long dream | ナノ




君がため、この実を



「ほんっと、ありえないんだけど」


上司が出張で留守になると、彼女は途端に愚痴をこぼし始める。
決まってその対象は俺達の師匠に当たる人についてだ。


「今朝、寝起きのあの人の服のボタンに女の人の下着が絡まってた。全力で殴ってやったよね」

「はは、それはきついスね」



彼女、柚季と初めて出会ったのは俺が鬼灯に連れられて、うさぎ漢方『極楽満月』に来た時だ。


「は、初めまして、桃太郎と言います」


真横には、つい先日無謀な勝負を持ちかけて惨敗させられた閻魔大王の第一補佐官。
真正面には、その補佐官とよく似た顔をした白衣の怪しい男。
長身の男二人は顔を合わせるなりじりじりと睨み合いを始めた。
あまりに突然だったので、どうしたものかとオロオロしているところに、店の奥から作務衣姿の女性が現れた。


「お客さん?」


重そうな壺を抱えている腕は、折れてしまいそうなほど華奢で、まるで太陽の光を知らないかのように白い。
柔らかそうな髪を後ろで簡単にまとめた上には三角巾。
こちらを見て首を傾げた際に結び目がふわりと揺れた。


「ああ、君と同じ弟子として今日からここで働く…ももたろー君?だっけ」


女性に気付くと、有名な中国神獣だという男が自分の説明をしてくれる。
それを聞いて納得したようで、彼女は俺に向かって軽く会釈をする。


「お話は聞いていました。同じく従業員の柚季です。これからよろしくお願いしますね」


そう言って口角を少しだけ上げて微笑んだ。
表情に乏しい人なのだろうか。
それでも、礼儀正しく挨拶をしてくれた彼女に、こちらも慌ててお辞儀をした。

真面目で大人しそうな雰囲気。
白澤の弟子として日々懸命に学んでいるのだろうなと思った。

事実、その通りだった。
しかし働いているうちに分かっていったことがある。



「っざけんな、このクソ神獣が!!」


柚季は、営業中こそ上司に忠実な部下として黙々と仕事を行っているが、それ以外では真逆とも言える態度をとっていた。


「ちょっ、まじ危ないから!!ひええっ」


顔面蒼白で逃げ惑う上司と、椅子を持ち上げて今にも投げようとしている部下。
原因は、白澤が柚季に贈った特注だというかんざしだ。
一瞬見えただけだが、気味の悪い猫がモチーフになっているものだったと思う。

馬鹿なことをした神獣はともかく、それを追いかける彼女を自然と目で追っている自分がいた。
普段は大声も出さず、感情をあまり表に出さないでいるのに、白澤といる時はまるで別人のように表情豊かになるのだ。
いいな、と思う。
怒ったり笑ったり、いつもそういう顔をしてくれたらいいのに。

ああやって嫌がってはいるが、彼女にとって白澤が特別な存在であることは確かなのではないだろうか。

一方、白澤は。
その気持ちに気付いているのだろうか。
彼は相変わらず女性客に愛想を振りまいていたし、夜な夜な花街を遊び歩く日々を送っていた。



***



「なーんで気付かないのかな〜〜」


テーブルに突っ伏した白い頭が何やら呟いている。
その日、柚季は配達に出ていて、店内には俺と白澤だけだ。


「また女の人スか」

「んー?まあそうかな」


重そうに頭を起こし、こちらを見ながらニヤリと口角を上げる。


「でも今回は一筋縄ではいかないみたい」

「はあ…そんな女性もいるんスね」


この人の女性関係になど興味は無い。
少し冷たく言葉を返したつもりだったが、白澤はどこか楽しそうに目を細めた。

もしかして、と自分の中で1番身近な女性を思い浮かべる。
柚季がミスをしたことが原因で白澤が珍しく機嫌を悪くしていた時、
なかなか帰ってこない彼女を心配してか、あの神獣は何度も携帯電話の画面を眺めていたし、飲みに行くと言いながら、結局店に帰ってくるまで待っていた。
でもそれは、親が子どもを想う気持ちのような、あるいは師匠の弟子に対する愛情のようにも思えた。

