃあ言えてるね。ま、ここのお代で勘弁してくれよ」
「よし、手を打とう」
「はは、世紀の名探偵の割にあっさり動いてくれんな。中々いいヤツなんだなアンタって」
「中々ってどんな印象だよ、ソレ」




名探偵は笑う。オレも笑う。レモンティーに突っ込んでいたストローで残り少ない中身をかき混ぜ、派手に音を立てて啜った。それを合図に二人とも立ち上がる。外に出ると爽やかな夏の風。背伸びをしたら背骨が小気味いい音を立てて鳴った。ああ、夏だ。




「…ね、オトモダチになりませんか?」
「…は?いやオメー、頭大丈夫か?」
「いや夏だしさ、どっか行きてーなと思って。女でもいいんだけど、たまには男二人でもいいかと思ってさ。嫌?」
「…どこ行くんだよ」
「うーん、無計画」
「馬鹿だろ」




探偵は怪盗の頭をはたいた。コイツは何も知らないんだろうなと思ったら憎たらしく思えた。逃げ道を塞いで喰らってしまおうとしていると知ったら、どんな反応をするのだろう。切れた唇を舐めると血の味がした。




 


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