狩人から「グラ雪姫を殺した」という報告を受けたお后は、とても上機嫌でした。これで再び、世界一の美女の座は自分のものです。
次の日、お后は魔法の鏡に尋ねました。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰かしら?」
ところが鏡は、前日と同じように「グラ雪姫ね」と答えました。
「どうして?!グラ雪姫は死んだのよ。ホラこの箱に心臓が」
鏡の精はお后が差し出した箱をしばらく検分していましたが、やがて言いました。
「ああ、これは妖怪『祭り囃子』の心臓よ」
「はァ?!」
狩人はどうやってかその妖怪を捕らえ、証拠品と偽って心臓を提出したようです。
「あんのゴリラ……ブッ殺す!」
哀れな狩人の命運は定まりました。
「で、猿飛さん。生きているというなら、あの子はどこにいるの?」
「ちょっと待ってちょうだい。ええと……城を取り巻く森を抜け……ん?ああああっ!!」
鏡の精は突然、髪をかきむしり始めました。
「あんの小娘ェェェ!私の銀さんと一つ屋根の下で……!許さない!許さないわ!」
「だからどこにいるのかって聞いてんだよ!」
お后は鏡を割りかねない勢いで叫びました。
「森を東に抜けた所に建ってるボロ小屋よ!そこに七人の小人と……私の愛する銀さんと一緒に暮らしている!」
鏡の精は、嫉妬と怒りの入り混じった甲高い声を上げました。愛する人の家を「ボロ小屋」と形容することには何の抵抗もないようです。
「あまり遠くないわね……そうだわ」
お后は悪魔のような薄笑いを浮かべました。そしてギャアギャア喚いている鏡の精を放置したまま、部屋を出て行きました。
靴音高く廊下を歩き、石の階段を降り、薄暗い地下室に辿り着きました。お后は扉に鍵をかけると、おもむろに袖をまくって作業を開始しました。
カン!カン!ガシャッ、ジャカジャカジャカ、ゴウ!ジュワァァァ、メキャバキッ!ピシ!
しばらくの間、地下室に奇妙な音が響き渡っていました。それが止む頃には、部屋中に焦げ付いたような刺激臭が漂い始め、何とも言えない有様でした。
「――できたわ」
お后はフ、と笑って、その黒い塊を――本来なら卵焼きになるはずだった物体を重箱に入れました。そして戸棚に並んでいたビンのうちのひとつを手に取り、フタを開けました。
「もったいない気もするけど、仕方ないわね。これなら効き目は確実だもの……」
言いながらビンを傾け、中の液体を数滴、元卵だった物体に垂らしました。
「これでグラ雪姫は永久におねんね。一番美しいのは私!それに、この毒には解毒方法もないわ。王子様のキスで目覚めるなんてお伽話みたいな事は起こらない!残念だったわね、グラ雪姫!」
お后は高笑いしようとして咽せ、もう一度やり直してから、重箱を持って部屋を出ました。
一方のグラ雪姫はというと、一癖も二癖もある小人達と早々に馴染んでしまい、順調な毎日を過ごしていました。
しかし、グラ雪姫は何かというとねぼすけとぶつかり、しょっちゅう家中を揺るがすような戦闘行為を繰り広げました。第一回目の対戦の時に怒りんぼうにメチャクチャ叱られて以来、メインフィールドは屋外に移りましたが、家に危害が及ぶことには変わりありません。
家事をさせようとしても、正真正銘お姫様育ちのグラ雪姫はとても不器用です。何をやらせても行き着く先は破壊活動でしたので、怒りんぼうもやがて諦めました。
そんなある日のことです。小人達はいつものように仕事に出かけ、グラ雪姫もいつものように留守番していました。彼女が唯一まともに出来る掃き掃除をしていると、コンコンと小さな音がしました。
「ん?なんだろ」
グラ雪姫は手を休め、キョロキョロと辺りを見回しました。するともう一度、今度ははっきりと聞こえました。扉を叩く音でした。
「誰アルカー?」
戸を開けると、そこには濃ゆい顔のオバさんが立っていました。
「テメ、誰ガオバサンダヨ。ブッ殺スゾコラ」
「私まだなんも言ってないネ」
「アー……ゴホン!」
