long dream | ナノ



石ころは紅く染まる



結論から言う。
奴は何も言わなかった。


「あ、来た来た。柚季ちゃん遅刻だよ」


店の前で兎を撫でていた白澤は、私に気付くとそう言って立ち上がった。


「は?ぴったり時間通りに着いたでしょう?」

「なんだ、ばれたかー。ちょっとは慌ててくれるかと思ったのに」

「貴方なんかにそんな簡単に騙されませんよ」

「はいはい、じゃあ行こうか」


そう言って歩き出した背中に着いていく。

こいつ、なんのコメントも無しか。
目も合ったし、この着物も視界に入っていたはずだ。
馬鹿にされるぐらいの予想はしていたので、何も言ってこないのは逆に気持ち悪い。
しかも、人に着飾って来いと言っておきながらこの神獣はというといつも通りの服装で、なんと頭には三角巾まで着けている。
歩く度に揺れるその白い結び目を見ながら、私は小さく舌打ちをした。



有名な演劇なのでストーリーは大体知っていたが、やはり生の演技を真近で見るというのはそれだけでとても感動する。
並んで横に座った白澤もそれなりに面白そうな顔で終始役者達に目を向けていた。

舞台を観終わって外へ出ると、辺りは日が暮れてすっかり暗くなっていた。
昼食は桃太郎が作ってくれたおにぎりで済ませたので、夜は少々高級の店で食事をすることになったのだが、
店内に入り視線を巡らせてみると、どうやら客のほとんどがカップルのようだ。
さほど広くはないけれど、ゆったりとした落ち着いた雰囲気が人気なのだろう。
自分たちも彼らと同じように見えるのだろうかと思うと眉間にしわが寄る。


「うわ、どうしたの。怖い顔して」


真正面の席についた白澤が尋ねてくる。


「いえ別に。何を食べようか考えてました」

「好きなもの頼んだらいいよ。今日は僕が出すし」

「そんなの、人の休日を潰したんだから当然ですよ。一番高いもの頼んでやります」

「……清々しいほど遠慮しないね。柚季ちゃん」


とは言ったものの、メニューを見た感じだと高級な料理はこってりと油が多そうで胃が心配になったので、
結局、そこそこの値段のあっさりとしてそうなものを頼むことにした。
料理を待つ間、何ということでもない話をしてくる上司に合わせて仕方なく適当な会話をする。


「……でさ、あの鬼。僕を投げ飛ばすんだよ?酷くない?」

「いや、それは鬼灯さんが正しいですよ。アンタが悪い」

「ひどっ!まあ、なんとなく君もそう言うだろうと思ってたけどさ!」


あれだけ鬼灯のことを嫌いと言っておきながら、何故話題にするのか。
よくこちらに愚痴をこぼしてくるが、その度に疑問に思う。


「……鬼灯さんといえば、この前閻魔殿に配達に行った時に美味しいお菓子を頂いたんですよ」

「へえ。アイツ、柚季ちゃんにはやたら優しいよね」

「甘くて美味しかったですよ」

「うん……それはよかったね」

甘いものが苦手だからか、若干顔が引きつっている。

「今度そのお菓子店に送って下さるみたいです。大量に」

「っはあ!?何それおかしいでしょ!?」



…………え。


椅子から立ち上がりそうな勢いで言ってくる。
自分が発した言葉に自覚がないのか、白澤はそのまま言葉を続けた。

「あの鬼……絶対嫌がらせじゃん!なんでうちの店に送ってくるわけ?柚季ちゃんの家に送れっての!」

「……白澤様」

「ん?」

「親父ギャグ……いや、ジジイギャグやめて下さい寒いです」

「は?」


今度そのオカシ店に……

何それオカシいでしょ!?


きょとんとしていた上司は、暫くすると私が言った意味が分かったらしく
かなり慌てた様子で口を開いた。


「え、いやっ違うからね!?偶然だから!ね!よくあるじゃん、こういうのって!」

「うわあ寒いよー凍えそうだよー」

「ちょ、違うってば!」


必死になって弁解しようとしている上司。
その姿がなんだか面白くて、私は思いっきり吹き出してしまった。
笑いすぎてお腹が痛い。



「やっと笑ったね」

「え?」


一通り笑いがおさまって息を整えていると、穏やかな口調で彼が言った。


「ほら、最近元気なかったでしょ」



予想外の言葉に、咄嗟に返事が返せなかった。

そうかもしれない。
特別落ち込んでいたというわけではないが、この間久しぶりに客から鋭い言葉を投げつけられ、かなりダメージを受けたらしい。


白澤様もあなたみたいな小娘、仕方なく雇っているだけよ。


気にしたら負けだと分かっている。
それなのに、いつまでも頭の中に響いてくる。
チクチクと刺さる鈍い胸の痛みを紛らわせようと、ただ黙々と仕事をしていた。
いつも通りに過ごしているつもりだったがこの上司には気付かれていたらしい。
ちょうど知人からの貰い物のチケットがあったので、気分転換になればと考え私を連れ出したのだと彼は言った。


「どう?少しは楽しんでくれてる?」


黙ったままの私の顔を覗き込むように向こうが尋ねてくる。
この前油断して涙を見せてしまったから、妙に心配をかけてしまったのだろうか。



「……まあ、はい」


ありがとうございます、と言うつもりだったのに、なんだかぎこちない答えになってしまう。
そんな私を白澤は別に気にした様子もなく、よかった、と笑った。

こんな奴だが一応上司に気を遣わせてしまったのだと思うと非常に申し訳ない。
けれど、同時に胸の辺りがほんのりとあたたかくなった。

とても安心するあたたかさだ。




「でもさあ、今日はせっかく綺麗にしてるんだから、もっと笑えばいいのに」


その後、運ばれてきた料理を味わっていると急に奴がそんなことを言い出したので、
思わずフォークを落としそうになった。


「……なんですか。女性を口説く練習ですか」

「違うよ?もー、せっかく褒めてるのに」


呆れたように笑って彼は頬杖をついた。
何やら辛そうな見た目だった料理は既に食べ終えており、ただこちらの反応を窺っている。


「可愛いよ、柚季ちゃん」


何故、今それを言うのか。
どうせ言うなら今朝待ち合わせた時に言えばいいのに。
向かい合って座っているため逃げ場が無い。

顔に熱が帯びていくのをどうにか隠そうと、手を挙げて店員を呼ぶ。


「すいません。追加注文で、クリームあんみつと抹茶パフェとフルーツケーキと杏仁豆腐2つずつ」

「ちょっと待って!君そんなに食べれるの!?」

「は?あなたの分も頼みましたけど」

「僕甘いもの苦手だって分かってて言ってるよね!?」


朝から散々こいつに振り回されたのだから、これぐらい構わないだろう。
甘いデザートを目の前にして顔を歪ませる上司を見ていると、また自然と笑みがこぼれる。

悔しいけれど、今日はまあまあ楽しい1日だ。



「あとソフトクリームも追加で」

「ねえ、そろそろ……」

「あ、一応言っておきますけど私今日財布持ってきてませんから」

「ホント容赦ないね……柚季ちゃん」







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