その日、少年は珍獣に出会う――

ナマスカール、ドローナさんちの養女です。


 武術の大家と謳われたバラモン僧ドローナには、溺愛する実息アシュヴァッターマンの他に、1人の養い子があった。
 恐れ多くも太陽神スーリヤの御髪かとも見紛うほどの見事な金髪と、菩提樹の若芽を思わせる、優しい緑色をした瞳を持つ娘である。娘を一目視界に映した男で、この美しい少女を嫁にしたいと思わぬ者はなかったが、この娘には産まれたときから呪詛がかけられていた。他人の言葉を――養父ドローナのものでさえも――理解することが適わず、また娘の話す言葉も誰1人として理解することができない、という呪いである。求婚者達は意気揚々とドローナの屋敷の扉を叩き、ところが娘がその桃色の唇から珍妙な音を零すのを見るやいなや、それが「知恵遅れ」によるものだと決めつけて慌ただしく回れ右をしてしまうのだった。ほんの少し気持ちを落ち着かせて向き合えば、若草の瞳にきちんと知性の光が宿っていることにたちまち気がついたであろう。しかし興奮に浮き足立ち、情欲に目を曇らせていた若者達は、誰一人として娘の異質さ以外には注意を払わぬまま、落胆と共に踵を返したものである。
 ドローナはまだ娘が幼かったころ、呪いが神によるものだと気づき、何らかの理由で神の不興を買うようなことをしたに違いないと思い、名前をつけてやらずにいた。しかし愛息と同様に彼女を養育する内に、とうとう父親としての愛情を持ってしまったのである。そこで彼は一心に祈りを捧げ、三日三晩寝食もせず真言(マントラ)を編み出し、何とか娘に呪いをかけた神を呼び出すことに成功した。現れたのは、美しいが短い黒髪を持つ1人の女神であった。
 
「ああ、敬虔なるバラモンよ。今となっては、あなたの娘を衝動のまま呪ったことを恥じるばかりです。かつて彼女の母親を私の夫が見かけ、その美しさを讃えたのですが、私はそれに嫉妬してしまい、怒りのまま母親へと呪いを投げつけました。ところが驚いた彼女は抱いていた娘を咄嗟に盾にし、呪いは娘の体へと染みこんでしまったのです。彼女は自身の犯した我が子への裏切りに耐えきれず、赤ん坊をあなたの屋敷の前に置いて、自らは炎の中へと飛び込んで自害しました。私はかつて夫に褒められた髪を切り落とし、これを自らへの罰としましたが、娘にかけた呪いを解くことはできません。ドローナよ、あなたの娘は、神に対して何の悪行も働いてはいないのです」

 これを聞いたドローナは余りの哀れみに涙し、娘を呼びつけようとして、しかし名前を付けてやらなかったことを思い出して酷く悔やんだ。しかし父親の咽び泣く声を聞きつけた娘は弓を片手に部屋へと押し入り、女神の足下でドローナが蹲っているのを見るやいなや、父親を騎士のように後ろへ庇って立ち塞がる。そうして素早く矢を番え、恐れ知らずにも女神に鏃を向けた。

「尊き方よ。私は幸運にもバラモンたる養父の教育を受け、あなた方神に供物を捧げ、頭を深く垂れるようにと教わって参りました。しかしながらあなた様が我が父の敬慕に報いてくださらないと仰るならば、その父の教えに背き、この矢をあなた様の美しいお体に突き立てることにも躊躇いはありません」

 娘の啖呵は、呪いによって誰の耳にも意味ある言葉には聞こえなかったが、声は娘の怒りと愛情を伝えるのに十分な力を持っていた。娘の愚かな行動に青ざめたドローナは即座に弓を手放させ、無礼を深く詫びたが、大きな罪悪感を抱えていた女神がこれに怒ることはなかった。「お前の呪いは死の間際に漸く解け、ただ一言だけ、誰の耳にも通じる言葉を語ることが許されるでしょう」と教え、更に慈悲深いことには、娘に祝福を与えて去った。
 ドローナは娘の不敬を叱りつけながらも、涙を流して愛情深い少女を抱きしめた。そして女神へ向けた苛烈さはどこへやら、温かな微笑みと共に抱擁を返した愛娘に、とうとう春の日差し(マドディパ)という名前をくれてやったのである。



 オッスオラマドディパ! 生後5年にして漸く名無しの権兵衛卒業したぞ! 成り行きで神様にも喧嘩売っちまってもうやってらんねぇな! 義兄弟とも微妙に気まずくて父親の前だと全然絡んでくれねえ! オラギクシャクすっぞ!!
 にしても自己紹介の度に滑舌が試されそうな名前に決定したなぁ〜こりゃおでれぇた! カリン様〜〜舌噛んだから仙豆くれよ!! 圧倒的無駄遣い。

 家の前に捨てられていただけの自分をわざわざ拾って、きちんと育ててくれた義父にはとっても感謝している。例え何か憂うような、含むような視線が飛ぶことはあっても、高名なバラモンだけあって、一度として私を虐げるようなことをドローナは行わなかった。女神様にメンチを切った日からどういう訳か彼の態度がちょっぴり違うような気がしているのだが、やっぱりそうすぐ血の繋がった家族のように、という訳にはいかない。何とはなしに尻の据わりの悪くなるような空気の屋敷をそそくさと出て、薬草を摘みに分け入った森の中で、ふんふんと適当なメロディーに乗せて自作の歌詞を口ずさむ。


「らーらららーらーほはははーんギブミーほんやくコンニャク〜〜〜」


 こんにちは。インド語の分からない転生オリ主です。…………しょうがなくね?
 