オバさんは咳払いをすると、急に猫撫で声で喋り始めました。
「初メマシテ、可愛イオ嬢サン。良イオ天気デスネ」
オバさんはペコンと頭を下げました。そして真っ直ぐ向き直った時、被っていたフードが外れ、恐ろしい事に猫耳が生えているのが分かりました。
「で、猫耳オバさんが何の用ネ?」
「アシナガオジサンミタイニ言ウンジャネーヨ!……エート、私行商ヲシテルンダケド」
荒げかけた口調を誤魔化すように、猫耳女は持っていた籠をガサガサやり始めました。
「オ嬢サン、今オ腹空イテナイ?」
「何かくれるアルカ?!」
グラ雪姫はらんらんと目を輝かせました。流石に小人の家だけあって、ここの食生活は大食漢の彼女には物足りなかったのです。
「コノ新商品ナンダケド、マダ改良中ダカラ今ナラ無料デ試食デキマスヨ」
そう言って、自称行商人の猫耳女は、籠から取り出した重箱の箱を開けました。
中には、暗黒物質が鎮座していました。
猫耳女は、お后の部下でした。自分で行くのはタルイからというお后の命令で、ここまで劇物を運んできたのです。
「……何アルカ、これ。真っ黒コゲだヨ」
グラ雪姫が眉をひそめると、猫耳女は慌てて言いました。
「ア、コレハネ、卵焼キナノ。チョット黒イケド、ホラ、アレ、ピータン使ッテ作ッタカラ」
「そっか、ピータンだったのか!」
バレバレな嘘にも、素直――というか単細胞――なグラ雪姫は騙されてしまいました。
「いただきますヨー!」
グラ雪姫の手が、ガッと暗黒物質をわしづかみにしました。それを見た猫耳女は、勝ち誇って叫びました。
「アッハッハッハ!小娘ガ、アッサリ引ッカカッテクレタワ!ソノ卵焼キニハ超強力ナ毒薬ガ入ッテルンダヨ!食ベレバ即刻昇天ダァァ!ゲハハハハ……ア、ヤベ、言ッチマッタ」
しかしグラ雪姫は聞いていませんでした。夢中で暗黒物質を口に詰め込んでモグモグしていましたが、突然ピタリと動きを止め、ゆっくりと床に倒れました。
猫耳女はグラ雪姫が息をしていないのを確かめると、意気揚々と城へ帰っていきました。
仕事から帰ってきた小人達は、グラ雪姫が倒れているのを発見して大騒ぎでした。正確に言うと、小人達の一部は、です。
くしゃみは自分よりずっと大きいグラ雪姫の体を揺さぶり続け、必死で呼びかけています。てれすけはビビッて半泣き状態で、ごきげんはうろたえてミントンラケットを取り落とし、おとぼけは「リーダァァァァ!!」と絶叫しっぱなしでした(うるさすぎて先生に殴られました)。
残る三人は黙ってその様子を見ていましたが――正確に言うと、ねぼすけはアイマスクを着けていたので何も見ていませんでしたが、しばらくして先生が言いました。
「まずさ、やるべき事があると思うんだけど」
全員が――正確に言うと、ねぼすけ以外の全員が先生の方を見ました。
「とりあえず……そいつを外に出すぞ。家の中に入れねえ」
グラ雪姫はちょうど玄関を塞ぐように倒れていたので、先生の言い分はもっともでした。しかし、「中に入れるぞ」と言わない辺りに先生の性格が出ています。すなわち、自己中です。
小人達は――正確に言うと、ねぼすけ以外の小人達は、えっさほいさとグラ雪姫を引きずり出しました。体が完全に外に出たところで気をつけの体勢をとらせ、くしゃみが気ィ遣いらしく持って来た毛布をかけました。
全ての作業が完了した後、彼らは互いにチラチラと視線を交わし合いました。
「……」
やがて、ねぼすけを除いた五対の目が先生に向けられました。先生は全員をぐるりと見渡し、重々しく口を開きました。
「お前ら、喜べ。今日は……」
ここで一度言葉を切ると、一同ゴクリと唾を飲んで続きを待ちます。
「今日は……ベッド解禁っ!」
言い終えた瞬間、先生は家の中に駆け込みました。残りも雄叫びを上げて続きます。ベッドの場所取り合戦の開始です(一番良い場所は、既にねぼすけに陣取られていましたが)。
グラ雪姫にベッドを譲ってしまい、しばらく床で雑魚寝する日々が続いた小人達です。喜ぶのも無理はありませんが、いささかグラ雪姫の扱いが適当すぎます。薄情な連中です。