いや、俺がそう思いたかっただけなのかもしれない。



柚季は生前から身体が丈夫ではなかったらしく、よく体調を崩していた。
その日の朝、欠勤連絡をしてきた柚季の声は電話越しでもかなり辛そうだと分かる。
よく無理をして仕事に来ては倒れていたこともあり、その反省から今回は休むことを選んだのだろう。
白澤は早い時間から衆合地獄へ出張販売に出かけていた。
電話をするが予想通り繋がらず、彼女が休む旨を伝言に残して作業に戻った。
夕方頃、ジリリリと店の電話が鳴り響く。


「あ、桃タロー君?」

「白澤様、お疲れ様です」


外から電話しているようだったが、衆合地獄の賑やかさは感じられない。
もうこちらに向かっている途中なのだろう。


「ちょっと柚季ちゃんの様子見てから戻るから、先に店閉めといてくれる?」


声が、遠く感じた。

様子を見るということは診察するということ。
それはつまり、自宅まで行くということを意味している。


「……ねえ、桃タロー君聞いてる?」


上司の声で我に返る。


「……はい、くれぐれも病人に余計なことはしないで下さいよ」

「あははっ、何を心配してるの?大丈夫だよ」


じゃあよろしくね。
そうして切れた電話の音を、暫く聞いていた。


白澤の言う通りだ。
俺は何を心配しているんだろう。
そして、あの人は本当に彼女に対して何か特別な想いは無いのだろうか。

分からない。
あの神獣の言葉や表情はいつも、胡散臭いところがある。

受話器を置く。
今はとりあえず考えるのをやめて閉店作業をするべきだろう。
そう思って片付けを始めようとした時、ふと作業台の上にノートが置いてあることに気付く。
庭の薬草を記録するノート。
俺がここに来る前から白澤と柚季が行っているもので、そういえば中身をちゃんと見たことは無い。
パラパラとページをめくると、柚季の綺麗なスケッチが1番に目を惹く。
彼女はこういう細かい作業が得意な印象があったなと、白くて細い指を思い出す。
白澤は他にも仕事があるのだから部下に全て任せてしまえばいいのに、何故自分でも記録をするのだろうか。
目を背けたくなるような絵を見ながら不思議に思う。
しかし、その疑問はすぐに消えた。

彼は毎回のように、記録の最後にメッセージを添えていたのだ。



***



「今日の飲み、柚季ちゃんも呼ぶ?」


その日、店を閉めた後に白澤と2人で飲みに行く約束をしていた。
客が少なかったこともあり、早々と入口に閉店の看板を掛けた上司が、何気なくといった風に聞いてくる。
今日は非番である彼女の名前を当然のように出したことに、俺は妙に苛立った。


「あの子あんまりお酒飲めないけど、せっかくだしね」

「白澤様」


一呼吸おいて、使った瓶を棚に戻しているその白い背中に声をかける。


「どうしてちゃんと好きって言わないんですか」

「……なんのこと?」


彼は微笑みを崩さないまま、しかし少しだけ声を低くしてこちらを振り返る。

彼女を花に見立て、ノートにつらつらと想いを綴る。
まるでベタなラブレター。
もちろん、柚季はそれに気付いていない。


「あんなことしなくたって、もっと他にすべき行動があるはずです」


上司は黙ったまま、ただこちらの言葉を聞いていた。
何か反論をするつもりは無いらしい。
舌打ちをしてしまいそうだ。


「……彼女を呼びたきゃ呼んだらいいんじゃないですか?すいません、俺は今日は遠慮しておきます」


もう今日は一緒に飲めるような気分ではなかった。
真顔になった白澤から目を逸らし、足早に店を出る。

自分の部屋に戻っても良かったのだが、なんとなくあの場所から距離をとりたかった。
でも、他に行く場所なんて俺にはあるのだろうか。
かつて一緒に旅をしていた仲間達や、地獄で出会って意気投合した一寸法師の顔を思い浮かべながら歩いていると、道の前方から見知った姿がやって来るのが見えた。
買い物かごを持った柚季だ。
慌てて笑顔を作りお辞儀をすると、向こうも手を振ってくれる。


「桃太郎君、仕事終わり?お疲れ様」


いつもの作務衣姿ではなく、落ち着いた萌葱色の着物。
頭にはシンプルなデザインのかんざし。
口角を少しだけ上げた顔は、よく見ると薄く化粧をしている。
彼女のことを昔から知っているわけではないが、近頃女性らしさが増してきたのは俺の目にも明らかだ。