 
 今まで2回続けて日本に生まれていたのがいかに幸運なことだったのか、嫌と言うほど思い知っている最中な3周目の人生。周りの人間が何を喋っているのかひとつも分からないことには気味悪さや不安、そして家族に対しては申し訳なさで押し潰されそうだったが、そのうちストレスに負けて人と会うこと自体を避けて通るようになった。現在は在宅ワーク(家事)と5歳児なりのひとりでできるもん(狩猟)に励む毎日である。引きこもり精神に拍車がかかってきた。
 バラモンの家で養育されている私も殺生とか本当はまずいのだが、女の私はバラモンにはなれないことと、森のどこかで自分で調理して勝手に食べたり、毛皮を売ったりして家の食卓には並べずにいることで黙認してもらっている。毛皮は服に加工することもあるが、バラモンさん家の子が動物の毛皮なんぞ身につけて歩いていたら大変なことになるので、ふかふかしたそれはもっぱら家着になっている。現代の服とは着心地なんか比べるべくもないが、強いて言うなら着る毛布やスウェットのような感覚だ。

 インド式毛皮加工のやり方を教えてくれたのは、以前森で獣に襲われているところを助けたおじさんである。やっぱり言葉が分からないので、名前以外は何の仕事をしているのかも、どこで暮らしているのかも不明な、やせ細って白髪の入ったおじさんだ。いつも質素な着物に身を包んでいるから、カーストは余り高くないのだろう。ちょっと小心なところはあるが、言語の通じない私にも根気強く手本を見せてレクチャーしてくれた、気の良いおっちゃんでもある。いつ会っても体から動物の匂いがするので、もしかしたら羊飼いとか馬を駆る御者とか、そういう仕事をしているのかもしれない。人と関わることが億劫になってしまった私にとって、年こそ離れてはいるものの、数少ない大事なお友達であった。
 
「おじさ〜ん! アディラタおじさ〜ん!!」

 近づいてきた人影ににんまりしながら大声を出すと、跳ねっ返りの小娘にやや呆れたような、しかし穏やかな笑顔が返ってくる。太い木の根や茂みをヒョイヒョイと避けながら跳ねるように走り寄ったところで、おじさんの体に隠れるように立っていた小さな人影が露わになった。
 幽鬼のような青白い肌に、銀髪と言うよりは色素がないと言って差し支えないほどの白い頭髪。銀とも青ともつかぬ、冬場の凍った池を思わせる色の大きな目。顔だけを見れば十分に可愛らしいといえる見た目で、幼い子供ながらに端正な容姿をしていると思ったが、冷たい雰囲気とピクリとも動かない表情のお陰で近寄りがたさを極めている。大丈夫? なんかやなことあった? 推してた戦隊ものが打ち切られて次のシリーズ行っちゃった? 気持ち分かるわ〜次のが始まっても最初めっちゃ拗ねながら観てるもん。まあ10分したら既に夢中になってたけど。子供って移り気だからね、仕方ないね。いや何の話?

『この娘はマドディパだ。可愛らしいお嬢さんだろう? 以前この森で獣に傷つけられたとき、この娘が助けてくれたのだ。事情があって言葉を話すことができないが、賢く、ひたむきで、明るい性質の娘だ。きっとお前の良き友となってくれるだろう』

 こちらを掌で指しながら、白髪の子供――男の子に向かって何事かを話すアディラタおじさん。忠実な様子でそれにこくりと頷いて応える少年。ひょっとして、おじさんの息子さんだろうか? 首を傾げると、父親(暫定)を見上げていた氷の瞳が、するりとこちらを向いた。視線がぶつかったとき、何故だか心臓を遠慮無く掴まれたかのようにドキリと妙な感覚を味わう。
 目と目が逢う 瞬間好きだと 気付いた
――訳では勿論なく。例えて言うなら隠し通せると思っていた悪さを、1番見られたくなかった相手に見つかってしまった時のような。陰口を噂の本人に聞かれてしまったかのような。家に遊びに来ていた親戚の女児に秘蔵のロリ系エロ同人を見られそうになった時のような。
 上田にいた時、幸村様が時々こういう目をしていた。普段は佐助や私の舌先三寸で良いように操縦されている癖に(限度はある)、瞳にこの色があるともう全く誤魔化されてくれないのである。しかもそういうときに限って、こちらは絶対に知られたくないような隠し事を抱えているのだ。
 それに困ることはあっても、嫌だと思わなかったのは、あくまでも彼に対する敬慕や親愛の情があったからだ。

『マドディパ、こちらは私の息子でね。愛想のない態度だが、とても心優しい子だ。どうか仲良くしてやって欲しい』

 神様みたいな目で見てくる子だな、と思った。信じがたいが実際に神が存在している世界のようだから、もしかしたらそんな子供がいることだって、あり得なくはないのかもしれない。
 私にも分かるようにだろう、その子を指しながら何度もその名前を丁寧に繰り返してくれるおじさん。多分よろしくしてあげてねとかそういうことを言っているのだろう。普段仲良くして貰っているのに、そのお願いを喜んで聞く気には、中々なれそうにない。この子と出会ったことで、私は年上の友人に対して罪悪感を抱く羽目になってしまった……というのは、流石に八つ当たりが過ぎるだろうけれども。
 とはいえ、小さな子供に意地悪をしたい訳ではない。にっこりと顔だけで笑って頷けば、アディラタおじさんの顔が安堵したようにほころんだ。言葉の通じない私の所に連れてくるぐらいだ。もしかするとこの少年、あんまりお友達がいないのかもしれない。


『名前は、カルナという』


 苦手だな。コイツ。
 でもそんな考えも、この子には見透かされているような気がした。

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