そして、静かな夜は更けていきました。
壮絶な戦いから一夜明け、小人達は大分冷静さを取り戻しました。
朝食を食べながらぐだぐだと「あのお姫サンをどうするべや」的な話し合いを進めていた時、外で何やら叫び声が上がりました。
「なんだ?」
怒りんぼうが呟くのと同時に先生が素早く立ち上がり、外へと駆け出していきました。……なんていうのはもちろん嘘で、気だるげによっこらせと立ち上がるとタラタラと歩いて外に出ました。他の小人達もウダウダとそれに続きます。基本的に危機感に乏しいのです。
外には気をつけの体勢のまま仰向けに横たわるグラ雪姫と、見知らぬ男がいました。ヘルメット状の帽子を被り、チョビ髭を生やした中年の男は、グラ雪姫の傍に跪いて叫んでいます。
「グラ雪ちゃあああん?!寝てるんだよね?寝てるだけなんだよね?!お父さんですよ!お願い起きてぇぇぇ!」
くしゃみが驚いたように言いました。
「え、お父さん?今あの人お父さんって、っくしゅ!言いました?」
その声に反応した男は小人達の方を振り向きました。その瞬間、その場にいなかったねぼすけと思考回路の形状が謎であるおとぼけを除く五人が五人とも(うわ、似てねえ親子……)と思ったのは内緒です。
「何だ、お前ら……はっ!もしかしてお前らが俺のグラ雪ちゃんを……?!」
「イヤ違います違います!ちょっと落ち着いて下さい!」
怒りもあらわに立ち上がった男を、ごきげんが慌ててなだめます。
「お前らじゃなきゃ一体誰だっていうんだ!そもそも何でグラ雪ちゃんがこんな森の中にいる?!」
そうです、まずはそこから説明しなければなりません。返事に困ったごきげんは、視線で怒りんぼうに助けを求めました。怒りんぼうはひとつ溜息をつくと、男に向かって言いました。
「五日ばかり前から、俺達はそのお姫サンをここにかくまってる」
怒りんぼうは煙草に火を点けました。
「で、昨日の夕方、家の前で倒れていたそいつを発見した」
怒りんぼうは煙を吐き出しました。
「以上だ」
「短っ!」
くしゃみが思わずツッコみました。男も続きます。
「一番肝心な部分を説明してないだろうが!グラ雪ちゃんがここにいる理由だ理由!」
先生が首を傾げて言いました。
「なーんだっけなあ?ゴリラに襲われたんだっけ?」
「ちげーよ、ゴリラっぽい狩人だろ」
「なんでもいいだろが。なんか、襲われたんだってよ」
全く要領を得ない説明に、男は匙を投げました。
「もういい!直接グラ雪ちゃんに聞く!というわけでお前ら、起こせ」
「いや、起きないからね。普通に起こして起きるんだったら苦労してないからね」
「黙れマダオが!」
「ムチャクチャだなあオイ!」
てれすけのもっともな意見が一蹴されたのを皮切りに、ギャアギャアと喧しい議論が始まってしまいました。
ああでもないこうでもないとグラ雪姫を復活させる為の盛んな意見交換が行われている最中、家からねぼすけが出てきました。たった今起きてきたばかりのねぼすけはひとつ欠伸をして、それからおもむろにバズーカを構え、いきなり発砲しました。
ドオオオオオン!!と凄まじい音がして、ねぼすけ以外の六人の小人達と自称グラ雪姫のお父さん、そして横たわっていたグラ雪姫の体が見事に吹っ飛びました。
モクモクと黒煙が漂う中、怒りんぼうの叫び声が響きます。
「総悟ォォォォ!!バズーカは売っ払えと何度言ったら分かるんだボケェェェ!」
「すいやせん土方さん。でも今のはアンタを狙ったんじゃなかったんでさァ」
「今のはって何だ!別の機会だったら俺に照準が向くって事だろうが!」
ねぼすけは怒りんぼうのツッコミを無視し、累々と横たわる死体(比喩です)の合間を縫ってグラ雪姫の方へ近付きました。しかし辿り着く前に、煤まみれになった男がグラ雪姫に駆け寄って抱き起こしました。
「グラ雪ちゃあああん!テメー何してくれとんのじゃコルァァ!!」
ねぼすけが何か言いかけたとき、グラ雪姫の目がパッチリ開きました。