「ありがとうございます。柚季さんは今日ゆっくり休めました?」

「うん。店のほうはどうだった?」

「今日は割とお客さん少なかったっすねー」

「あ、それで今日早めに店閉めたんだ?」


この様子を見る限り、白澤から誘いの連絡は来ていないらしい。
ホッとしたのと同時に、考えるよりも先に言葉を紡いでいた。


「実は今日本当は早めに店閉めて、白澤様と飲みに行く予定だったんですよ。でも俺すっかり忘れてて……一寸法師さんと飲みに行く約束しちゃって」


途中までは本当の話だ。
早口になってしまいそうなのを必死に抑える。


「少しだけでいいんで、帰宅する前に白澤様の様子を見てきてくれませんか?」


勢いに任せて頭を下げた。
自分の足元を見ながら、断ってくれたらいいのに、と思う。
同時に、断らないだろうな、とも思った。

仕方がない。
お互いに想い合っているというのに、このままではあの2人は一向に前に進もうとしない。
こういう役回りをする人が、彼らには必要なのだ。

夕日に照らされながら店へと向かう柚季の背中を眺めながら、ズキズキと痛む胸を押さえた。



結局、1人で飲み屋を転々とするのはどうにもお金が勿体無くて、1軒だけ寄った後は適当な仙桃の木の下で横になった。
いくら快適な天国でも流石に熟睡は出来ず、うっすらと明るくなってきたところで店へと戻った。

リビングは酷い有様だった。
空いた瓶は何本もテーブルに転がっているし、流し台には洗いかけの食器が積まれている。
どうやらここで飲んでいたらしい。
しかし、あの柚季がこんな状態のまま放っておくとは信じ難い。

ここで起こった事について考えていると、突然ガチャッと扉が開く音。
驚いて目を向けると白澤の姿があった。
酒の飲み過ぎなのか、顔色が悪い。


「あの、柚季さんは?」

「…………失敗した」


よろよろと椅子に座って、いつかのようにテーブルに突っ伏す。
その声は消え入りそうなほど弱々しい。


「は?白澤様、どういうことですか?」

「だからあ……間違えたんだってば」


柚季をベッドに押し倒した。
口づけをした。
でも、拒絶された。
泣かせてしまった。

要約するとそういうことだった。
瞬時に理解できない。


「あーー、なんでこうなっちゃうかな……」


大きく溜息をつく目の前の男。
頭のどこかで、何かがプツンと切れる。


「なに……してんスか」


声が震えているのは怒りのせいなのだろうか。
身体が熱い。
体内の血液が一気に沸き上がってきたかのような感覚を覚える。


「押し倒しただって?それは……それは、1番やっちゃいけないことだろうが!!」


自分よりも遥かに背の高い男の胸ぐらを掴む。
奴の瞳が、大きく見開く。


「大事なことを何一つ伝えないでそんな行動をとるなんて、彼女に対する侮辱だ!!そんなことを彼女は……!」


涙が出そうになりながら、必死に声を絞り出す。


「……柚季さんは、望んでなかったはずだ」






一度だけ聞いてみたことがある。


「白澤様のどこがいいんですかねー」

「え、なに急に」


店番をしている時、独り言のつもりが柚季に聞こえてしまっていたらしい。
手を止めた彼女に慌てて言葉を続ける。


「いや、えーっと、常連のお客さんのことスよ!あの人目当てで来る女性が多いからどうしてかなって」


怪訝そうに眉を寄せて、うーん、と彼女は腕を組んで淡々と答えた。


「ここに来る人はきっと愛に飢えてるんだろうね。奴は多分、そんな女性一人ひとりに合わせて、その人が必要としている愛情を与えるのが得意なんじゃないかな。当然それはその場限りのもので、いざ付き合うと続かない。そう考えると、ある意味医者のようなものかもね」


まさに今、女性客と会話を弾ませている上司に目を向けながら言う。
いつも鬱陶しそうに顔を歪ませていた柚季を見ていたから、こんな風に考えていたとは少々意外だ。


「まあ、そんな愛が心地よくて、みんな奴のもとに集まるんだろうけど」

「なるほど……幸せは人それぞれっすね」


「……自分は相手のことを必要としていて、相手も自分のことを必要としてくれている。それだけで幸せだと思うけどな」


付け加えるように、小さな声で言った言葉を俺は聞き逃さなかった。

柚季は白澤を信頼していたが、
必要とされなくなることを恐れていた。

白澤は柚季を大事にしたいが故に、
真正面から愛情を向けることを恐れていた。

なんて、臆病な2人。



***



その日の閉店間際に、柚季は辞表を持って現れた。
白澤が出張中で留守であることを狙ったのだろう。
ごめんね、と呟く彼女に、言うべきことは沢山あるのに、言葉は何一つ出てこなかった。