「え?!グ、グラ雪ちゃ……」
グラ雪姫は黙って身を起こすと、地面にペッと何かを吐き捨てました。黒くおぞましいソレは、お后の卵焼きです。
卵焼きに仕組まれた毒は、グラ雪姫に何の影響も与えていませんでした。卵焼きそのものの毒とお后が加えた毒が、お互いに打ち消しあったためです。なんという奇跡でしょう。グラ雪姫は単に、咽を詰まらせて気を失っていただけだったのです。
禍々しいオーラを放出しながら立ち上がろうとしたグラ雪姫を、父親が止めました。
「グラ雪ちゃん!良かった、無事だったのか!」
「……パピー?生きてたアルカ!」
「ああ、もちろん!何年も前、毛根全てが死に絶えた時は、もう生きる気力も何もかもなくして逃げ出してしまった……グラ雪ちゃんを一人残して!冷静になってから後悔したよ。だからきっといつか毛根の女神を呼び戻して、グラ雪ちゃんを迎えに行こうって決めたんだ」
お父さんは、ズズッと鼻を啜りました。
「遅くなって悪かった。さあ、帰ろう。これからはお父さんと暮らすんだ!」
お父さんはグラ雪姫に抱きつきました。その勢いで、被っていた帽子が地面に落ちました。
長台詞を退屈そうに聞いていた小人達は硬直しました。帽子の下にもさらに被り物があったからです。その被り物は……えー……なんというか、とても残念な事になっていました。
グラ雪姫もそれに気付いたようでした。ジトッとした半目で父親の頭を眺めながら、冷たく言い放ちました。
「パピー。私、それ嫌アル」
お父さんは驚いて顔を上げました。みるみる青くなっていきます。
「な……何だって?」
「そのズルズルしてるのが嫌アル。そんなの見ながら暮らしたくないネ」
グラ雪姫は今度こそ立ち上がると、呆然としている父親にトドメを刺しました。
「七色モヒカンになってから出直して来いヨ」
はからずもその時、おとぼけが一人演奏会の真っ最中でした。彼が持っていたスプーンがコップに当たり、チーンと儚い音を立てました。
先生、怒りんぼう、ごきげん、てれすけ、くしゃみの五人は一斉に手を合わせ、頭を垂れました。こんな時だけはチームワーク抜群です。
そんな切ない感じの空気と、地面に倒れ伏しているお父さんを完全に無視し、グラ雪姫はねぼすけと対峙していました。二人の間を殺伐とした風が吹き渡ります。
「……お前さっき、バズーカ私に向けて撃ったアルナ」
「だったらどうしたってんでィ」
「このグラ雪姫様に向かってその態度たァ、神経太い野郎ネ。それとも単なるバカアルカ?」
「そのバカに負け越してんのはどちらさんでしたかねェ」
二人が挑発し合っている間に、小人達は迅速に避難していました。おとぼけはまだ演奏会を続けていたので、先生が蹴っ飛ばして引きずってきました。
家の扉を閉めるのと、最初の爆音が聞こえてきたのは同時でした。
「……考えたんだけどよ」
窓の外をチラチラ窺っている仲間達をよそに、先生が銀髪をわしゃわしゃ掻きながら怒りんぼうに言いました。
「洞窟の通路、広げるか。お姫サンがあそこで働けるようになりゃ、大分仕事が楽になる」
怒りんぼうは大真面目に答えました。
「そりゃあ、今までお前が考えた中で最高の意見だと思うぜ」
よってここに、グラ雪姫の永住が決定しました。
その後、お后は何も仕掛けて来ませんでした。鏡の精が「男が出来た」という理由で、グラ雪姫が美しいことを認めなくなったからです。お后は、自分の卵焼きが起こした奇跡を知らないままでした(そのせいで、グラ雪姫と同じ刑を執行されたゴリラっぽい狩人は辛くも命拾いしました)。
グラ雪姫のお父さんは、モヒカンを求めて旅に出ました。恐らく、永い旅になることでしょう。
といわけで、小人達の家は、しばしば起こる内紛を除けば平和そのものでした。グラ雪姫とねぼすけは、六人のコブ付きのまま、いつまでも仲良く?暮らしましたとさ。
fin.
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