俺があなたに妙な頼みをしなければ、こんなことにはならなかった。
穏やかに、ずっと一緒にここで働けたのに。

俺が、壊してしまった。



彼女がこの店を辞めてから、3ヶ月が経った頃だろうか。
仙桃の手入れをしていると、地獄の補佐官がいつの間にか側に立っていた。


「おわっ!?びっくりした……鬼灯様か」

「どうも。ヤケにぼんやりしていた様子でしたので、脅かしてやろうかと」


鬼のような形相とはまさに彼のことを言うのではないだろうか。
こんな無表情が真横に立っていたら誰だって驚く。


「何か店に用ですか?」

「もう行ってきました。注文していた品を受け取りに」


そう言って小包を懐から覗かせて見せた。
店には白澤しかいない。
また睨み合いながらやり取りしていたのだろうか。
見慣れた光景を思い浮かべていると、こちらの考えを見透かしたように溜め息をついて彼が言う。


「奴といい貴方といい、まるで抜け殻のようですね」


柚季が姿を消してからの白澤はというと、表向きは何事も無かったかのように業務をこなしていたし、店に来る客には通常通り顔を緩ませて口説いてまわっていた。
しかし、心ここに在らずな状態であることは、日常生活を共にしていれば一目瞭然だった。
当然、付き合いの長い鬼灯もそのことに気付いたのだろう。


「……俺が余計な世話を焼かなければなあ」


呟いてから、しまったと思う。
鬼灯はこの事についてどこまで知っているのだろう。
彼は無表情のまま、少しだけ間をおいて口を開いた。


「余計な世話かどうかなんて、どうでもいいでしょう」


どこかで噂でも聞いたのか、それとも彼の勘が鋭いのか、この補佐官は俺達の事情を全て知っているような気がした。


「桃太郎さんはどうしたいのですか?」

「え……」


思わず身を縮めてしまいそうな鋭い視線だが、こちらの返事を待っているのが分かる。
咄嗟に思い浮かぶのは、もういなくなってしまった彼女の顔。

答えは一つだ。



「鬼灯様、お願いがあります」


本人がラブレターを渡す気がないのなら、俺がその運び屋となってやろう。
そう、これは白澤のためでも柚季のためでもない。
自分勝手な俺の願いだ。



***



あれから。
うさぎ漢方『極楽満月』は賑やかな日常を取り戻していた。


「だーかーら!ちゃんとこの図を見たら理解できるように調合の仕方書いてるじゃん!」

「こんなド下手な落書きで理解できるわけないだろクソが!文章で書けって言ってんですよ!」

「酷い!なんでこれ見て分かんないの?」


閉店間際で客はおらず、同じような言い争いをもうどれだけ繰り返していることか。


「あのーもう店閉めますよー」


全く聞いていないだろう2人に向けて一応声をかけ、閉店の看板を掛けるために店の外へ出る。
鬼の補佐官が、どうも、とこちらを窺うように立っていた。


「鬼灯様、もう閉店なんですけど用でしたか?」

「いえ、様子を見に来ただけです」


中に入るよう促すが、彼は静かに手を上げて断った。
まあ、こんな状態でゆっくりお茶も飲めないのは確かだ。
鬼灯は本当に特に用事は無いようで、しばらく中で繰り広げられている様子を見ていた。



「あのノート、何故貴方が直接渡さなかったんです?」


こちらに目を向けないまま、彼がふと聞いてきた。


「……余計なことを言ってしまいそうだったので」

「言ってしまっても良かったと思いますけどね」

「俺はあの2人が幸せそうにしている様子が見れたらそれでいいんですよ」



そう、だから例えば、

あなたのことが好きでした。なんて。


そんな気持ちは心の奥底に閉まっておけば、それで十分なのだ。


鬼の補佐官はそんな俺を見て、相変わらず世話焼きですね、と呟いた。





 list 



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -